第3話
「今日はお前に、愉快な知らせを持ってきた」
「…………はい」
相変わらずの無表情で聖女は頷く――三食ほどよく食べさせられている影響で、以前よりややその頬は膨らみを帯びていた。
しかし未だに痩身のうちである。公爵からは食指が動かぬと言われ、凌辱まではされていない。今日も喰わされ飲まされた肉と野菜と鳥の卵と牛の乳が、その日までの砂時計の砂を確実に落とし続けてはいたが――
「教会での、お前の世話係の男がいたであろう?」
「…………はい」
公爵の男は赤銅色の髪の下、嗜虐心を顔に滲ませ告げる――今日こそは、この女の表情が歪む姿を見られるだろうと。
「どうやら随分と甲斐甲斐しく、お前に尽くしていたようではないか? 先日、お前の入浴の手伝いをしている侍女に聞いたのでな。――すぐにその男を捕らえ、首をギロチンで刎ね落としてやったわ!」
「…………はい」
「見物だったぞ? 恐怖に怯え失禁し、命乞いをする様は。――お前のことなどもうどうでもよいと、だから命だけは助けてくれと、涙を流して叫んでおったわ」
「……そうですか」
「どうした? ……チッ、笑え。命令だ」
反応の薄い聖女の様子に、目論見の外れた公爵は不機嫌そうに舌打ちをする。鋭い声音で強要されて、白銀髪の少女はピクリと頬を痙攣させた。
しかし、その顔は笑っているようには見えない。左右色彩違いの宝玉の瞳は、やはり虚ろなままであった。
「なんだそれは? それで笑っているつもりなのか?」
「……笑い方を、知りませぬ」
「フン。つまらぬ女だ。――俺が奴を殺したことで、なにか言いたいことがあるのではないか?」
「……いいえ」
「恨みつらみも、なにも無いと?」
――聖女はゆるりとかぶりを振った。
「……聖女がそのような感情を持つことは、主である神が認めません。教義で禁じられておりました」
「それもあの男が教えたのか?」
「…………はい」
聖女が小さく頷くと、公爵は心底不愉快そうに眉をひそめた。低い声音で彼女へ告げる。
「言っただろう。ここでは俺がお前のあるじで、そして俺の言葉こそが〝教義〟であると。――あの男に教え込まれたことは、すべて忘れ去るしかないと心得よ」
「…………わかりました」
「……チッ、まあいい。これでもう、お前を鞭で打つ者はこの世にいない。今夜はせいぜいぐっすり眠れ。お前には、うなされる権利もありはしないのだ」
「………………はい」
今にも消え入りそうな声で聖女が公爵に返事をすると、彼は本日は彼女の真名を聞き出そうとはせずに、足早に〝籠〟を出て行った。
ひとり残され、聖女は虚ろな眼差しで格子窓を見上げる。
「…………うなされて、おりましたか」
――時刻は既に夜半である。
月の光が、少女を柔らかく照らしていた。
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