第十五話

 次々に入る報告は、余りにも悲惨で、無慈悲なものだった。


「東の国境より二つ先の村で魔物の襲撃に遭い、村人全てと、第三部隊が全滅しました」

「昨日は西の森に入った第四部隊が全滅と聞いたが、魔物は一匹も退治出来ていない状況だとか」

「はい。大穴から出現した魔物はどれも非常に強く、とても普通の人間には太刀打ち出来ません」


 年寄りばかりが集まった軍の会議の中、総督のグレアムと報告を行う若い兵だけが緊張を隠せないでいた。


「元帥は今どこにいる?」

「西の森にいます。昨日の内に魔物を殲滅する予定でしたが、第四部隊が足止めの役割を果たせず全滅した為、魔物は既に方方に散ってしまっていて時間がかかっているようです」


 蓄えた立派な顎髭を撫でながら、ゆっくりとした口調で質問をする老軍人に、グレアムは苛立ちながらも丁寧に言葉を返す。


「森ごと消滅させてもいいんだがな」

「それは流石に近隣の村々が了承しません」

「了承も何も、魔物に喰われるよりマシだろうに」

「それに、第四部隊の遺体の回収もありますし」

「魔物の瘴気まみれの死体など、焼き払ってしまった方が面倒がなくていいのだがな」

「そういう訳にもいかないでしょう」


 他の老軍人たちも次々に自分の意見を述べ始める。それに律儀に返事をしながら、グレアムは報告書に目を通す。


「そうやって時間が経てば経つほど犠牲者は増える。そのことを考えれば、致し方ないと思うがな」

「元帥もその方が楽だと言えばいいものを」


 問題発言に対し、直ぐに否定の言葉を返すグレアムは、冷静に対応しようとするが、また違う方向から問題発言が飛び出すことに、早々嫌気がさしていた。


「そういえば、学生の投入も行ったそうだな。士官学校の生徒はともかく、一般の学生達も」

「はい。既に第一陣は全滅しましたが、第二陣はまだ持ち堪えています」

「第二陣は上手く行きそうなのか?」

「……」


 残念ながら、第二陣も直に全滅するだろうことは、報告を聞かなくてもグレアムには解っていた。現役の軍人ですら歯が立たないのに、一般の学生が魔物の囮になるなど、到底無理な話なのだ。だがそれほどまでに切羽詰まった状態になってしまったのは、自分の采配の未熟さ故と、グレアムは遣る瀬無い想いで片方しかない腕の拳を握った。


「未来ある若者が命を落とさねばならないとはな、残念だ」


 とてもそうは思っていない薄ら笑いを浮かべた老人に、グレアムは鋭い眼を向けた。


「本当に。貴方たちのような老いぼれが囮になれれば一番良いのですが、如何せん、走ることさえもままなりませんからね」


 嫌味をふんだんに込め、嫌な笑みを浮かべたグレアムに、怒り出す者はいなかった。代わりに、釘を刺されてしまう。


「グレアム、君のそういう所が駄目なんだ。だから元帥に腕を切り落とされたりするんだぞ」


 聞き分けのない子供を諭すような言い方に、グレアムはぎりっと奥歯を噛み締めた。それでも反論はせずにぐっと耐えた。その様子を目の前で見せられている若い報告係の兵が、一人顔を青くさせる。退出することも出来ずに、ただただその場に身体を硬直させながら立っていた。

 その時、会議室の扉がそっと開かれ、新しい情報が入って来る。


「伝令です。西の森の討伐へ向かっていた元帥が、討伐を完了し、今から東の砦に向かうそうです。また今現在、東の砦には、士官学校の生徒数名と一般学生の第三陣が合流し、既に結界内への魔物の封じ込めが終了しているとのことです」


 その報告を聞き、その場にいた全員が驚愕した。


「なっ! 封じ込めに成功しただと! 学生だけでか!」


 一番に声を上げたのはグレアムだった。学生の投入に最後まで反対をしていたグレアムは、無駄死にをとにかく避けたかった。もっと効率の良い方法がないかと模索していたが、何の案も浮かばないことに苛立っていたのだ。それが学生だけで事を成したとあれば、一体どんな方法でと、直ぐに質問を投げかける。


「どうやった? どうやって結界内に閉じ込めたのだ?」

「はい? どうとは?」

「だからどうやって、魔物を閉じ込めたのかと聞いている」

「それは、特には報告には上がってきていませんが……。その、作戦通りに行ったのではないでしょうか」

「……そうか」


 報告して来た兵の言う作戦とは、特に難しいものでも何でもない。

 魔物の気を引き、結界を張った場所までただ走るというだけのものだ。大穴から出て来た魔物は、巨躯の割にとても俊敏で足も速い。それ故、直ぐに捕まり殺されてしまう。しかもその一般の学生たちと士官学校生とは、恐らく今回、初めて顔を合わせたばかりの者達だろう。特に連携が取れている訳でもない。訓練を受けた軍人でさえ手も足も出ないのに、学生がそれをやって退けたとなると、何か特別なことをしたとしか思えなかった。


「元帥もそこに合流したならば、直ぐに落ち着くだろう。次は第二陣として学生が駆り出された教会か。それと、国外に出た魔物だが……」

「それはまた、他国からの要請があれば元帥に行ってもらうしかないだろうな」

「ええ、そうなりますね」


 老軍人の言葉に、グレアムは仕方がないと頷いた。こればかりは救世主の気分次第なのだからと。

 それよりも一刻も早く、自国の安寧を取り戻したいと顔を上げた。幸いなことに、大穴から出現した魔物達はある程度纏まって行動をしている。まるで群れからはぐれないようにと行動するその姿は、同じ種族ならば納得できるが、通常の魔物では余り見られない行動だっただけに、誰もが首を傾げている状態だ。しかも大穴から出て来た魔物はどれも変異種のようで、色々な種類の見たこともない魔物ばかりだったのだから尚更だ。

 解らないことだらけではあるが、間違いなく収束に向かっているこの現状に、グレアムはホッと息を吐き出した。

 だがその時、思いもよらない事態が起きる。


「大変です!」


 バンっと大きな音を立てて開かれた扉に、その場にいた全員に緊張が走る。ようやく落ち着いてきたこの現状で、第三の大穴が開いたのではないかと、全員が身構えた。


「回復薬が全て盗まれました! 倉庫にあったもの全てです! それ以外にも、運搬中の衛生班があちこちで襲われ、回復薬が全て強奪されています」


 回復薬が、と思わず口にする者が多かったが、第三の大穴が開いた訳ではないことに、安堵の空気が流れた。だが回復薬のことは、それはそれで一大事だった。今回の大穴の騒動で、大怪我をした者が軍人に限らず大勢いる。その者達に回復薬を行き渡らせようと、軍の衛生班が駆けずり回っているのだ。その衛生班まで襲われたとなれば、大問題になる。実際にまだ魔物と対峙している者もいるのだ。救世主が向かった東の砦と南のはずれの教会では、沢山の負傷者がいる筈だ。その者達に薬を届けられないことになれば、救えた筈の命を喪ってしまうのだから。


「犯人は! 手がかりはあるのか!」


 そう叫んだグレアムは、脳裏に一人の人物を浮かべていた。まさか、と思う反面、そうとしか思えなくなる。薬学部の主任であるジョナス・プラチフォードの国外永住の話を思い出し、疑念は更に深まった。

 王族へと献上されている奇跡の実を、伝手を使って大量に手に入れている者がいることはグレアムも知っていた。だがその奇跡の実を、今後はジョナスの研究のために王宮内で厳しく管理することが義務づけられたと、報告を受けたのはつい昨日のことだった。


『クリス・カルヴァード』


 ハドリーと両親を殺し、ハドリーを死霊魔法で操っている狂人。

 彼の仕業だと確信し、グレアムは拳を机へと叩きつけていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 鬱蒼とした森を抜けると、少し開けた場所に出た。丸一日馬を駆り、あと少しで東の砦に辿り着く、そんな最中、大きな音と共に木がなぎ倒された。ドオンッと大きな地響きと共にバリバリバリという音が辺りに木霊する。自分達がたった今抜けて来た筈の森の方から響く音に、フランセス達は顔を青くした。


「なんだ!」

「森の方からか? だが、今通ってきたが、特に何もなかったぞ!」


 後方を振り返り、二人の男子生徒が声を荒げる。三人は音の発信源を探そうと目を凝らす。と、左奥側から木々の残骸が空へ向かって大きく飛び散った。


「あそこか! 急ぐぞ!」


 馬首を返し、そのまま駆け出したフランセスに続き、男子学生二人も続いた。森の中を通るより、開けた平原から左側へと回った方が早いと判断し、とにかく馬を駆る。その間、この先に魔物がいるのだと思うと、覚悟の出来ていたフランセスでさえ身体が震えた。ぐるりと左側へ回り、狙いをつけて森へと飛び込んだフランセスは、道など何もない場所を懸命に馬を操作し続けた。

 

 鬱蒼とした森の中では上手く走れない。だが進んでいる以上その場所に辿り着くのは必然で、ようやく見えた魔物の姿に、三人は思わず息を呑んだ。目に飛び込んで来た巨大な魔物は、竜を思わせるような形象だった。巨躯の割には俊敏で、何かを追いかけるように動き回っている。その何かが人間であることに、三人はすぐに気が付いた。だが、目にしているものが本当に人間なのかと疑わずにはいられない。そんな光景が、目の前で繰り広げられていた。


「あれは、何だ? 人間なのか?」

「幽霊……なんじゃないか?」


 男子生徒二人の呟きに、フランセスが固唾を呑む。逃げ回っている素振りを見せる人間は、魔物の大きな爪をその身に受けても傷つかないどころか、すり抜けているように見えた。そして姿が消えたかと思うと、思いもよらない場所から姿を現す。それはまさしく亡霊のようだった。


「あれは、士官学校の制服か?」


 フランセスが逃げ回る人間らしきものの正体を探ろうと目を凝らせば、今回の作戦で共闘する筈の士官学校生だと気づく。その士官学校生は、まるで魔物を誘うかのように動き、どんどんと森の奥へと入っていく。


「追うぞ」


 姿を消し、また現れてと繰り返す士官学校生を追うには、馬の脚でも追いつけなかった。姿を追うのに必死で、フランセス達は自分達がここへ何しに来ていたのかを失念していた。そんな時だった。どおんっと大きな音と共に、男子学生二人が吹き飛んだ。


「っ!」


 その様子に声を上げそうになったフランセスは、必死に口を噤んだ。まだこちらには気づいていない様子の魔物を見やり、直ぐに大きな木の影へと馬ごと身を隠す。

 吹き飛んでしまった二人の様子を窺うと、一人は頭を潰され既に絶命していた。もう一人は何とか這いずり、木の影に隠れようとしているところだった。あれほど大きな音と共に現れた魔物の筈なのに、気配は全く感じられない。それが不気味に思えて、フランセスは動けないでいた。

 忙しなく動く自分の心臓の音だけが頭に大きく響く。はあ、はあ、と呼吸が乱れ、汗が全身から噴き出した。恐怖がとめどなく押し寄せて、身体は鉛のように重く動かなかった。そんな彼女の真後ろで、何かが動く気配が感じられた。ハッとした時には、声がかけられていた。


「大丈夫です。彼も助けますから」


 魔物が追いかけていた士官学校生だと気づくには、フランセスは恐怖に囚われ過ぎていた。何の反応も示さないフランセスを一瞥し、その士官学校生はフランセスの乗っている馬の鼻筋を撫で、何事か呟く。すると突然、馬が駆け出した。フランセスは何と声をかけらたかも理解できず、気付いた時には、馬が駆け出していたことに酷く慌て、戸惑った。


「っ!」


 突然駆け出した馬に対応出来ず、落馬する寸前、フランセスは何とか馬にしがみつき、事なきを得た。だが、また魔物が現れるのではないかと、恐怖が直ぐに襲ってくる。そんな中、魔物の咆哮が耳を劈く。怒りに満ちたその咆哮が、前方からだと気づいたのは、魔物の群れに馬が突っ込んだ後だった。


「っ! 止まれ! 止まってくれ!」


 そう大声を上げるも、馬はそのまま真っ直ぐ突き進む。何とか馬首を返し、ここから逃げ出さなければと、フランセスは力の入らない腕で馬の鬣を引っ張る。だがその甲斐むなしく、魔物の群れの中を突き進む馬の速度は変わらなかった。

 巨躯を揺らし、咆哮を上げ続ける魔物の数は数えきれないほどだった。様々な種類の魔物は瘴気を纏い、禍々しい負の感情をまき散らしていた。フランセスの姿を認め、襲い掛かるように腕を振り上げる魔物もいれば、炎を吐きかけてくる魔物もいる。

 もう駄目だと、そう思ったフランセスは、ギュッと目を瞑り、ただただ恐怖に耐えていた。

 そんな中、ふと瞼越しに目の前が明るくなったことを感じ、そっと目を開ける。馬の速度もずいぶんと落ち、少しずつ落ち着きを取り戻していることに、フランセスは漠然とした疑問を抱いた。何故、速度を落とすのか。そして理解する。魔物の群れを抜けたのだと。そのことに気付いたのは、フランセスが後ろを振り返った時だった。フランセスの直ぐ後ろには、たった今抜けて来た魔物の群れがあった。驚くほどに大きな魔物達とその咆哮に、未だ恐怖に囚われているフランセスは、よく無事にあの群れを抜けられたものだと、思わず笑いが込み上げる。

 あれだけ多くの魔物がいたにも関わらず、一切の怪我も傷も追わずにだ。


「お怪我はありませんか?」


 魔物達の咆哮の中、静かに紡がれた言葉に、フランセスはハッと声の方に顔を向けた。


「ああ、大丈夫だ……」


 馬の手綱を握り、馬ごと士官学校性へと身体を向ける。何がどうなっているのかと戸惑い、呆然とその顔を見つめた。


「それは何よりです。こちらへどうぞ」

「あ……ああ」


 そう言って付いてくるように促す士官学校生に、フランセスは混乱した頭で曖昧に返事を返すことしかできないでいた。

 馬から降り、震える足を叱咤しながら後に続く。森の奥へと足を進めるも、落ち着かないフランセスはつい気になったことを口にした。それは先程魔物に襲われた、男子学生の状態だ。


「彼は?」

「無事ですよ。怪我はしていますが。今手当を受けています」


 手当と聞いて、フランセスは驚いた。いつの間に彼を助けて、手当まで受けさせたのかと疑問に思う。


「話は後にしましょう。まずは他の者達と合流を」

「ああ」


 色々と聞きたいことがあったフランセスだが、まずは他の兵達と合流するべきだろうと思い、素直に頷いた。

 

 森の奥へと少し入ったところで、数人が固まって座り込んでいるのが見えた。今案内をしてくれている士官学校生と同じ制服を着ていることから、全員が士官学校生なのだと理解した。その数人の中に、一緒に来た男子学生を見つけ、フランセスはそのまま彼へと歩みを進める。


「左足を骨折していますが、命に別状はないでしょう。ここへ運ばれて直ぐ、意識を失ってしまい、内臓系の損傷は判断がつきませんが」


 彼の直ぐ近くで、腰を下ろしていた生徒が彼の状況を説明する。それに「世話をかけた」とフランセスは頭を下げた。ぐるりとここにいる士官学校生へと顔を巡らせると、フランセスは漸く落ち着きを取り戻した。


「私はフランセス・バラクロフだ。今回の討伐に参加するためにここへ赴いた」


 士官学校生達はフランセスが討伐隊の一員なのだろうと予想は出来ていたが、武官の名門である高位貴族の令嬢が今回の討伐隊に加えられたことに、驚きを隠せないでいた。いくら後継ぎでないにしろ、令嬢ならば嫁ぎ先によっては如何ようにも使い道はあるはずだからだ。それを死地へと向かわせたバラクロフ家の非情さに、同じ武官の出の士官学校生達は言葉を失った。


「……申し遅れました、私はキース・プラチフォードです」


 全員がフランセスの自己紹介に呆然とする中、いち早く立ち直ったのは、フランセスをここまで案内してきた士官学校生だった。キースは高位貴族であるフランセスに、深く腰を折り、自身の名を口にした。


「プラチフォード……セラフィーナの弟か」

「はい、バラクロフ様のお話は、よく姉から聞いております」


 よく見れば、セラフィーナに瓜二つだと、フランセスは改めてキースの顔をじっと見つめた。髪と双眸はセラフィーナと同じ銀色だが、そこに人間らしい表情が加わったことで、セラフィーナの肉親だという認識には至らなかった。

 いつも見てきた友人の姿とよく似たキースは、セラフィーナと同様にとても整った顔立ちをしていた。そして感情豊かなその表情に、戸惑いが生まれる。キースの顔が人形のようなセラフィーナと重なり、違和感を通り越し、不気味にさえも思えていまっていたからだ。だが今は、そんなことを気にしている場合ではないと、フランセスは表情を引き締める。


「今の状況を説明しますと、魔物を結界内に閉じ込めるという任務は成功しました」


 キースの言葉に、フランセスはひとつ頷き返した。先程魔物の中を馬で走り抜けたフランセスには、その言葉は納得できるものだった。だが、疑問はどんどんと膨らんでいく。それでもまずは、礼を言うべきだろうと頭を下げた。


「危ないところを助けてもらい、感謝する」


 簡潔にそう述べて、直ぐに顔を上げたフランセスは矢継ぎ早に疑問を口にした。


「何故、私は無傷なのだ? 私は魔物の群れの中を馬で駆けて来た。だが魔物に襲われることもなく、ここまで辿り着いた。それは何故なのか、まずはそれから聞きたい」


 何から聞いていいのか分からず、とりあえず、どうやって助けられたのかを聞く。


「恐ろしい思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。話をする前に、とりあえず、回復薬を飲ませて頂きたい」

「キース、すまないが、回復薬はもうない。彼へ使ったのが最後だった」


 士官学校生の一人が申し訳なさそうに眉を下げた。意識を失い、静かに横たわる男子学生を見て、キースは「そうか」と肩を落とした。その表情に焦りと、絶望が見て取れて、フランセスは今が危機的状況なのだと悟った。不安げに見つめてくるフランセスに、キースは詰めていた息を吐き出し、静かに言葉を零した。


「順を追って説明します」


 そう言いながら、フランセスが手にしている馬の手綱を引き取り、近くの木へと結ぶと、その木の根本へと腰を下ろした。その様子に、フランセスも近くにあった木へと背を預け、腕を組む。それを見届けたキースは、徐に話を始めた。


「私達がここに到着したのは、昨夜、随分と遅い時間でした。軍での作戦は、今日の朝早くに、結界を練り上げることから始まるはずでした。ここに集められたのは士官学校の二回生、十二名のみ。全員が魔道科の生徒です」


 フランセスが士官学校生達に目を向けると、目礼される。それに応えるようにフランセスも目礼した。未だ彼らの自己紹介を受けてはいないが、それよりも先に、今の現状を確認したかったフランセスは、直ぐにキースへと目を戻した。


「結界を張り始め、暫くして、魔物に襲われました。全員で円を描くようにして立ち、巨大な結界を練り上げている最中でした。当然のことながら、結界は完成していませんでした。魔物が襲来した際、その近くにいた生徒は吹き飛ばされ、それに気づいた他の生徒も直ぐに持ち場を離れ、逃げました。巨躯の割に素早く動く魔物達に、出来る限りの応戦をしましたが、大穴から出て来た魔物に通用する筈もなく、我々は窮地に立たされました。ですが、不幸中の幸い、結界の外枠は既に出来上がっていました。その結界内を、空間魔法で亜空間へと変え、こことの空間を切り離しました。それにより、何とか魔物をその亜空間へと閉じ込めることが出来ました」


 一旦ここで話を区切ったキースに、堪らずフランセスは問いかける。


「亜空間とは? 空間を切り離す……そんなことが可能なのか?」

「はい、可能です。あの結界内はここの空間とは別次元です。あの結界内に入った瞬間に入ったものを亜空間へと閉じ込める仕組みになっています。バラクロフ様と馬にはこちらの次元へ留まるよう、魔法をかけましたので、バラクロフ様が馬で駆けていた際も、姿はお互いに見えていても、触ることは出来ませんから無事にここまで辿り着けた、という訳です」

「では、貴殿のあの消えたり現れたり、身体が魔物の攻撃をすり抜けたりしたのも、その空間魔法によるものか」

「はい、その通りです」


 最初のフランセスの疑問に答えた形になり、キースはホッと息を吐く。それでも今の状況がどれほど危険な状態なのかを話さなければと、気を持ち直す。


「バラクロフ様たちと合流を果たす前に事に及んでしまったことは、申し訳なく思います。それに、全ての魔物を捕獲出来ず、残った魔物の捕獲に追われて、一人犠牲者を出してしまったことは、本当になんとお詫びをしていいのか」


 頭を下げるキースに、フランセスは大きく首を振る。


「この状況で、詫びなど必要ないだろう。そもそも私たちは死ぬためにここへ来たのだしな」


 自嘲気味にそう言えば、キースの表情が酷く悲痛なものへと変わった。セラフィーナの顔が被り、フランセスは何とも言えない気持ちになる。そんな気持ちを払拭したいと、新たな疑問をキースへとぶつけた。


「魔道科の者ならば、探知魔法も使えるのだろう? 何故魔物の襲撃に気付かなかった?」


 この近くに魔物が潜んでいるとあたりを付けたのは、軍の魔導士達の筈だ。それは当然、探知魔法で居場所を確定したのだろうと思っていたフランセスは、いくら学生でもそれくらいは出来るのでは、と疑問を呈した。


「探知魔法には掛らなかった、と言えばいいのでしょうか。実は、我々もよく判らないのですが。もちろん、結界を張る際には守りが手薄になってしまいますので、探知魔法は広範囲に展開していました。が、どの魔物も掛かりませんでした。気づいた時には、もう魔物の襲撃を受けていました」

「そ、そうか……だが、ここに魔物がいることが判ったのは、軍の魔導士の探知魔法によるものではないのか?」

「恐らくですが、魔物に襲撃された村々から軍に情報が寄せられたのだと思います。それで魔物の位置やどこに向かっているのかを予想して、兵を配置しているのだと思います。魔物は人間の匂いを嗅ぎつけ襲いますから、近くに兵が来れば必然とそちらに向かうでしょうし」


 通信用の魔石は個人でも所有している者は多い。貴族でなくても少し裕福ならば持っているというのが当たり前になってきた昨今、情報はどこからでも手に入る。今のこの状況とて、既に軍は知っている筈で、後は魔物を退治すべく、救世主の到着を待つばかりなのだろうと、フランセスは結論付けた。だがそこで、がさりと大きな音がしたことに、フランセスは大きく肩を跳ねさせ、警戒した。


「報告がある」


 森の奥の方から、人が歩きながら声を掛けてきたことに、フランセスは酷く安堵した。ここ以外に人がいたのかと、余計に気持ちが楽になっていた。


「どうした?」

「衛生部隊との連絡がつかない」


 その場にいた全員の顔が強張る。


「部隊と言ってもたったの二人だろう? 馬を駆っていて気づかない可能性もある」「ああ、そうなんだが、定期的に通信を入れると言っていたんだ。それなのに、待機していた教会を出てからは一度も連絡がない。もう一時間になる」

「一時間……」


 重い空気が流れた。誰しも何かあったのではないかと、不安になる。


「あの教会からここまでは、そんなにかからない筈だが……」

「怪我をした者の容態は、今のところは落ち着いている。だが、このまま朝までとなったら、流石に厳しいだろう」

「それはもちろんそうだろう。私もそろそろ魔力が尽きる。そうなれば、あの結界内の魔物達を抑えることが出来なくなる」


 万事休すといった雰囲気に、フランセスはふと思い出した。それは、自分と一緒に来た男子学生に使った回復薬が、最後の一本だったのだということを。恐らく近くに待機していた衛生部隊に、回復薬を持ってきてもらう算段をしていたのだろう。こちらの討伐隊が全滅したときはそのまま撤退する予定だったのだろうが、作戦が成功し、回復薬が必要になり、合流する予定だった。だが、その衛生部隊が到着しないことに懸念を抱いている。そんなところだろうとフランセスは考えた。

 実際、今回の討伐隊は全滅しても可笑しくはないのだ。希少な治癒魔法を使える衛生部隊員をわざわざ討伐隊に最初から合流させることは愚策としか言いようがない。だが、その衛生部隊が来ないと分かった今、ここには絶望しか存在しない。


「元帥の情報は来ていないのか?」


 一縷の望みをかけてそう言ったキースに、無情にも報告をして来た士官学校生は緩く首を振る。「そうか」と項垂れたキースは、しかし、直ぐに顔を上げ、皆を安心させるように小さく笑みを零した。


「大丈夫だ。まだ手はある。少し時間がかかると思うから、向こうにいる皆を、こっちに連れて来て欲しい」

「ああ、まあ、それはいいが……どうするつもりだ?」


 怪我人を無理して動かすのは得策ではないとキースも十分理解しているが、そうも言っていられなくなり、申し訳なさそうにそう告げる。一塊になるのも少し不安が残るが、魔力が枯渇する前に動かなくてはと、決断した。


「まず、魔物の結界内の空間を解除する」

「えっ!」

「大丈夫だよ。あちらを解除して、私たちのいるこの場所を空間から切り離すんだ。正直、あの巨大な空間を維持するよりも、私達を小さな空間で取り囲んだ方が、時間が稼げる。それとなるべく魔物をこちらに引き付けておく必要がある。こちらの姿は魔物にも見えているから、ここに餌があると認識できれば、ここに留まらせることが出来るだろうし。幸い、大穴から出て来た魔物は集団で行動するらしいから、回復薬が届くまでは、何とかそれで持たせよう」

「回復薬が届くまでって……どういうことだ?」

「私の姉も空間魔法が使える。だから、姉に届けてもらおうと思う。幸いなことに、私の父は薬学部の責任者だしな」


 こともなげにそう言ったキースに、一同が唖然としてしまう。だがここで、フランセスが悲鳴のような声を上げた。


「何を言っている! こんな危険な場所に、セラフィーナを寄越すというのか!」「我々が助かるためには、仕方がありません」


 全員を見回し、キースが神妙な面持ちでそう告げれば、フランセスもまた一人一人に目を向けた。ここにいるほぼ全員が怪我を負っている。目を負傷したのか、片目を覆うようにして巻かれた包帯が、血で真っ赤に染まっている者、腕に添え木をしている者、脇腹を庇うように座っている者と様々だった。きっとこの奥にいる者達もそうなのだろう。何とか命を繋いだ者達を助けたいという気持ちはフランセスにも痛いほどに伝わってくる。それでも、軍属でないセラフィーナを巻き込むのは間違っているのではないかと、頭が理解してくれない。


「姉も私と同様、魔物の攻撃を受けてもすり抜けてしまうし、空間を切り取ることもできます。それに、回復薬を届けてもらったら、直ぐに帰ってもらいますから。まずは、ここにいる皆で生還することだけを考えましょう」

「違うだろう。生還することが我らの任務ではない。元帥がここに来るまでの、魔物の足止めが我らの任務だ」

「ああ、そうでしたね。ですがそれも、私の魔力あってこそですから」


 緩く笑みを作り、フランセスに一礼すると、キースは負傷者のいる森の奥へと足を進めた。それに続いて、他の生徒たちも奥へと入っていく。それを呆然と眺めながら、フランセスはただその場に立ち尽くしていた。


 全員がこちらに運ばれ、魔物からしっかりと見える位置に一塊になって腰を下ろす。フランセスもその輪に加わり、ざっと辺りを見回した。

 ここへ派遣された士官学校生は全部で十二名。その全員がここにいることに、誰一人欠けることなく生き残ったのだと初めて知ることができた。キースの言った、『皆で生還する』という言葉の重みを強く感じながら、これからのことを考える。今すぐに救世主が現れれば、事態は一気に好転するのにと、そんな淡い期待を抱きながらも、一人魔物達のいる結界へと足を向けたキースの背中を見つめた。

 

 魔物達の咆哮が一段と大きくなったことで、この場の全員が結界内の空間が解除されたのだと理解した。そしてその後直ぐにそれはまた小さくなる。こちら側の空間が切り離されたのだと全員が理解し、安堵の息を吐く。

 ゆっくりとした足取りで戻って来るキースの後ろには、沢山の魔物がひしめき合っていた。空間が切り離されたギリギリの場所に立っているらしいキースは、魔物を挑発するように氷の魔法を繰り出した。命中するも全く効果のない魔法は無残に散らされてしまう。だが、魔物の気を引くには十分だった。咆哮と共に、突進して来た魔物達は何度も攻撃を繰り出す。だがそのどれも身体をすり抜け、素通りしてしまう。

 巨躯の魔物の群れに取り囲まれ、生きた心地のしない面々の中には、失禁したり、気を失う者も出ていた。フランセスもまた、余りの恐怖に目を強く瞑り、身体を縮こませていた。


 そこへ、小さな声が聞こえた。


「持って来ました」


 その声に、いち早く気づいたのはキースだった。


「姉上、ありがとうございます」


 未だ魔物の群れの中で立っていたキースは、セラフィーナの姿を認めると、直ぐに駆け出し礼を言った。おぞましい光景の中、どこからともなく突然現れた少女に、一同は目を瞠る。しかもこの状況に全く動じていない姿に、不気味ささえ感じていた。


「報告があります」


 相変わらずの無表情に抑揚のない声で、セラフィーナが静かに告げる。魔物達の咆哮の中でも、彼女の声がしっかりと届くことに違和感を覚えながらも、フランセスは目を開け耳を傾けた。


「回復薬が盗まれました」

「え?」

「倉庫内のもの全て。それと、各地に運搬中だった衛生部隊の回復薬も奪われたそうです」

「まさか……」


 恐らく、ここに来るはずだった衛生部隊の二人も盗賊に襲われたのだろうと、キースは結論付けた。


「奇跡の実をお持ちしました」

「ああ、助かります」


 セラフィーナの腕にかけられた籠には、たくさんの奇跡の実が入れられていた。その小さな実を一つ手に持ち、キースはそのまま口へと運ぶ。魔力が満たされる感覚に、ホッと息を吐き出した。その様子を見ながら、セラフィーナは籠をキースへと渡すと、スッとフランセスの方へ顔を向けた。


「ご無事でなによりです」


 深々と腰を折るセラフィーナは、心の底から安堵していた。今回の討伐隊に急遽徴兵され、教師からの説明では、もう二度と会えない可能性も示唆された。そしてセラフィーナのみならず、学園の生徒全員が驚き、悲嘆した。それが今、この状況下ではあるものの、再会できたことはとても喜ばしいことだと、セラフィーナはただただ嬉しかったのだ。


「セラフィーナ……」


 魔物の咆哮や暴れ回る姿が、視界に映る。それでも、非現実的なこの状況で、いつもの日常がほんの少し垣間見えたことに、フランセスは泣きそうになってしまっていた。早くこの地獄から抜け出したいと、覚悟など出来ていなかった心が悲鳴を上げる。そんな縋るようなフランセスの視線を遮るように、キースはセラフィーナの直ぐ前に立ち、目を合わせた。


「姉上、ありがとうございました。ここは危険ですので、すぐに立ち去っ……」


「セラフィーナ!!」


 だがここで、キースの言葉は大きな声で遮られてしまう。

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