血の呪い
あれは、中学校二年生の冬休み前だった。
奏平は、リビングにあるパソコンの画面を食い入るように見つめていた。
《私は独りで暮らすしかないんです。誰も頼れない。きっと孤独死するんでしょうね》
掛け時計が、鐘の音で正午を知らせてくれる。右の口元にある小さな青あざもほとんど目立たなくなった。明日には綺麗さっぱりなくなっているはずだ。
《連絡を取ろうと思えば取れる家族はいます。妹が一人。でも、もう長いこと会話すらしていません。そんな資格は持っていないですから》
奏平が見ているのは、孤独死を受け入れている五十六歳独身男性、沢崎さん(仮名)へのインタビュー記事だ。DVに関連するサイトを漁ることは奏平の日課である。
三年前に見つけたこのインタビュー記事を、何度読み返したことだろう。虐待は連鎖するという心理カウンセラーの記事も、このインタビュー記事と同じくらい見返している。
《まあ、会う資格がないなんて言っていますが、本当は勇気がないだけなんです。会う資格がないって言葉、格好いいじゃないですか。相手が許していないからだって他人のせいにもできる。本当に便利な言葉ですよ》
喉が渇いたと、パソコンデスクの上に置いていたコップを掴むが、すでに空だった。
《私の父は、暴力をふるう父親だったんです》
そこから、沢崎さんは自身の過去を赤裸々に語り始めた。
沢崎さんの父親は、母親にも、妹にも、沢崎さんにも暴力をふるう最低な父親だったそうだ。専業主婦だった沢崎さんの母は、金銭的な理由から子供たちのために離婚をせず暴力に耐えた。しかし、沢崎さんが高校一年生の時に、脳梗塞で亡くなってしまった。
母親が死んでからも、父親の暴力は続いた。一人で生きていく術を持たない沢崎さんと妹は必死で耐え続けた。沢崎さんが高校を卒業するタイミングで、父親は酔って川に落ちて死んだ。
《あんなバカな死に方をする奴に今まで苦労させられたんだと思うと、腹が立って仕方なかったです》
沢崎さんは高校を卒業後、近くの工場に就職し、二十二歳で結婚。
二十三歳で子供も生まれたという。
《あの時は本当に幸せでした。それと同時に、絶対に父親と同じようになるもんか、と思っていました》
しかし、仕事がうまくいかない日、沢崎さんはついかっとなって妻と子供を殴るようになってしまった。止めたいと思っても、自分が自分じゃなくなったみたいに、歯止めが効かなくなってしまうのだそうだ。
《それで妻とは別れました。子供ともそれ以来会っていません。恋人も作らないと決めました。自業自得です。妹と疎遠になったのも、実は私の暴力が原因なんです。あいつが就職して家を出てからなので、もう四十年になりますね》
沢崎さんは、父親の暴力に耐えていた高校生の時に、一度だけ妹に暴力を振るってしまったという。父親のご機嫌取りのために買ってきたいかの刺身を、妹が床にぶちまけてしまったのが原因だそうだ。
《あの時の妹の悲しそうな顔は忘れられません。だから、会ってもらえなくなった――すみません。嘘をつきました。私が会おうとしなくなったんです。妹がどこに住んでいるのかも知っているんですが、先ほど言った通り、会う資格がないと思い続けてもう四十年です》
沢崎さんは顔から下しか写っていない。少しだけ背中を丸めてパイプ椅子に座っているその姿からは、他のどの人間にも出せないような哀愁が漂っている。
《好意に甘えているから、こいつは裏切らないと思っているから、暴力を振るってしまうんです。家族、恋人ってその代表例なんですよ。父は赤の他人を決して殴らなかった。私もそうだった。甘えの成れの果てがDVなんです》
沢崎さんが大切な誰かと一緒に生きられる日は来るのだろうか。
そんな文言でその記事は締めくくられていた。
奏平はパソコンをシャットダウンし、ソファの上に寝転がった。目を閉じて、自分の体を流れる血の巡りを感じる。色は赤じゃなくて黒だな。ゆっくりと深呼吸を繰り返していくと、いつの間にか眠ってしまった。
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