ヒーロー
とりあえず、殺害現場にできそうな場所を探してみよう。
寛治は朝から出かけることにした。
一睡もしていないのに、ちっとも眠くない。
奏平のお父さんは神凌駅から電車に乗って通勤している。一度、神凌駅に行ってから奏平の家まで歩いてみると、人目につかなそうな場所はたくさんあった。今度は夜遅く、奏平のお父さんの帰宅時間帯にも歩いてみよう。せっかく奏平の家まで歩いてきているのだし、当事者である奏平からもまた話を聞いておこうか。
しかしまあ……やっぱでけぇよなぁ。
奏平の家の前に立つ時、いつもそう思う。築年数はかなり経っているが、その純和風の外装は見るものに威圧感を与える。黒い瓦なんか圧巻の一言だ。
「よしっ」
寛治は広い庭の中央を横断している石畳の上を進む。庇の下に立ち、インターフォンのボタンを押そうとした瞬間、とある疑問が浮かんで体が動かなくなった。
どうやって父親のことを尋ねればいいのだろう。
二度も同じことを聞けば、さすがに奏平も変な勘繰りをするかもしれない。それによってりんが秘密を漏らしたんじゃないかと疑う可能性だって考えられる。しかも今日は休日だ。奏平のお父さんやお母さんが家にいるかもしれない。そんな中、「お前の親って毒親?」なんて聞けるわけがない。
うん、やっぱり帰ろう。寛治は踵を返そうとした。話す内容をもっと練ってからまた来ればいい。ってかラインでいいか。その方が深刻じゃない感でそうだし。でもりんの言う通り、奏平が父親から取り返しのつかない暴力を振るわれる日が、今日じゃない保証はない。
この問題を解決できるのは俺だけなんだ、と寛治は自分に強く言い聞かせる。りんと約束したじゃないか。なんとかするって――
「……あ」
思わず声が漏れた。触れてもいないのに、玄関の戸ががらがらと二音分だけ開いたのだ。
「
その隙間から顔を出した女の子に、寛治は取り繕った笑顔を浮かべながら声をかける。
ドアの隙間からこちらを覗いているのは、奏平の義妹の双葉ちゃんだった。
「あの、どうかしたんですか?」
双葉ちゃんとは面識もあるし、トランプ等で一緒に遊んだこともある。しかし、今日の彼女はどこか怯えているように見える。当然か。玄関の前に立って動かない男に不信感を抱かない方がおかしい。
「いや、なんていうか……あははは」
苦笑いで誤魔化そうとした時に、はたと気がつく。
双葉ちゃんは、この問題を相談するにふさわしい存在じゃないかと。
きっと、りんよりも事細かに高麗家の事情を知っている。なぜなら家族だから。当然、父親の帰る時間や生活習慣も詳しく知っているだろう。
完全犯罪のヒントを得られるかもしれない。
「ねぇ、双葉ちゃん」
ドアを開けながら話しかける。勢いよく開けたせいで、がらがらがら、どん、と扉が戸当たりにぶつかって少しだけ跳ね返った。
「な、なんでしょうか?」
双葉ちゃんは目を見開き、上半身を後ろにそらせながら両腕を胸にくっつけた。
「ちょっと双葉ちゃんに話があるんだけど、いいかな?」
「え? 私……ですか?」
「ちなみに奏平は今どこに?」
「出かけてますけど」
「お父さんとお母さんは?」
「二人も家にはいません」
「だったら尚更都合がいいな。誰にも聞かれたくない大事な話だから」
「え? あ、え?」
双葉ちゃんの顔が真っ赤に染まっていく。
寛治は気にせずに続けた。
「単刀直入に聞くけど、双葉ちゃんのお父さんって、双葉ちゃんから見たらどんな人?」
「お父さん、ですか?」
聞き返してきた双葉ちゃんの口元がわずかに引きつった。
「どうって、それは……まあ、えっと………普通のお父さんですけど」
双葉ちゃんの表情がみるみる曇っていく。
嘘だとすぐに分かった。
「本当に?」
「本当です。なんでそんなこと私に聞くんですか?」
「あ、だって……それは」
逆に質問されて、寛治は答えに困った。君の父親の秘密を知っている、と正直に打ち明けてもいいのだろうか。先ほどの誤魔化し方から、双葉ちゃんも自分の父親が毒親であることを隠したそうなので、それはやめたほうがいいか――
「知ってるんですね。私たちのお父さんのこと」
「え?」
「だって黙ったから」
「あ、ああ……」
そうだった。
無言は完全肯定と同じ。
こうなると誤魔化すだけもう無駄だ。
「まあ、一応は、知ってる、かな」
「やっぱり」
双葉ちゃんは唇を噛んだが、引きつっていた頬は少しだけ緩んだ。秘密が秘密でなくなったことに安堵したのかもしれない。父親の秘密は、双葉ちゃんの華奢な体にとどめておくには大きすぎたのだろう。
「お兄ちゃんが、それを言ったんですか?」
「そうじゃないけど、友達だからそれくらい分かるよ」
「そんな友達がいてお兄ちゃんは幸せ者ですね」
「ああ。だから俺、奏平のためになにかしたいんだ」
双葉ちゃんはなにも言わずに、ただただ体を震わせている。
「俺は奏平が心配で、双葉ちゃんにも協力して欲しいんだ。双葉ちゃんだってお父さんから暴力を振るわれて」
「違います!」
いきなり叫ばれたことで、続けざまに言おうとしていた言葉がどこかへ吹っ飛んでしまった。奏平が暴力を受けているなら当然双葉ちゃんも……と思ったが、そうではないらしい。
「ぜんぜん違うんです!」
双葉ちゃんは首を左右に振りながら、自分を責めるように言葉を紡いでいく。
「私はお父さんから一度も殴られたことなんてない。血のつながりもない私を、お兄ちゃんはいつも守ってくれる。代わりに殴られて、物をぶつけられて、傷ついているのはお兄ちゃんなのに、いつも私にごめんって謝ってきて、本当に、私には意味が分からなくて」
言葉の間に嗚咽が混じっているから、余計に苦しく聞こえる。
「それに昨日、お父さんが包丁を握った。刺しはしなかったけど、あんなのもう、お兄ちゃん死んじゃうよ」
ぐらんとめまいがした。
包丁が刺さって、身体から血を流して倒れていく奏平の姿が脳裏に浮かぶ。「本当は優しいんだ」と息を引きとる奏平の姿が明確に思い描けてしまう。
「だから、お願いします」
熱くてべとべとしたものが、爆速で鼓動を刻む心臓に纏わりついていくのを感じる。今すぐなんでもいいから叫びたい。脳が興奮でとろけそうだ。
「お兄ちゃんのことを助けてください」
深々と頭を下げる双葉ちゃんを見て思う。
どうしてこんな簡単な結論が出せなかったのだろう。
寛治は、さっきまでの偽善者ぶっていた自分を軽蔑すらしていた。
「分かったよ。双葉ちゃん。だから顔を上げて」
りんも、双葉ちゃんも、奏平のお父さんがいなくなることを心の底から望んでいる。その悪を排除する〝正義のヒーロー〟に遠城寺寛治という人間を選んでくれた。
「俺が必ず助ける。絶対に俺がなんとかするから」
救済。
この世に蔓延る悪人は必ず滅ぼさなければいけない。
異世界に飛ばされた時もそうやって苦しんでいた人たちを救って、
悪を滅ぼす行為は正義だ。
世界も法律も関係ない。
異世界でだって国王殺しは重罪だったが、いざ殺してみると世界中が歓喜した。
つまり今回もそれと同じ。
この殺しはみんなから称賛される正義だ。善だ。遠城寺寛治という人間は、現実世界でも正義のヒーローであり続けられる。
「はい。よろしくお願いします」
双葉ちゃんの嬉しそうな声が体中に染みわたる。砂漠の中で一ヶ月なにも口にせずに歩き続けた後に水を飲むとこんな感じなのだろう。
身体がどうしようもなく潤って仕方なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます