第十二話

 どんよりとした空からは、今にも雨が降り出しそうだった。


「領主様、魔物の数は数百を超えているという情報が入っています!」


 西の国境近くに急に湧いて出た魔物達は、もう、すぐそこまで迫っていた。大量の土煙を上げ、目視でも確認出来るほどの距離まで来ているにも関わらず、それを迎え撃つほどの軍隊は用意出来ないという。


「真っ直ぐこちらに向かって来ています。このままでは国境を越えて我が国は襲撃されてしまいます!」

「ああ、わかっておる。救世主様以外にはこの危機を救うことは出来ないだろうて」「軍の方には出動要請はかけてはいますが、間に合うかどうか」

「聞いていなかったのか? 軍が来たところで、皆殺しじゃ。覚悟を決めろ、もう誰も助からん」


 そう言って息を吐き出した老人は、目を閉じた。どこへ逃げようと、死は免れないと覚悟を決める。その様子を見ていた従者も、震える身体を縮こませ、余りの恐怖にギュッと目を閉じた。じっと目を閉じていたせいか感覚が研ぎ澄まされ、地響きが身体に伝わって来る。恐怖は募り、ただ祈ることしか出来ないでいた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「元帥、西の国境より救援要請です! 既に一つの村が魔物に呑まれ、被害が拡大しています」

「⋯⋯」

 

 慌ただしく救世主のいる執務室へと入室した部下、エグバートが報告をする。だが救世主は書類から顔を上げず、何も反応を示さない。だがこれはいつもの光景なのでエグバートは特に気にもせず、報告を続けた。


「魔物の数は数百にのぼるそうで、軍の方では対処しきれず、後退を余儀なくされています」


 すっと顔を上げた救世主は無言のまま、部下を睨みつける。だがこれもいつものことなのでエグバートは救世主の目をジッと見返した。


「今からか?」

「はい、緊急要請です!」


 渋々といった感じで言葉を絞り出した救世主に、エグバートは即答する。いつもならばその言葉が出た時点でこのやり取りは終了し、現場へ向かう流れになる。ホッと息を吐き出したエグバートは、今回に限り、なかなか腰を上げない救世主に困惑した。

 懐中時計を取り出し、時間を確認する救世主。もうじき夕刻になる。エグバートはそう考えながら、今夜の食堂の献立を思い浮かべた。救世主の好物でも出るのだろうか?などと首を傾げたエグバートは、控え目に声をかける。


「元帥、夕食は後にして頂いても?」


 その言葉に救世主は良い顔をしなかった。別に夕食は後でも構わなかったのだが、そんなに食い意地は張っていないと目だけでエグバートに訴える。

 それよりも救世主はいつ帰れるかの心配をしていた。明日はまたセラフィーナの元へと向かうつもりだった。今日仕入れた薬学部の研究発表の話題を会う口実にして、感情の変化について探りたいと思っていた。

 今から討伐に向かい、殲滅したとしても、様子を見るために一晩はそこに滞在しなければならない。何事もなくそのまま終われば昼前には帰って来れるだろうが、問題が発生すればその分長引いてしまう。それを懸念してか、救世主はなかなか腰を上げられなかった。


「元帥、どうか……」


 懇願するエグバートに、一つため息を零し、救世主は重い腰を上げた。救世主はエグバートに目配せをし、西の国境へと転移魔法を発動した。

 

 一回の転移で西の国境へと辿り着いたことに、エグバートは驚きを隠せないでいた。だが、そんな驚きも、今現在、目の前に広がっている光景の前では霞んでしまいそうになる。



「大穴が……」


 エグバートの呟きには、恐怖が滲み、酷く掠れたものになった。空を仰ぎ、呆然と立ち尽くすエグバートを、救世主は責めることは出来なかった。

 曇天の一部分に真っ黒な大穴が開いていた。歪な形のその大穴は、周辺の村を一呑みしそうなほどに大きく、霧のような黒い瘴気を撒き散らし、時折そこから魔物が降ってくる。既に大量の魔物がそこから放たれたのだろう、風に乗って鉄の匂いが届いていた。


「どうなってやがる」


 救世主もまた驚く。大穴が開く原因が分からず、困惑した。

 彼の大国が滅びた原因も大穴が開いたせいではあったが、それには明確な理由があった。彼の大国は国民から多大な税を取り立て、王族並びに貴族たちが私腹を肥やし、贅の限りを尽くしていた。国民は貧困のため次々と飢え命を落とし、大国でありながら国力はどんどんと削られた。各地には国民の遺体がそのまま放置され、死の国と言われるまでになる。その現状に救世主が切り込み、国王の退位を求めるも応じず、負の感情が最高潮に達し、大穴が開いたのだ。

 当然のことながら、救世主はその大国を見捨てた。既にどうしようもない状態であったし、愚王を助けるつもりも、これ以上民を苦しめたくもなかった。そんな救世主の思いは、他国へは届かず、真実は大きく湾曲し、ただ救世主が大国を見捨てたことのみが語られている。それについて、救世主は特に否定もしなければ是正もしなかった。説明するのが面倒だからという理由で。


「前回の大穴は空ではなかった筈です。歴史書の記述にも空ではなく、前回同様に大地に開いた筈です。これは一体どういうことなのでしょうか」

「さあな。実際大穴の記述なんざ二件しか書かれてないんだろ? しかも百年に一回の頻度だ。それが一年でまた大穴が出現したとなりゃあ、何かが起こってるってこったろ?」

「何かとは、何でしょうか?」

「それが分かってりゃ、こんなに驚きはしねえよ」

「……」


 エグバートは黙り込む。救世主の言う『何か』を懸命に考えるも、この事態に頭は回らず、焦燥感に苛まれた。


「取り敢えず、色々考えるのは本隊と合流してからだ」


 西の国境は既に破壊されていた。魔物の姿はなく、この近辺の村へ向かったことは明らかだった。大穴から降ってくる魔物は数は多くないがまだいる。いつここに辿り着くかは分からないが、先ずは軍の本隊と合流し、現況がどうなっているのか確認しなければならなかった。救世主は軍の本隊はもう少し内陸側に陣営しているとみて、もう一度、転移魔法で飛んだ。


「元帥! お待ちしておりました!」


 救世主の姿を認めると、士官の一人が大きな声を上げた。今ここに、救世主が現れたことを皆に認識させるためだろう。それでも、漸く来てくれたという気持ちのほうが大きいのか、その声には喜色が滲んでいた。


「おう、状況は?」

「今現在、魔物は国境付近の村で、魔導師たちが結界内に押し留めています」


 魔物達を魔導師達が抑えられているのは、偏に救世主が提供した魔石のおかげだ。その魔石は魔力を数百倍に跳ね上げる効果がある。だが、長くは持たないというのが難点だった。


「結界を張ってどれくらい経つ?」

「既に一時間以上は経過しています」

「そうか」


 もう猶予はないだろうと、救世主は魔導師達の結界内に、転移魔法で飛び込むことにした。魔力を探査し、居場所を確認する。既に崩壊し始めた結界内の中心に転移し、救世主自身が新たな結界を張り直した。魔導師達が新たな結界の存在に気付き、全員がその場に膝をついた。もう限界だったのだろう、意識を手放す者もいる。

 結界内は噎びかえる程の悪臭が漂う。血の匂いと臓物や汚物、魔物の独特な匂いとが混ざり、救世主は顔を顰めた。それらを一気に浄化させるべく、救世主の足元に巨大な魔法陣が描かれる。赤く染まる魔法陣から放たれた光の粒子はその場にいたすべてのものを消し去った。それは一瞬の出来事で、気づけば全てが終わっていた。報告では数百の魔物と聞いていたがその数は百も行っていないことに疑問を抱くも、今はそれよりも懸念すべきことがある。


「問題は大穴だな」


 空を仰ぎ見る救世主は、考え込む。大穴が開いた原因が分からない以上、あれを潰すのは待った方がいいのではないかと。それでも、時折降ってくる魔物は、数は多くなくても野放しには出来ない。そうなれば自分がここに残らなければならなくなる。


「面倒だな……」


 セラフィーナの顔を思い浮かべながら、救世主は大穴を睨む。そこへ、士官が慌てた様子で駆け寄って来た。


「元帥、大変です! ここより南に少しいったところに、第二の大穴が出現しました!」

「……本当に、どうなってやがる」


 苦々しく呟いて、救世主はまた大穴を睨みつけた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 同じ日に二つの大穴が出現したことに、南大陸中の国々が激震した。


「今回の大穴は、二つとも空に出現しました。また一年程前の大穴出現時には、王宮魔導師の先見の出来る者が予言をしておりましたが、今回は全くそのような兆候は見られなかったそうです。そして原因も未だ掴めていません」


 王宮の一室、少し大きめの会議室で、国の重鎮たちが顔を突き合わせ、唸っていた。


「原因が分からないため、これからもまた、第三、第四の大穴が開く可能性があり、各国では厳重な警戒を呼びかけています」


 神妙な面持ちで報告を終えた軍の総司令官であるグレアムは、手にした書類を机に置き、息を吐き出した。他の面々の表情も堅く、何の解決策も見いだせないまま、重く暗い時間だけが過ぎて行った。


「救世主殿は何と?」


 漸く口を開いたのは、この国の王である国王陛下だった。


「特には何も。原因究明を急げと命令されたのみです」

「大穴はもう二つとも塞いだのだったか?」

「はい、元帥がどうせまた直ぐに別のが現れるだろうからと、早々に二つとも塞いでしまわれました」


 実際大穴があったとて、調べることなど不可能に近い。大穴からは常に濃い瘴気が吐き出され、近付こうものなら直ぐに命を落としてしまう。しかも今回は空ということもあり、調査は遅々として進んでいなかった。


「浮遊魔法を使える者も僅かですし、途中まで近づくにしてもどこまで瘴気の影響があるのかわかりませんので、知らずの内に瘴気に当てられ、墜落してしまう危険性もあります」


 このまま何も出来ずに大穴の数が増えた場合、一体どうなるのだろうかと、最悪の事態を国王は想定する。


「これからも大穴が開くとして、救世主殿が全ての大穴を塞いでくれるだろうか?」


 国王の言葉に沈黙が降りる。今後、毎日のように大穴が開いたとして、救世主がそれを律儀に塞いでくれるような善人ではないことは、ここにいる全員が理解していた。


「救世主殿の伴侶探しはどうなっている?」

「推薦した令嬢達は全て『気に入らない』との返事を受けています。その後については進展は何もありません」


 兼ねてより、救世主の機嫌を取る方法を模索していた一同は、一縷の望みに賭けていた。それが救世主の伴侶探しだ。意外にも、救世主は一度懐に入れた者に対しては、随分と寛容な態度を取っていた。側近であったハドリーが『ああなって』からは随分と心を痛めていたと、もう一人の側近から報告が上がっている。

 そんなこともあり、気に入った相手でもいれば、その者の言うことならば聞いてくれるかもしれないと、淡い期待をしてみたのだが、結果は無残なものだった。


「そうか……」


 打つ手なしと、誰もがうなだれた。大穴が開く原因が分かれば少しは救世主の機嫌も取れただろうが、手掛かりすらなく会議などと銘打っていても、ただの状況報告でしかない。


「今後は救世主殿の動向次第で全てが変わってくる。大穴を塞ぐ方法が見つかれば随分と違ってくるのだがな」


 チラリと宰相の方へと顔を向けた国王に対し、宰相は厳しい表情を崩さない。


「それも難しいかと。救世主様のように空間魔法で塞ぐにしても、魔力量が足りないでしょうし、そもそも空間魔法を使える者は皆無です」


 予想通りの返答に、国王は肩を落とす。実際、大穴に近づくことさえ出来ないのに、塞ぐ方法など見つけることは不可能だった。

 少しの沈黙のあと、扉を叩く音が聞こえ、近くにいた衛兵が対応する。誰もがまた新たな大穴が開いたのではないかと緊張するなか、一枚の紙を手にした文官が細く開いた扉から宰相へと目配せをした。嫌な予感を覚えつつ宰相が重い腰を上げ扉まで辿り着くと、文官が小声で報告をする。その内容は余り有益ではないものの、今この場で共有しておくべきことだろうと、足早に宰相は自分の席へと戻った。


「たった今入った報告によりますと、今回の大穴と同様の、空に大穴が出現した現象が、二十八年前に東大陸にて観測されていたそうです」


 その報告の重要性は分からなかったが、重鎮の一人が質問を投げかけた。


「その当時、大穴が開いた原因は突き止められたのでしょうか?」

「いえ、原因は分からず仕舞いだそうです」

「では、当時それ以外にも大穴が開いたという報告はありますか?」


 今回は二つ開いていることから、その時も複数大穴が開いたのではないかと推察した。


「いえ、一つだけのようです」

「その大穴はどうやって塞いだのですか?」

「それが、突然消えてしまったと、史実には書かれていたそうです」

「消えた? 突然?」


 意外な答えに、ざわりと全員がどよめく。もしも今回も同じように消えるのならば、救世主に頼む必要がなくなると少しばかりこの場の空気が軽くなった。


「消える瞬間を目撃した者はいるのですか?」

「はい。大勢いたそうです」


 だがその話しに、宰相は首を傾げる。大穴が自然に消えるものなのだろうかと。百年前の史実を慎重に思い出す。その時は大きな国が二つ滅び、五十人ほどの魔導師達の命と引き換えに大穴を塞いだと書いてあった。百年前と違うのは、大穴が開いた場所だ。空と大地の違いで大きく異なる何かがあるのではないかと考え込む。


「もし次に大穴が開いたとして、自然消滅するのかを試すのは、流石に無謀だと思うか?」


 国王の問いかけに、一番に口を開いたのは軍属のグレアムだった。


「それこそ元帥次第でしょうか。元帥が大穴を塞がないと言えば我々にはどうすることも出来ないのですから、その時は試す試さないの話ではなく、自然消滅を願う他ありません」

「では、自然消滅を試す旨を救世主殿に話し、消滅しなかった場合には大穴を塞いでもらうというのはどうだろう」


 やってくれるだろうかと、国王はグレアムに疑問を投げかけた。だが返って来た答えは誰もが予想した通りのものだった。


「それもまた、元帥次第でしょう。元帥が面倒がって協力しないというのが濃厚でしょうが」

「ただ塞がるのを待つだけなのにか?」


 大穴の開いた前線を、全く理解していない重鎮の一人が口を挟む。その質問に、グレアムは冷静に答えた。


「待っている間にも、大穴からは魔物が湧いて出て来ます。それを退治出来るのは、元帥のみです。大穴から湧く魔物は、通常の魔物よりも数十倍強いですから。並の人間では太刀打ち出来ません」


 場が静まり返る。結局のところ、救世主以外にこの危機を救える者はいないのだと改めて気付かされ、また重い空気が流れた。


「見放されないよう媚を売るしか、助かる道はないということか」


 呟くように紡がれた言葉に、誰のものかわからない溜息が重なる。


「会議はこれで終了だ。救世主殿には二十八年前に空に大穴が開いたことの報告をしておけ」


 そう言って立ち上がった国王に、重鎮達も起立し頭を垂れた。何の解決も見い出せず、部屋を後にした国王に、重鎮達の不安は増すばかりだった。



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