誕生日に豆を食べよう

誕生日。自身がこの世界に産み落とされた日。

古くは創世主であるイエス・キリストが対象になっていたといわれているらしい。この日本で誕生日を最初に祝うようになったのは、一説では織田信長という武将が、自身を神格化させるために祝わせたのだとか。当時はあまり庶民の間では浸透しなかったが、最近では多くの人に親しまれている日だ。

誕生日への考え方は人それぞれだと思う。誕生日が来ることが待ち遠しい子供たちがいれば、それを祝おうと楽しみにしている親たちもいるだろう。一方で、年齢を重ねることを何とも思っていない者や、逆に老いることに対する悲しみを感じる者もいる。だがいずれにしろ、人間にとって誕生日というのは、捉え方や感じ方はさまざまあれど、一年における一つのイベントであることに変わりはない。

そんなイベントの日。

私は、便所にこもっていた。

私も、この祝うべき日に便所にこもりたいわけではない。だが、便所にこもっているのは訳があるのだ。

私は今、人間の友人とともに、誕生日のお祝いをされている。私自身は、もう長いこと誕生日を祝ってこなかったし、あまり気にしてこなかったが、せっかくこっちの世界に留学してきたんだからと、友人が祝ってくれたのだ。その時友人が教えてくれたのだが、私の誕生日は、人間の暦でいうところの、「節分」と同じ日なのだそうだ。

古くは「追儺」という鬼払いの行事が元となっており、それが長い時間をかけて庶民の間に広まったらしい。私がいたところでは鬼というのはいなかったが、人間たちは人間の想像を超えた恐ろしい出来事を鬼の仕業と考え、それを払うために豆をまいたのだとか。鬼を払うのが何故豆なのかという点で腑に落ちなかったが、その理由は友人もよく知らないらしい。ただまあ、郷に入れば郷に従えという言葉もあることだしと、私はその行事を大いに楽しんだ。

節分では、豆まきのあと、豆を食べるのだと聞いた。私は普段豆を食べないから、少々楽しみでもあった。私は人間の友人に聞いた。いったいどれくらいの数を食べればいいのだろうか。

自分の年齢と同じ数だと初めて知った。

地獄が始まった。

食べても食べても減った気がしない。一粒ずつでは絶対に終わらないと、一気に10~20粒くらい口の中にほおりこむも、気休め程度にしかならない。友人は、無理しなくていいよと言ってくれたが、せっかく初めての節分なのだから、最後まで食べきりたいと意地をはった結果、便所にこもることになってしまった。

人間世界の行事というのはよいものであるが、時に我々にとっては恐ろしいものもある。そんなことを知った、エルフの留学生(年齢約2200歳)なのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る