第96話 心の居場所
「無茶言って悪かったわね。助かったわ、ありがとう」
疲れ果てていた私に、ハルさんはそう言って手を伸ばして来た。私はその小さな手をしっかりと掴んで、顔を上げた。救えなかった悔しさは残っていたけど、その握った手から前を向く強さを感じたの。
「ねえ、何で手伝わせたの? 私が何も出来ない可能性は考えなかったの?」
「いやぁー、街で絡んで来た時に外科医用の専門書ってすぐに言っていたでしょう。あれを見てすぐに専門書って言うって事は、外科医、もしくはその勉強をした人間だと思ってさ。ね、当たっていたでしょう」
「プフッ。何それ」
フフンって胸張って見せるハルさんが何だか可愛らしくて、吹いちゃった。何か一瞬でいろいろな物がどうでも良くなって⋯⋯あ、いい意味でね。肩の荷が下りたというか楽になった。片意地張って背伸びして生きて来た事が、途端にバカらしくなったわ。
このたった一回の
人も
言うのは簡単だけど、そう思えるかといえば単純に頷けない。でも、実際に対峙して見たら、同じだったわ。むしろ色々と気づかされてしまった。私ってば、なんて単純なんでしょうね。
憑き物が落ちたみたく、なんかいろいろ楽になった。それと同時に今まで感じた事の無い、救えなかった悔しさと言うのがこみ上げてきたの。
そんな自分に少しびっくり。今までは目の前の
うな垂れているその姿に、救ってあげたかった⋯⋯てね。初めての感情に自分自身、少し戸惑うくらいよ。
気が付けば、手術室に怯えていた私はどこかに消えていた。ハルさんの差し出した手が、どこかに投げ捨ててくれたのかも。やり方としてはかなり乱暴だったかも知れないけど、あの時の私にはちょうど良かったのかな。
「ねえ、あなた毎日じゃなくてもいいから手伝ってくれない? 見ての通り人手が足りなくてさ。頼むよ」
ハルさんからの思ってもいなかった言葉。少しびっくりしちゃった。それと同時に必要としてくれている人がいると思ったら、こう胸の奥がググって熱くなっていた。考える間もなく、気が付いたら頷いていたわ。
「ええ!? いいの? 本当に? 言ってみるものね。私はハルヲンスイーバ・カラログース。ハルって呼んで。あっちにいるのはアウロ・バッグス」
「モモ・ルドヴィアよ。宜しくお願いします」
「うん? ルドヴィア? あれ? まさか?」
「そう。父親は【ルドヴィアホスピタル】の院長」
「ああー! どうりで、いい腕しているはずだわ。あれ? でも大丈夫なの? ヴィトリアに移転でしょう? あなたもじゃないの?」
「大丈夫。私はついて行かなかったの。絶賛無職よ。働き口が見つかって良かったわ」
「え? いいの? 誘っておいて何だけど、
「人も
「いやぁ、まぁ、そうだけど⋯⋯ま、いいか。ハルヲンテイムへようこそ、モモ・ルドヴィア」
「宜しくお願いします、ハルさん。それといろいろごめんなさいね」
「うん? 何が?」
今まで無礼を詫びて頭下げたのに、ハルさん何も気にしていなかったのよ。頭の下げ損よ。でも、何だかすっきり出来た。いろいろとね。
ここでは人と
まぁ、医者としてどうなのって言われるかも知れないけどね。でも、そんな小さな事は気にならない。
ハルさんがここに私の居場所を作ってくれたから。
◇◇◇◇
「⋯⋯だからね、本当の私はイヤなやつなのよ」
モモさんは苦笑いで、話を締めました。きっと昔の自分が好きではないのでしょうね。
「モモさん、それは違いますよ。本当のモモさんは穏やかで優しいのです。ここにいるモモさんが本当のモモさんで間違いないです。病院時代は無理をしていたから、大変な目にあってしまったのですよ。ここでのモモさんは無理をしていません。それって本当のモモさんって事じゃないですか!」
私は思わず熱弁を奮ってしまいました。病院時代のモモさんは、居場所が無くて作ろうともがき過ぎていたのです。全てを諦めていた私とは真逆ですが、居場所が無かったというのはきっと同じだと感じました。
「そう? 何だか話がズレちゃったわね。でも、エレナのお墨付き貰っちゃった。今の私が本当の自分か⋯⋯」
「そうですよ。お墨付きです」
「フフフフ」
私が胸を張って見せると、少し照れながら微笑んでくれました。理由は違うけど、モモさんも私と同じ、ハルさんに居場所を作って貰ったのです。
モモさんは私の為に話し辛い過去を話してくれました。それだけで十分に優しいと思うのですよ。誰かの為に何かが出来るように私もなりたいと思いました。いつになるか分かりませんけど。
「話を戻しましょう。治療の際に刻まれた恐怖は、消え掛けの命を前にしたらきっと吹き飛んじゃうわ。だから、無理に消そうとしなくていいのよ。むしろ、“あ! 今、私あの時の事を思い出して怖くなっている”って受け入れちゃう。人それぞれだけど、無理に押し込もうとすると反発するだけだから」
「はい」
あのドキドキを受け入れる。出来るかな。
でも、理由を教えて貰ってスッキリしました。それだけでも気分的には随分と違いますよね。理由も分からずモヤモヤしなくて済みますもの。
私はアウロさんと違って、手を差し伸べてくれる人がいます。モモさんと違って気遣ってくれる人がいます。モモさんの話を伺って、一番に思った事は、私は恵まれているって事ですかね。
また、同じ事になっても俯かないでいられそうです。アウロさんやモモさんも同じだったのです。時間は掛かるかも知れないけど、きっと大丈夫。かな?
顔を上げる事が出来るのはモモさんのおかげです。カップを口に含みながら顔を上げると、柔和な笑みを湛えるモモさんの姿。何だか少し気恥ずかしくなって、誤魔化すかのようにお茶をすすりました。
◇◇◇◇
随分と寂れた村ね。
ハルだけでは無く【スミテマアルバレギオ】一同、村を覗き同じ事を感じていた。すれ違う住人はうな垂れ、覇気は感じない。痩せた土地を黙々と耕し、笑い声どころか話し声すら聞こえてこない。静か過ぎるほど静かで、何も無い寂れた村。
この村に元勇者パーティーの
疑問は次々と湧いてきて、積み重なっていくだけ。この村に答えが落ちている気配は全く感じなかった。
「辛気くせぇやつらだな」
ユラがドワーフらしい忌憚の無い言葉を投げる。
よそ者に対して冷ややかな視線を一瞬投げ、決して視線は交わる事の無い住人達。
何とも言えない陰鬱な空気だけが、一同を包み込んでいた。
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