日常の非日常
第88話 やる気は空回りぎみです
アウロさんの体調も、私の体調もおかげ様ですっかりと良くなりました。ご迷惑を掛けた分、取り戻そうと気合を入れて受付へ向かいます。
よし。
廊下を颯爽と抜けて、受付へと通じる扉を鼻息荒く押し開きました。
「ヒマね」
「ヒマ」
「もう閉める?」
「閉めるのはダメだよ、フィリシア」
目に飛び込んで来るのは、既視感を覚えるやりとり。緩み切った空気に私のやる気はしぼんでいきます。相変わらずの開店休業状態でした。ダレダレなのも分からなくは無いのですが、この状況は困ったものですよ。
ハルさんは再び
そうそう、新しく【スミテマアルバレギオ】に団員が入ったのですよ。
ユラさんという丸顔の可愛らしいドワーフさんです。何でもエルフに憧れ、
エルフの血を持つハルさんを羨望の眼差しでずっと見つめている姿に、これまた既視感を覚えます。
そうです、ネインさんと一緒なのです。
確かネインさんはドワーフに憧れる優秀なエルフさんで、ユラさんエルフに憧れるドワーフさんで⋯⋯ややこしい。変わった方が多い
みんなで一斉に雑務に当たると、掃除に餌やり、入院している仔達の世話まであっという間に終わってしまいます。緊迫する事態もありません。空気が緩み切るのも致し方ありませんよね。
とはいえ、この状況を指で咥えて眺めているだけでは流石にマズイと、アウロさんは街中にビラを撒きに出掛けて行きました。しかし、何でこうも誰も来ないのでしょう? ヒマな日々を過ごすのが、いい加減マズイのは私でも分かります。
「困りましたね」
私はやる事も無くなり、誰も座らない待合のベンチに腰を下ろしました。開け放たれた表玄関から、街の喧騒が届きます。街は相変わらずだと言うのに、ここ【ハルヲンテイム】だけは静かな
「ただいま」
「お帰りなさい。どうでした? お客さん、いらっしゃいますか?」
疲れた顔を見せるアウロさんは、受付に配るはずだったビラをボサっと投げ置きました。私と同じ様に待合のベンチに体を投げ出し、誰が見ても上手くいかなかった事が分かる表情をされています。
「何でこんなにお客さん来ないんだ? おかしくないか?」
ラーサさんの言葉はごもっともです。
「それがさあ⋯⋯」
「失礼しますよ。ラーサ! いい加減レポートをまとめてくれ!」
アウロさんの嘆息しながらの言葉を遮り、飛び込んで来たのは【オルファステイム】のログリさん。デルクスさんやログリさんの助けがあったからこそ、私とアウロさんは助かったとの事です。全くもって頭が上がりません。
「ええー、まかすよ。見つけたのはログリじゃん」
「最初に見つけたのは、あなただ。抗生剤の件もあなたが発見したのだ。あなたの名で発表するべきでしょう」
「いやいや、研究続けているあんたの名で発表しなよ」
「あなただって研究は続けているのでしょう?」
「⋯⋯いやぁ、まあね⋯⋯」
凄い勢いで飛び込んで来たログリさんはラーサさんに詰め寄ります。ちなみにこのやり取りを見るのは初めてではありません。私が寝ていたベッドを挟んで、同じやり取りをされていました。
コーレ菌
真面目なログリさんは、第一発見者のラーサがその栄誉を受けるべきと主張して、ラーサさん面倒だからとログリさんに押し付けようとしている。そんな感じでしょうか。
モモさん曰く、『ふたりとも優秀だから、こんなにも早く原因菌を見つけられたのよ。あ、これ言ったのラーサには内緒ね』とウインクされました。
今後の事も考えるとコーレ菌
「落ち着きなさいよ、ふたりとも。ここはやはりログリ、あなたが発表した方がいいと思うわ」
「何故ですか? 外科医のあなたならレポートの重要性はお分かりになるはずだ」
見かねたモモさんが割って入りました。ラーサさんは何故か小さくガッツポーズを見せ、ログリさんは不満を隠さず表情を曇らせます。
「それに緊急性も分かっているつもりよ。今回の件は早く
「しかしですね⋯⋯」
「ログリ、僕からもお願いするよ。この件は早く伝えるべき事象。この先、僕達みたいに苦しむ人が出ないように影響力のある【オルファステイム】から発表を頼むよ」
「そういう事だ。頼んだぞ、ログリ」
「ラーサ、あなたは黙っていなさい」
ラーサさんは肩をすくめて口を閉じました。モモさん、アウロさんの言葉にログリさんは逡巡を見せています。ログリさんはみんなを見渡し諦めたのか大きく溜め息をつき、何度も頷きました。
「分かりました。私の方で早々にレポートは発表しましょう。ただし⋯⋯署名にはラーサ! あなたの名も連ねておきますからね!」
「ええ~。遠慮する」
「ダメです。これは決定事項です。それとあなたの研究データも下さい。レポートに加味します」
「はいはい」
ラーサさんもここが落としどころと判断したようです。イヤイヤながらも素直にログリさんに頷きました。これで万が一また菌が出現しても、対処に苦慮する事はありませんね。
「それで、何でお客が来ないの? アウロさん何か言い掛けていたよね?」
フィリシアがベンチに体を投げているアウロさんに向きました。
「ああ⋯⋯。どうもイヤな噂が立ってしまっているね。【ハルヲンテイム】に行くと病気になるって。参ったよ。ビラを渡そうとしても、誰も手にしてくれさえしないのだから」
「ええー。何でそんな噂が立つの?」
眉間に皺を寄せ、フィリシアは不満を爆発させると、やれやれとモモさんが口を開いていきました。
「フィリシア分からない? きっと【ライザテイム】の仔達を運び込んだからよ。見た目がいいとは言えない仔達ばかりだったでしょう」
「あれか⋯⋯」
【ライザテイム】から運び込んだ仔達の凄惨な姿を見て、噂が立った。
確かに酷い怪我を負っていましたけど、そんな事で噂が広まってしまうのでしょうか?
「あ!?」
「どうしたのエレナ?」
「モモさん、どうして【オルファステイム】には、噂が立たないのですか? ウチと状況は似た様なものですよね?」
「確かにそうね? 何でかしら?」
【オルファステイム】はいつもより忙しいみたいな事を、ベッドの上で聞いた記憶があります。状況は同じはずなのにウチとは正反対です。
【ライザテイム】の件とは別の理由があるとか? でも、お客さんが来なくなったのは【ライザテイム】の仔達を受け入れたタイミングですよね。頭の中で疑問符が踊りまくりです。
みんなも同じように宙を仰ぎ、出そうにも無い答えに頭を悩めていました。
緩慢な時間の流れは相変わらず。答えの出ない事をいつの間にか考えるのを止め、押し黙る受付はまた緩み切っていました。
ガラガラと通り過ぎるかと思った豪奢な馬車が、目の前に停まります。貴族が乗る儀装馬車かのごとく、金で縁取られた装飾。濃い赤に塗られ高貴なオーラを放つ馬車が【ハルヲンテイム】の入口に現れました。
緩み切っていた私達は一瞬何が起こっているのか理解出来ず、声も出さずに顔を見合わせて行きます。みんな同じ事を思っているようで、この場違いな馬車の存在に困惑の色を深めました。
お付きの人が煌びやかな扉を開くと、フードとマスクで顔を隠す女性が手を引かれ舞い降りました。舞い降りるなんて大仰な。と思うかも知れませんが、その所作一つ一つが優雅な佇まいを見せ、私達の視線を釘付けにしていたのです。
「お、お客様!」
「お、おう⋯⋯」
私の上ずる声に、上ずる返事。突然のらしくないお客様の登場に、緩み切っていた空気が一瞬で緊張と困惑に染まっていきました。
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