第125話 お姫様と皇子様 4

 第一皇子と尚侍ないしのかみのふたりが、たのし気に会話する光景に、御簾の端近にいた貴族たちは、密かに似合いのふたりだと思う。


 彼らは実益的な期待も抱いていた。なにせ「尚侍ないしのかみ」という身分は、きさきと同等であり、帝の寵愛を受けながらも未亡人であったり、なにか后妃に立つには、さわりのある女君が、名誉職として立たれることも多い、微妙なお立場でもある。


 摂関家出身の尚侍ないしのかみが、実質的な東宮の妃のひとりになって下さっても、貴族派の彼らには、万々歳であった。


 帝の寵愛のなさに、存在感の薄い第一皇子であるが、元々、なんの不足もなき皇子であり、切れ々々ではあるが、ふたりの会話を耳聡く聞いていた彼らは、彼を東宮に押し上げることを決断し、実行に移した関白の抜かりのなさに舌を巻く。


 いまはまだ幼い尚侍ないしのかみは、なにも分かっておられぬ様子だが、『中務卿なかつかさきょうと東宮』将来の国を背負って立つふたりを、摂関家は中宮を出さぬままに、すべてを手に入れるのだ。


 もし、尚侍ないしのかみが、数年後、姫君を産めば、たとえ父親がどちらか分からぬままでも、一方は親王のくらいを降りているとはいえ、父親候補のどちらもが、帝に近しい血を引く。


 そして摂関家の出身である尚侍ないしのかみが生んだ姫君は、当然、次の東宮妃に立てる資格を持つ。


 帝にはちょうど、桐壺更衣きりつぼのこういがいない間に、別の女御との間に授かった、まだ幼い『第三皇子』もいる。


 こちらは問題のなき出自である女御を母に持ち、摂関家が主筋にあたる。そう波風を立てる親子ではない。


 第一皇子が帝となれば、次の東宮は歳の離れた「第三皇子」に、そして東宮妃は尚侍ないしのかみが生んだ姫君に。


 貴族たちはそう読み「狂乱」ともいえる現在の帝による、桐壺更衣きりつぼのこういへの寵愛からはじまったまつりごとの混乱の終焉しゅうえんと、未来の親王派の台頭を抑え込む、そんな彼らの深読みに過ぎない攻略を勝手に想像し、関白を尊敬しながらうなずきあっていた。


 いくら美しく秀でた存在でも、大迷惑をこうむっている桐壺更衣きりつぼのこういが生んだ「第二皇子」は彼らの選択になかった。


 美しいものは尊いが、なにも「第二皇子」だけが、尊く美しい存在ではないと、御簾内の尚侍ないしのかみの存在ゆえか、彼らはまるでいままでかかっていた魔法が解けたような心持ちで、舞を終えて御簾内に入った第二皇子に目をやっていた。


 尚侍ないしのかみが、まつりごとに対する第一皇子の意見に、ごく自然に対応されている姿も頼もしい。


 律令国家でありながら、いわゆる“貴族の特権を許す封建制が並走している国の成り立ち”を、完全に把握して踏まえた上で、皇子と話をしていらっしゃるのも好印象である。


 完全なる律令国家を敷こうとしていた『元東宮』のように、親王派を率いて貴族派を追い詰めようとする帝の誕生は、貴族にとって命取り。


 第一皇子が東宮に立たれたあと、東宮妃が誰になるのかは、未だ決定されぬままだであるが、少なくとも皇子が、目が離せぬほどに美しく、秀い出たご様子の尚侍ないしのかみが、いまの桐壷帝きりつぼていを賢く補佐し、次の帝「東宮」となられた第一皇子の「実質的な東宮妃」となれば、万々歳。


 そうでなくとも、次期帝の信頼の厚い関白のように、権勢を振るうことができる「実権をともなった尚侍ないしのかみ」になって下されば、次の世代も貴族の特権的地位は、ひと安心である。


 彼らは御簾の向こうの尚侍ないしのかみの前にやってきた、第二皇子に冷ややかな視線を向けてから、酒を酌み交わしはじめた。


 第一皇子が大宮に挨拶にゆくまで、第二皇子は尚侍ないしのかみの前で、恥ずかしいのか、少し離れてうつむいていたが、つつつと側によると、愛らしくほほえんで、尚侍ないしのかみに挨拶をする。瞳の奥には暗い影。


 周囲にいた宮中の女房たちは、光る君の笑顔に、まるで魔法にかったように、うっとりと見入る。


 関白と中務卿は、第二皇子に、なにか思うような視線を、周囲に悟られぬように向けていた。


 光る君は少し考え込んでいたが、いかにもな、あどけない様子で、更に尚侍ないしのかみに近づくと、「“はちすの上に立つ御仏”のように尊い姫君に、お会いできたのは、僥倖ぎょうこうですね」そんな意味の和歌を、耳元で小さく口にして反応を見る。


 葵の君は、そんな光る君の歌が、相変わらず「呟き」にしか聞こえないと思いながら確信した。


『全然、こりてないなコイツ……』


 そういや、そういう男だったと思いながら、「歌を自分で考えるなんて、無理だもんねぇ……」と、返事をどうしたものかと迷っていたが、ふと、有名な和歌を思い出す。


 確か作者は江戸時代だったから、盗作しても問題はないだろう。(そもそも、ここは絵巻物の世界だもんね。)


 葵の君は素早くそれをもじって、光る君の耳元で返歌して、啞然とした表情の彼に『内親王スマイル』を浮かべ、彼を置き去りに、帝と第一皇子、弘徽殿女御こきでんのにょうご、それに幻みたいな薄幸の美女、桐壺更衣きりつぼのこういと話をしている母君の側へ、すすすと近づいた。


 自分も疲れているが、母君のお顔の色がよくないのが気になっていた。「少しお疲れなのかもしれない」と葵の君は思い、わざと子供っぽく「帝がご用意して下さった殿舎を早く見たい」そんな我儘わがままを母君に言う。


「あらあら、しかたのない尚侍ないしのかみですこと。でもそうね、もうこのような時間ですし、そろそろたまわった殿舎に下がりましょうか……」


 案の定、母君は、ほっとしたご様子で、兄である帝に退出を柔らかく伝える。裳着を済ませたとはいえ、まだ十歳の姫君を気づかうご様子の大宮に、周囲は温かい視線を送った。


 帝は至極残念そうな顔をしたが、大宮に「明日からは嫌でも毎日お会いできますわ」そう言われると、今日は朝から色々と、お疲れであっただろうしと、苦笑して納得するしかなかった。


「また明日、お会いできるのを楽しみにしています」


 帝のそんな言葉に美しい笑みを浮かべた大宮は、葵の君と左大臣家の女房たちと共に、関白にも、お声をかけてから、後宮に続く渡殿に優雅に滑り出し、その場を退出した。


 后妃方は「いまもなお、あの麗しさでは、帝がいつまでも掌中の珠とされるのも仕方がない」とうわさしあった。


 絶対にライバルにはならない、同腹の妹宮であるから、大宮に対する彼女たちの視線は、憧れの色しか浮かばないし、年を重ねてなお輝く美貌に、彼女たちは、ため息をついて見送っていた。


 残った光る君は、少し呆然とした顔で、母君の横に座っている。


『貴方に言えるのは、この世を去るように、線香の煙のように、サヨナラだけ……、“灰左様なら”……』


 葵の君が選んで改変したのは、『この世をば どりゃ おいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら』十返舎一九の辞世の句であった。


「縁があっても、死んでも、貴方なんてお断り」そんなことを、葵の君は言い放って、光る君を、置き去りに去っていった。


 光る君が、尚侍ないしのかみから聞いた返歌は、痛烈なものであり、誰も知らぬやり取りは、あの時の夢を、姫君も覚えていると確信させていた。


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