第84話 異例(イレギュラー)

 大人しいはずの灰熊オウルベアが、暴れた現場ね⋯⋯。

 

 デルクスの感じた現場での違和感を伝え聞いた。

 何かと引っ掛かる所の多い現場だったのか⋯⋯。話だけでも違和感を覚える、異常とも言える現場。

 逡巡するハルの姿に、デルクスはいつもの柔和な表情は消え、少しばかりの困惑を見せていた。


「それでハルさん。【ハルヲンテイム】は大丈夫なのですか? 父も言っていましたが、どうにも変な噂が流れていて、お客さんがウチに流れて来ていますが⋯⋯」

「噂って?」

「【ハルヲンテイム】は汚染されていて、連れて行った動物モンスターが病気になると。そんな根も葉も無い噂が立っていますよ」

「はぁ~。根も葉も無いって分けではないかもね。病気になるなんて事はないけど、院内で感染があったのは事実よ。ウチの従業員がふたり、感染してしまったの」

「え? 大丈夫ですか? まぁ、感染症なら薬があるので、大丈夫だとは思いますが⋯⋯」


 ハルは深い溜め息をつきながら、首を横に振っていく。その姿にデルクスの表情は困惑を見せていった。


「その事も聞きたくて⋯⋯。抗生剤の効かないコーレ菌の話って聞いた事ある? 抗生剤の効かない新種の噂とか」

「抗生剤の効かない? どういう事ですか?」

「現場から運び込んだセントニッシュが保菌獣だったの。菌を確認した所、コーレ菌が見つかった。症状とも一致するし、投薬で問題無いと思ったのだけど、効くはずの薬が効かない。何でもいいから情報が欲しくて、伺わせて貰ったの」


 デルクスは一瞬逡巡の素振りを見せ、伝声管へ口を寄せていった。


「なるほど⋯⋯僕より詳しい人間を呼びましょう。⋯⋯モニークとログリに大至急応接室へ来るように伝えて欲しい」

『分かりました』


 デルクスは伝声管に急を告げると、受付嬢の返事が伝声管を通じて聞こえた。ハルはバツの悪さを感じながらも、素直に感謝を告げる。

 

「ごめんね、忙しいのに。でも、助かる。ありがとう」

「お互い様ですよ。そのセントニッシュがウチに来ていたら、ウチが頭を悩めていたのですから」


 ノックと共に顔を見せるふたり。ハツラツさが溢れ出ている猫人キャットピープルの女性と、眼鏡を掛けた少し神経質そうな痩せた男性。ふたりともハルの姿に少し驚いた顔を見せ、入室した。


「デルクスさん、どうしたの?」

「ハルさん、こっちの女性が薬剤師のモニーク、こちらの男性が内科医のログリです」

「忙しい所ホントにごめんなさい、【ハルヲンテイム】店長のハルです。ふたりに聞きたい事があるんだけどいい?」


 ふたりは不思議そうに顔を見合わせ、頷いて見せる。他店の店長が聞きたい事など、心当たりがあるわけが無かった。


「構いませんが、どういう風の吹き回しですか?」

「そうそう。【ハルヲンテイム】の店長さんが直々って、どうしたの?」

「単刀直入に聞くわ。抗生剤の効かないコーレ菌って知っている? 噂レベルでも構わない、もし聞いた事があるなら些細な事でもいいから教えて欲しいの」

「それはまた⋯⋯」


 ふたりは揃って記憶の中からハルの求める物を探したが、すぐに首を横に振って見せた。ハルも分かっていたのか、諦めに近い吐息を漏らす。


「だよね」


 落ち込みを見せるハルに代わって、デルクスが続けた。


「先日の【ライザテイム】の件があったろう。あの時に【ハルヲンテイム】が受け入れたセントニッシュが保菌獣だった。しかも、抗生剤の効かない菌に従業員の方が苦しんでいるのだ」

「うわぁ。それ他人事ひとごとじゃないね。その仔がウチに来ていたらウチがやばかったって事だ。ログリは何か知らないの? いつも勉強しているじゃない」

「そのような話や文献に心当たりは、残念ながらありませんね。モニークこそ薬の話なのだ、何か近しい話でも無いのか」


 モニークは肩をすくめて見せるだけだった。


「何か些細な事でもいいからヒントが転がっていないか、伺っただけだから。まぁ、必死にもがいてみるわ。時間が無いからね」


 悔しさを噛み殺すハルの姿に、見つめる三人は嘆息するしか無かった。



「忙しい所悪かったわね。現場の話が聞けて良かったわ」

「具体的な力になれなくて申し訳ありませんでした。何かあったらいつでも声掛けて下さい。他人事ではありませんからね」

「うん。ありがとう」


 

 分かった事は出だしから何かがおかしかったって事だ。

 

 出だしからか⋯⋯。

 

 飛ぶとは思いもよらなかった、大手調教店テイムショップ

 襲うはずの無い灰熊オウルベアが襲ってきた。

 効くはずの抗生剤が効かないコーレ菌⋯⋯って考えていいのか。

 別の菌と考えるより、今回の件に関してはそう考えた方がしっくりくる感じがする。

 何も無いかと思って行ってみたものの、収穫はそれなりにあった。

 ただ糸口が見つかった訳では無い。小さく些細な物でいい、何か解決の糸口が見えて欲しい。

 

 絡まる解決の糸は複雑に絡み合い、解きほぐれてはくれない。

 いや、その結び目さえ隠しているのか。

 いくら考えても答えは出ない⋯⋯スッキリとしない思いは曇天の空のごとく真実を隠してしまうのか。

 切り替えろ。止まるな。

 ハルは顔を上げ、急ぎ【ハルヲンテイム】へと戻って行った。


◇◇◇◇


 【ハルヲンテイム】に流れるのは、暗鬱な時間。変わる事の無い状況が、焦燥を積み重ねていくだけだった。

 ラーサは顕微鏡を覗き、頭を抱える。

 モモは隔離部屋に倒れ込むふたりの姿にもどかしさを募らせた。

 夜の帳が下りる。

 何の進展も見せない一日の終わりが近づき、フィリシアは天を仰いでいく。

 何度となく漏れる吐息。吐息の数だけもどかしさは積み重なる。

 床で意識を失うふたりの呼吸は、寝息と言うには余りにも苦しそうだった。


「モモ、戻った。ふたりの様子はどう?」

『良くないわ。何か進展はありました?』

「具体的には何も。ただ、いろいろと引っ掛かる現場だったと言うのは分かった」

『そうね。何か普通とは違う現場だったわ』

「モモ、自分の体調はどう? 無理してない?」

『すこぶる快調よ。ラーサに早くしてって言っておいて』

「伝えておく」


 伝声管からはモモの元気な声が届いた。

 それが強がりなのも分かった。

 言葉の端々から伝わる強がりは、モモ自身の限界が近い事を告げていた。

 

 この閉塞感を打ち破る何かを探し、もがく。

 院長室に並ぶ文献を漁り、症例を求めるが一向にそれらしき物は見当たらなかった。

 コン! と軽いノックの音が唐突に響く。


「フィリシア?」

「ハルさん、お客さん?」

「うん? 誰?」

「えっと⋯⋯」


 こんな時間に?

 扉の隙間から顔を覗かせ、煮え切らない返事を返すフィリシアにハルも怪訝な表情で返す。

 こんな時に誰よ? 

 苛立ちを隠す事なく扉を睨むが、すぐにその表情は驚きへと変わった。


「デルクス!? ログリ?? 何でまた?」

「すいません。先程の話を聞いて何か力になれないかと思いまして、雑用くらいなら出来ますよ。何でも仰せ付け下さい」

「ええ?」

「私は先程の店長さんの話に興味を惹かれまして、抗生剤の効かないコーレ菌を確認したくてですね。その、ついて来ちゃいました」

「はぁ⋯⋯。いや、ありがたい⋯⋯です。知恵を貸して。とりあえず菌を確認して貰っていい?」

「もちろん」


 まさかの来客だったが、正直助かる。頭も体もパンクしている状態で、目先を変えてくれるかも知れないふたりの登場。

 煮詰まった【ハルヲンテイム】の状況を打破する一助になってくれれば。いや、凝り固まっているかも知れない頭に風穴を開けてもらえれば、それだけでも十分だ。



「ラーサ!」

「どうした?」


 疲れた顔を覗かすラーサにデルクスとログリの来訪を告げた。ログリとは勉強会などで面識はあるが、面と向かうのは初めてだと言う。

 それでもすぐに菌株を取り出すと、ログリの目つきが変わっていった。


「なるほど。これですか⋯⋯。確かにコーレ菌ですね。抗生剤が無効な可能性⋯⋯。他に何か変わった事は?」


 ログリは顕微鏡を覗きながら、問い掛けた。視線は外す事なく、顕微鏡の先を睨み続けている。


「んー。特には。症状も特徴もコーレ菌と言っている。未知の菌の可能性を探っているけど、それらしいものは見当たらない。仮に未知の菌があったとしたら、今の症状をどう説明する? コーレ菌の存在と症状の整合性はどうなる? とかいろいろと矛盾が生じちゃうよね」


 傍らに立つラーサの言葉に、ログリは顕微鏡から顔を上げる。経験した事の無い事象。戸惑いを見せながらも深く逡巡していく。


「確かに。そう考えると原因が、未知の菌と考えるのは難しい。未知の菌が存在したら、コーレ菌の存在意義があやふやになってしまう⋯⋯。やはり鍵はコーレ菌と考えるべき」


 ログリはまた顕微鏡を覗く。ラーサの言葉を噛み砕き、それを踏まえた上で微細な異変を探した。


「ラーサ。あまり関係無い事かも知れないが、このコーレ菌、少し黒くないかい? 細菌図書ある?」

「あるよ」


 ラーサが手渡す図書を開き、ログリは再び顕微鏡を覗く。自身の知識と経験を重ね合わせ、目の前の異例イレギュラーへと対峙していった。

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