12月6日【船旅】


 舟の行く間、実浦くんはすずらんの小道での出来事を話して聞かせました。

 火灯し妖精や船尾灯だけでなく、船守りまでも耳を傾けて、実浦くんの話に聞き入っています。


「ほんじゃ、その子供たちは、光の向こうへ行ったんかいね」

 話し終えたあと、真っ先に口を開いたのは船守りでした。実浦くんはそれを意外に思いました。船守りはきっと歌を歌いたいのに、火灯し妖精が実浦くんの話をせがむものだから、いやいや黙っているのとばかり思っていたからです。

 船守りは「どうかいね」と急き立てるような声で繰り返します。


 実浦くんは、そうは言ってもあの少年たちの行く末など知りませんから、「どうでしょう」と答えました。船守りは「どうかいね」と、今度は自分に尋ねるように呟きました。

「そうだと良いが。何たって言葉を持たんものが、ここへ来るのが何よりつらい」

「なぜですか」

「そりゃあ言葉を持っていりゃ、自分のことを憐れむことも出来るでしょう。そうすりゃいくらか楽になるってもんです」

 船守りは、櫂を持ったまま、両の手を擦り合わせました。

「だからここに来たものは、元々がどんなものであっても、みな等しく言葉を得るんですわ。先ず己れを憐れむために」


 実浦くんは、そっと自分の喉に手を当てます。この喉から発せられる言葉は、いつだって不可思議で、実浦くんの手に負えないものばかりです。実浦くんにとって言葉とは、慈悲というよりも凶器なのでした。

 そんな実浦くんの様子を見て、船守りは何か分かったように「ああ、そうですねえ」と深く息をついた。

「言葉があるから、いつまで経ってもここにおらねばならんものもありますよ。神さまはどっして、人に言葉をお与えになったんでしょうねえ」

「そういうものたちは、言葉を喪えば、幸福になれるでしょうか」

 思わず実浦くんが言いますと、船守りは相変わらずの調子で「どうですかねえ」と返します。

「言葉を知っていたものが、永遠に言葉を喪うというのは、それはそれでつらいもんじゃありませんか」


 言葉を喪うとどうなるのだろう。実浦くんは考えます。話すことも出来ないし、誰かの話を聞いても理解が出来ない。文字を書くことも、読むことも出来ない。

 喜びをあらわすためには、大きく飛び跳ねて笑うしかない。悲しみをいだくためには、涙を流して肩を抱くしかない。誰かと通じ合うためには、目を合わせ、頷き合って、抱きしめ合うしかない。

 それは、大いなる幸福のような気がしました。しかし同時に、それだけでは伝えきれないものを抱え込んだとき、きっと心が捩じ切られるほどつらいのだろうと思われました。


「ねえ、そんなのどうだって良いわ。私、それより舟守りさんのお歌が聴きたいわ」

 火灯し妖精がそうやって駄々をこねましたので、舟守りはすっかり良い気持ちになって、また歌を歌い始めました。実浦くんにとっても、その方が気持ちが楽でした。

 あれこれ深く悩んでいるよりも、今は美しい言葉と音楽を聴いていたいのです。


 舟守りは、同じ歌を何度も繰り返します。時々、クリーム色のミズクラゲたちが寄ってきて、ゆらゆら舟を追いかけました。

 火灯し妖精が面白がって、ミズクラゲの笠に手をつきますと、明るい手形を得たミズクラゲは、いっそう濃いクリーム色に輝きました。そして、マグネシヤのリボンより明るく輝いたものたちは、気球のように膨らんで、空へ昇ってゆくのでした。

「星になるのかしら」と火灯し妖精が言いますと、『月の一部になるのかも知れない』と船尾灯が言いました。

『月の裏側は、隕石がぶつかってあちこち欠けてしまっているから、きっとそれを直しにいくんだよ』

「そうしたら、私はお月さまに手形をつけたことになるのね」

『裏側だから、地球からは見えないけれど、でもそっちの方が密やかで素敵だ』

 実浦くんも、空を見上げました。ミズクラゲたちが光り揺れながら昇っていくさまは、水面越しに見上げた星空のようでした。



 やがて、舟守りが同じ歌を七度も繰り返したころ、ようやく岸が見えてきました。正直なところ、岸というよりもかまどの灰の寄せ集めのようでしたが、しかし船着き場が見えましたので、やはりそこが目的の岸で間違いないのです。

「さあ、着きましたよ」

 音もなく舟を接岸させて、舟守りは誇らしげに言いました。この真っ暗な闇の中を、大揺れも事故もなしに渡ってみせたのです。確かに、称賛に値する仕事でした。

「ありがとうございます。ええと、お代は」

「お代は、そのポケットの中身を少しで良いよ」

 舟守りは、実浦くんのズボンを指差しました。実浦くんはポケットから、さっきもらったブナの実を取り出しました。相変わらず金色にぴかぴか光って、とても綺麗です。舟守りの偉業にふさわしい報酬です。

 実浦くんは、ブナの実を何粒か、舟守りに手渡しました。舟守りはちょっと前にかがむようにして、それを服の中に、大切そうにしまいこみました。


 さて、ここからは舟はなく、また歩きながら先へ進まなければなりません。船尾灯はカンテラの姿になり、火灯し妖精はカンテラの中に収まりました。

「そいで、あんたがたは、あの山へ行きなさるのかね」

 舟の状態を確認しながら、舟守りが言いました。実浦くんはそのとき初めて、岸辺からそう遠くない場所に、大きな山がそびえていることに気が付きました。山は優雅な円錐のかたちをしていて、頂上に紅い光と煙とが見えました。火山です。

「あの山は、登れる山なんですか」

「登れない山なんかあるもんかい。登りゃあ登れるよ。登らないから登れないんだよ」

 舟守りは、もうすっかり、もやいを結ぶのに気を取られているようでした。実浦くんは、登っても安全な山なのかを訊きたかったのですが、そういうふうに尋ね直しても、たぶん同じような答えが返ってくるだろうと分かりました。

「では、ありがとう」

 ですので、もう出発することにしました。歩き出してみれば、舟守りの言うことにも一理あるように思えます。


「気をつけていきなさいよお」と、背後で舟守りが叫びました。実浦くんは振り返って、大きく手を振りました。火灯し妖精も、カンテラの中から手を振りました。カンテラは振るための手がないので、『さようならあ』と言いました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る