モブしか勝たん! お前らが俺にデレデレなお嫁さんになるって本当なの?

広ノ祥人/MF文庫J編集部

プロローグ

 目を開けると、俺は結婚していた。

 そう思ったのは、左手の薬指にはめられていたオーバルリングの存在に気付いたから。

「なんだこれ?」

 まるで身に覚えがない。こんなお門違いな代物、寝る前には存在しなかったはずだ。

「で……ここは一体どこなんだよ?」

 上体を起こし、朧気な眼で辺りをきょろきょろ見回す。どうやら俺が寝ていたのはソファの上みたいだが……。

 ようやく冴え始めた視界に広がるのは、正面の液晶テレビにシックなテーブルを筆頭にした、ごく一般的でどこにでもあるようなリビングの風景。でも、その景色が慣れ親しんだ我が家などではなく、全く身に覚えのない場所だったことに心がざわつく。

「…………あれっ?」

 と、テレビ画面を直視した瞬間、俺は自分に起きていたある異変に気付いて固まった。

 画面越しにぼんやりと見える自分の顔が、俺でいて俺ではなかったのだ。

 何かいつもより妙に貫禄が増してるというか、ちょっと大人っぽくなってない?

 それは、俺が知り得るこうさかかいという存在──つい先日高校二年生に進学したばかりの、齢十六でまだ結婚年齢も満たしていない、華の男子高校生の容姿ではなかった。

 二十歳は軽く超えていそうというか、この見た目なら酒やたばこを悠々と買えてしまいそうだ。逆に誰にどう訴えても、俺が高校生だとは信じてもらえなさそうだな。

 現実から逃避するように自嘲した俺が次に目を向けたのは、テーブルに置いてあった新聞紙。どんな小さなものでもいいから何か情報が欲しい。その一心で新聞紙を手に取り、ぱらぱらと捲って目を通す。政治、スポーツ、芸能、そのどれもが俺の全く知らない未知の話題ばかりで、心音が不安を訴えるように加速する。そして、俺は再び驚愕した。

「二〇三一年、五月十一日……!?」

 新聞紙の日付欄に記された、ありえない数字の羅列に思わず息を呑む。だって、俺の記憶が間違ってなければ、今日は二〇二一年の四月なはずだぞ。

 一体、何がどうなってんだ? もしや、浦島太郎よろしく寝ている間に十年の月日が流れたとか──いやいやそんなことありえないだろ!

 新聞を元に戻し、改めてテレビに映る自分じゃない自分と相対しながら呆然となって思考を巡らせる。一体俺の身に何が起こって……。

「──ん、どしたのー?」

 と、そんな俺に、背後から親しみのこもった柔らかな声が降り注いだ。

「そんなぽけーっとした顔でなーんも映ってないテレビ画面をぼーっと見つめたりなんかしちゃってさー。もしやお疲れ気味?」

「へ?」

 思考を中断した俺は、半ば反射的にその声がした方へと振り返る。

 そこに立っていたのは、両手にビール缶を持って軽やかな笑みを浮かべる、とてつもなく美人な金髪のお姉さんだった。

 友好的な様子からして、この姿の俺を知ってるみたいだけど……だ、誰なんだこの人は?

「もーしゃーないなー。こういう時はカイ君がだーいすきなが、元気になるお薬を処方してあげようじゃありませんか」

 カイ君!? それって多分、俺のこと、だよな。それよりも、今のお嫁さんってのは……。

 思考が状況に追いつけないでいる俺を余所に、お姉さんは俺と同じソファに「んっしょ」と腰掛けた。

 それも、ソファには身長一七〇台後半の俺が優に寝そべれる程広々としたスペースがあったのにも拘わらず、ぴたっと密着して俺の横に座り、おまけにぐでんと俺の肩に頭を預けてきたではないか。

「そーれ癒やしパワー注入開始! なんつって」

 まるで大型犬みたく頬をこすりつけてくすりと冗談っぽく笑うお姉さん。ふわりと艶やかな匂いが鼻腔をくすぐり心臓がばくんばくんと早鐘を打つ。そんな緊張に殺されそうな俺とは裏腹に、お姉さんの方はさも当たり前だとばかり平然としていて、

「はい、今度は物理的に元気が出るお薬の処方。酒は百薬の長っていうじゃん。ちなみにあたしのカイ君愛に溢れる癒やしパワーの方は千薬の長ってくらい自信あるから、併用すれば相乗効果で無敵だよー。ささ、これ飲んで、元気出そ」

「あ、どうも。ありがとうございます……」

 確かに俺の名は海翔だ。けど、そんなカイ君なんてあだ名で呼ばれた覚えは人生で一度もないぞ。というか、つい流れで受け取っちゃったけど、これ、ビールだよな……。

「ぷっ、なにそのめっちゃ他人行儀な態度。ちょっとウケるんだけど。つーかあたしに『ありがとうございます』なんてそんなよそよそしい言葉使ったの初めてじゃない? なにー、なんかあたしに後ろめたいことでもあったりするわけー。欲しい物がある──とかだったら話くらいは聞いてあげてもいいけど……まさか、浮気がどうとか、言わないよね?」

 うりうりと上体を揺らして俺の身体をゆさぶり、眦を少し吊り上げたお姉さんが威圧するように詰め寄る。

 どう反応すればいいのかわからず、ただただ額に脂汗を浮かべて視線を泳がせていると、それを見ていたお姉さんは不意に「ぷっ」と吹き出して、

「あっはは、ごめんごめん。あんたにそんな甲斐性ないことはあたしが一番知ってるってのに、変にいじわるしちゃったね。さ、それより早く乾杯しよ」

 催促されるまま手に持つビール缶を軽く打ち付け合う。なんというか、身体がそうしようと自然に動いた気がした。

「乾杯っ!」「……乾杯」

 一つは彼女の元気はつらつな声。もう一つは俺の戸惑いの混じった低音。

 ぷしゅっと小気味よい音を立ててビール缶を開けたお姉さんは、そのままぐびびっと喉を鳴らしながらビールを飲み、「ぷはー」っと満足そうな声を漏らした。

「んーやっぱ一日の終わりはコレに限るよねー。つーか、音ないの寂しいし、テレビでもつけよっか」

 そう言って身体を起こしたお姉さんが、テーブルの上にビール缶を置き、代わりに傍のリモコンへ手を伸ばす。それを余所に俺はというと、ビール缶をじっと見つめたまま、はたして開けるべきなのか悩んでいた。いやいややっぱまずいよな。いくら見た目が変わったからといっても、俺は十六歳で現役高校生のはずなんだから……。

『次のニュースです。元国民的アイドルのよぞらぞらきらりが今日、まさかの離婚を発表! 夜空きらりといえば人気絶頂の中、二〇二一年の四月九日にマネージャーとの電撃結婚&引退を発表し、一躍世間を騒がせたことが有名で──』

「はえー夜空きらり離婚しちゃったんだ。ちょっと前までおしどり夫婦のママタレで旦那とのラブラブエピソードをウリに売ってたってのに。いやーほんとわかんないもんだねー」

 テレビから流れるニュース番組に釘付けになったまま、たまげたとばかり口をポカンと開けるお姉さん。その口許に添えられた左手には、俺と同じような、金色のリングがはめられていた。

「あたし達もさー、今はこんな感じに仲睦まじくやってるけど、一週間後には急に離婚を話し合うような関係になってたりするもんなのかねー」

 しみじみと呟いた彼女が、またビールを口にする。その口ぶりからするに、どうやら俺とこのお姉さんの関係は、このお揃いの指輪が示すように夫婦らしいけど……。

「ど、どうだろうな……」

 かろうじて絞り出した言葉は、答えを先送りするような曖昧な返事。だって次から次へとやってくる情報のジャブにもうノックアウト寸前というか、頭が一向に追いつかなくて。

 ってか、今ニュースで紹介されてる夜空きらりといえば、俺の知る限りでは今をときめくトップアイドルで、異性と碌に目もあわせられないほどウブで有名な令和最強の清純派アイドルなんて謳われる存在だぞ。そんな彼女がこともあろうに電撃結婚&引退だとか、馬鹿げてるにも程がある。ま、お陰様ではっきりしたよ。これが夢だってことがな。

「むー、そこはきっぱりと『そんなわけない』って力強く否定して欲しかったんですけどー。ほら、やっぱ甲斐性ー」

 不満げに目を吊り上げた彼女が、いきなりタックルするように俺の胸に飛び込んできた。

「おわっ!」

 不意打ちをくらった俺は、思わず間抜けな声を上げて仰け反る。何この柔らかくていい匂いのする生き物。ほんとに同じ人間なの?

「あはは。こんなかわいい奥さんを悲しい気持ちにさせた罰ですー」

 悪戯な笑みを浮かべながら、そのまま俺の膝に寝そべるやんちゃな金髪嫁。俺の驚き顔を見ながら心底楽しそうにニヤニヤと笑うその表情からは、俺に向けられた好意的なオーラがプンプン伝わってくるようで、自然とこっちまで嬉しい気分にさせられる。もう、控えめに言ってめちゃくちゃかわいい!

 ひとまず、この正体不明のお嫁さんのことは、一旦やんちゃ嫁と呼ぶことにするか。

 なんつーか不思議な気分だな。大人になった姿で過ごすってのは。おまけに、結婚までしてるとか。けど──全然悪い気分じゃない。なんせ、俺のことを大好きすぎる美人さんがお嫁さんとしているのだ。この世界の俺は、そりゃもう幸せな日々を謳歌しているに違いない。ほんと、俺の現実の未来でも奇跡が起きてこうなってくれないかな。

 しっかし、この人から伝わるこのクッションみたいなふわっとした優しい感触に、甘くてくらっとしそうな匂いとか、夢のわりにはいささか五感がリアルすぎな気もするけど、まぁ、俺が今までのを覚えてないだけでこういう夢もあるってことなんだろう。

「にしてもさー、あの子が結婚を発表した十年前って言ったら、あたしらまだ高校生かー。懐かしいなぁ。おまけに四月九日って、ギリお互いにあんま面識がなかった時だよね。ふふっ、あん時のあたしに『将来はカイ君と結婚してます!』って言ったら、どんな顔するだろうなー。…………わりとリアルにショック受けそう。少なくとも『嬉しい!』とはならないだろうね、うん」

「ええっ、そうだったの?」

 真面目な顔で辛辣なコメントをしたやんちゃ嫁。俺は困惑とショック半々に顔を引きつらせる。どうやらこの夢は、高校時代に知り合った彼女とゴールインした夢らしいが……。

 そりゃ自分で言うのも何だけど、俺ってラブコメものによくいがちな『おい、今あの子のパンツ見えなかったか?』『あー小悪魔かわいいギャルと付き合って翻弄されてー』とか進級早々の教室で堂々と口にしてる、年中発情系三枚目友人キャラを地で行くような存在だし。女子ウケのいい自信はないけどさー。いくら夢の世界とはいえ、面と向かってそういうこと口にされるとこう心にぐさっと刺さる。夢ならとことん持ち上げてくれたってよくないか?

 つーかそもそも、俺の周りにこんな人いた記憶がないんだよなぁ。これだけの美人さんを男が放っておくわけないし、高校時代も相当な美少女で名を轟かせるほどの有名人になっていそうだけど──一体どこで出会ったんだろ? ま、夢と現実をごっちゃにするのはおかしいか。

「まーまーそんながっかりした顔しなさんなって。最初の印象はどうであれ、実際問題あたしはあんたを好きになって、こうやって結ばれてるんだしさ。めでたし、めでたし。終わりよければ全て結果オーライってやつ」

「はぁ」

「……ほんと、実際感謝してるのはあたしの方だもん。ありがとね。あの時の何者にもなれてなかったあたしを見出してくれて。こうして、カイ君の人生のヒロインに選んでくれてさ」

 にへへっとはにかんだ彼女は、猫がじゃれつくように頬を俺のお腹にこすりつけた。その頬が少し赤かったのは、酔いが回ってるからか、それとも照れくさかったからだろうか。

「──あーもう、こんな小っ恥ずかしいやりとりはこれで終わり終わり! つーかカイ君、お酒開けてないじゃん。どーしたのよ?」

「あ、いやその──」

「んーもしや、あたしの口づけたやつをご所望だったりするー? もーカイ君ってば、欲しがりさんなだから」

 にまぁっと口を歪めて、やんちゃ嫁は自分の飲んでいた缶を俺の口許へと強引に押しつけてきた。彼女のお酒臭い吐息が頬にかかる。顔が赤いのはやっぱり酔ってるからか。

「ちょまって、それだと間接キスに──」

「えーなんで、今更間接キスなんかで緊張するわけ? キスどころか、あんなことやこんなすんごいことまで済ませてる仲なのに。昨日だって──」

「へ?」

 ま、まぁ、夫婦って間柄な以上はそりゃもう色々とやっちゃってる関係だものな……。で、昨日は一体何があったんだ。ナニをしたんだ俺達は!?

 見た目は大人だろうが頭脳や精神はそういったことに興味津々な思春期男子。一度考え始めたら止まらなくなり、ついついピンクな妄想に全神経がもっていかれてしまい、

「隙あり」

「ぐべっ!?」

 そんな不意を突かれて、ぽかんと開けたままの口へと思いっきり缶の中身を流し込まれてしまった。

 そうして初めて飲んだお酒は、大人達が何であんなに美味そうな顔が出来るんだと不思議に思うほど苦くて──けど、どことなく幸せな気分になったのだった。


 ──にしても、

 結局、この夢のやんちゃ嫁はいったい誰なんだろう……?

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