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「そういえば、わたし、自分がこれまで何を失ってきたかがわかったんです」

 準備の途中で唐突に彼女は口を開き、そんなことを言った。

「綺麗な写真を撮るたび、これまでわたしが失っていたものは、何なのか。きっと、身体を消す前に消えているのは、身体の中にある何かなんだろう、ということは明らかでした。そこまではずっと目星がついていたんですが、肝心のそれが何なのか、それがやっとわかりました」

 それは感情ですと本浄は言った。

「どうしてそのことに気付いたの」と僕は問いかけた。


 ひとつ、それなりに大事な感情が失われていることに気付いたんです。そう彼女は答えた。


「だって、男の子がこれだけ優しくしてくれたんです。これまでずっと孤独だったわたしの手を取って、閉ざされたセカイで一緒に踊ってくれたんです」

 普通だったら、恋愛感情を抱かないはずがないじゃないですか、と彼女が笑った。

「それは残念だ、そうであってくれれば嬉しかったのに」

「本当ですか」

「本当だよ」

 僕はわかりやすい嘘をついた。きっと彼女はそのことに気付いていたと思う。僕が本浄に抱いていた感情も、恋愛感情ではないことは明らかだった。抱いていたのは、もっと……一つの共感か、あるいは羨望、極端なことを言えば彼女への信奉のようなものだったのだと思う。諦めや絶望の淵に立たされて、今にも消え入りそうなのに、それでもなお美しい彼女。そんな彼女が好きだった。根差したその感情はきっと、異性であるかどうかなんて、関係がなかった。

「わたしはむしろ良かったと思います。あなたに対する恋愛感情が失われてしまったこと」

「どうして」と僕は訊く。

「そのおかげで、恋人に対する想いだけが愛じゃないことを知れたんです。そして、事故のおかげで、父と母を失ってしまったおかげで、家族や親族に対する想いだけが愛じゃないことを知れたんです。恋人や家族に限定されたものよりも、もっと別の形の愛がそこにありました。そのことに気付けたんです。それがわたしにとって、一番の幸せなのだろうと思います」

 そんな愛の形に気付けた、そのことを心から喜びながら微笑む本浄瑠璃は、まさに僕が信奉していた彼女だった。


 そして本浄瑠璃はカメラの準備を終えた。三脚を立て終わり、一番美しい景色がよく映る場所を、一番僕らに光が当たる場所を選び終えた。

 そうしてタイマーをセットした彼女が、小走りでこちらに駆け寄る。

このカメラは時限爆弾みたいなものだ。あと20秒すれば、この世界から彼女の存在は丸ごと消えてしまう。


「ねえ、日向野くん」本浄が隣にいる僕に問いかける。

「なに」と僕は応える。

「きっと、この世界はね、わたし達の場所や見方で、良くも悪くも見えるんですよ」

「うん」

「だから、本当に綺麗なものなんて、わたし達の誰にもわからないのかもしれませんね」

「そうだね、僕もそう思うよ、本当に」

 心からそう思う。心からそう思えるようになりたい。

 

 僕らは笑った。

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