第94話 おふたりの出会いは微妙な距離感でした

 ここは元々、私の実家が経営していた病院なのよ。【ルドヴィアホスピタル】。それが昔のここの名前。

 上には兄がふたり。二人とも優秀な医者で、私も負けまいと必死だった。外科医として認められる。ただ、それだけを考えてメスを振るっていたの。今、考えれば浅はかだったわ。他に目を向けるべき事なんて腐るほどあったのに。


◇◇◇◇


「何をやっているのよ! そんな事も出来ないの!?」

「す、すいません⋯⋯」


 手術室にこだまするメスを握るモモの怒号。バツ悪く頭を垂れる初老の男性。

 

 またか⋯⋯。

 手術室にいる者達、誰しもがこの光景にうんざりとしていた。凍てつく空気が、そこに集う者達の動きを鈍らせ、ミスを誘発させていく。その事実にモモ自身は気付いてはいなかった。


 目の前の術式を成功させる。

 盲信とも言える思い。

 ただ、それだけしか考えていなかった。

 そして、それこそが正義だとこの時点では疑っていなかった。


 激しく肩で息する初老の男。どこか所在の無い視線はユラユラと落ち着かない。吐息は激しさを増して行き、体はワナワナと絵に描いたように震えていた。

 男が目を剥き、手渡すはずのメスの刃先がモモに向く。その震える刃先に抑圧された思いを乗せ、抑え込まれていた鬱積を爆発させた。


「「「きゃあああああああああああ」」」


 助手アシスタントに入っていた女性達の悲鳴。

 刹那、脇腹を押さえ膝を落すモモの姿。

 それでもなお、震える体でモモは立ち上がる。


「⋯⋯まだ、終わっていない⋯⋯」


 震える体、震える指先で開いた腹を閉じようと患者へと対峙した。鬼気迫るその姿にその場にいる者達は畏怖の念さえ覚える。執念を越えた怨念じみたその姿。

 メスに憑りつかれている。

 血の付いたメスを握り締め茫然自失で立ち尽くす初老の男。刺されてもなお、憑りつかれたように術を進めるモモの姿。異様な光景が広がる手術室に、関係者が飛び込んで来るまで時間はそう掛からない。悲鳴を聞きつけた者達が駆け付けると初老の男は取り押さえられ、モモは抱えられると、そのままベッドの上に転がった。


◇◇◇◇


「怖い⋯⋯」

「フフフ、ねえ~。でも、私もバカだったのよ。もっと上手くやれば、こんな事にならなかった。もう遅いけど⋯⋯」


 少しだけ言い辛そうに始まったモモさんの昔の話。今の優しい姿からは想像がつきません。昔のモモさんのままだったら、私はきっとここにはいないで逃げ出していたかも知れませんね。


「やはり獣医では無く、外科医のままが良かったのですか?」

「お!? そっか。そうね。言われてみると今の方が充実していて、日々が楽しいわ。結果的には良かったのかな。エレナにも会えたしね」

「あ、いや、それは⋯⋯」


 臆面もなく言われてしまうと盛大に照れてしまいますよ。


「ヴィトリアに移転するって言っていたでしょう。ヴィトリアで開院するのって結構審査が厳しいのよ。金持ちだけじゃなく、有力者や権力者も治療に来るからね。私の不祥事は親達が必死にもみ消して表沙汰になる事は無かったの。だけど、今度は私が手術室に入れなくなっちゃった」

「あ! 襲われてしまった記憶⋯⋯」

「さすが、エレナ。話が早い。手術室の前で立ちすくむ自分に私が一番ショックだったわ。手術オペが出来ないなんて、私の全てを否定されたと同義だと思っちゃった。それはもうパニックよ。扉の前で崩れ落ちて、ずっとガタガタ震えていた。この間のエレナなんかかわいいものよ、あの時の私は本当に酷かった」


 モモさんは苦笑いで、お茶をひと口。きっとあまり言いたくない事なのでしょうね。いつもの笑顔にある快活さは感じられませんでした。

 ただ、私の事を思って話してくれているのは分かります。モモさんの深い優しさを感じます。その思いをしっかりと噛み締め、私はしっかりと耳を傾けて行きました。


「モモさんは、どうやって乗り越えたのですか?」

「フフフフ、それはもう無理矢理よ。なし崩しの強引に手を引いた人がいた」

「もしかして⋯⋯ハルさん?」

「当たり! 最初の印象は良くなかったわ。ハルさんもあまり良く思ってなかったんじゃないかしらね」


◇◇◇◇


 ヴィトリアへの移転が始まると私は本格的に用無し。仕事は無い。手術オペ以外出来る事が無い私は用済みよ。夕方になると家を抜け出ては、街の酒場に入り浸っていた。

 私みたいなタイプは珍しかったみたいで、これでも割とチヤホヤされたのよ。

 アルコールで酩酊して、何もかもうやむやにしていた。家に居場所の無かった私には、それが居心地良かった。

 ま、逃げていただけなんだけどね。



「「「ハールちゃーん!」」」


 でも、チヤホヤされていたのも一瞬。小さくて綺麗な冒険者が現れると、みんなの視線はそっちに向いてしまう。呆気ないものよ。


「うるさい! 静かに呑ませろ! こっちは疲れてんだ!」


 エルフの様に綺麗な顔で、ドワーフのごとく罵る。粗野で粗暴で乱暴でガサツ。そして、私に向いていた視線を一気に奪ってしまった女。それがハルさんの第一印象。

 向こうもひとりで飲んでいるハーフ犬人シアンスロープの変な女と思っていたでしょうね。自分で言うのもあれだけど、場違い感はありありだったもの。

 


 その日は少し呑み過ぎた。

 フラフラと足元が覚束ないまま歩いていると、冒険者の二人組が声を掛けて来た。声を掛けて来たというのはちょっと違うかな、腕を掴まれて強引に連れ込まれそうになったの。


「ちょっと、止めて下さい!」

「いいじゃねえか。一杯くらい付き合えよ、奢ってやるから」

「結構です!」

「つれねえこと言うな」

「ちょっと⋯⋯」


 腕を引き剝がそうと必死になっている私の目の前に現れた小さな影。飲み屋にいた小さな女性が、白虎サーベルタイガーを引き連れて立ち塞がっていた。


「あんた達、いい加減にしな。イヤだって言ってんだろう」

「あん!? 何だ? お? 綺麗な顔しているじゃねえか、お前でもいいぞ」

「でもいいだと? てめえ、何様のつもりだ!! 上から語ってるんじゃねえぞ!!」

「何だ、威勢のいいヤツだな。いいや、ほっとけ。ほら姉ちゃん行くぞ」

「だから、イヤだって⋯⋯」

「止めろと言ったの、聞こえなかったのか?」


 気が付いたら、私の腕を掴んでいた男の手を絞り上げていたのよ。小さな体で大の男を手玉に取っていた。颯爽として、凛とした強さが滲み出ていたわ。普通ならここでお礼を言って頭を下げるのだけど、荒み切っていた私は一瞥だけしてその場を立ち去ってしまった。

 私の居場所を奪った女。嫉妬にも似た逆恨みが私を素直にさせてくれなかったの。でも、その後は酷く自分が矮小に感じて、惨めな気分に襲われた。


 移転作業の続く中、相変わらず私は蚊帳の外。家族は腫れ物に触るみたく、私を遠巻きに見つめるだけ。もう大人だったしね、自分で何とかしろっていうのは当たり前よね。

 ひとつ誤算があったのは、自分から相談出来る人間がいなかった。立ち止まって周りを見渡してみると、私の周りには誰もいなかったの。当然の報いよ。自分で蒔いた種、他人の事など気にもとめずに生きて来た報いがここに来て湧き出たって感じ。


 移転も完了して、売りに出した病院はすぐに売れた。何でも調教師テイマーが買い取ったって、周辺ではちょっと話題になっていたわ。

 私は相変わらず引きこもりがちで、何のやる気も起きない。

 ちょっとした冷やかしも兼ねて、買い取ったという調教師テイマーを覗きに行ったの。そうしたら、何とあの小さな冒険者が開店の準備を進めているじゃない。前に感じた嫉妬に近い劣等感がまた襲って来た。立ち止まって前に進めない自分と、目標に向かって邁進している姿。笑顔で準備を進めている姿が私には眩しくて、すぐに家に帰ってまた閉じこもってしまったの。

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