初めての治療

第24話 小さな鳥と小さな女の子

『【ラ・サーガ】

~北に不穏の種が生まれ芽吹く時、人々は嘆き続け暗闇に屈する。

 南に勇気ある者生まれ風吹かす時、人々は光の種の芽吹きを感じる。

 風が火を呼び、水を運び地に安寧をもたらすと不穏の種は枯れはじめ

 光の種と共に北の地に封ずる。人々は安寧の地を得、繁栄を為す~』



「学校とか親から何度も聞かされる、この世界のお伽噺だ」


 初めて聞いた物語。

 キルロさんの家に遊びに行くと、私とキノにお話を聞かせてくれました。

 うーん。ただ、お話の内容が良く分かりません。どういう事?


「よく分からないね」

「ねー」


 キノに首を傾げて見せると、キノも一緒に傾げて見せます。その姿にキルロさんもニカっといつもの笑顔。


「オレも良く分かんねえ」


 みんなで笑い合います。優しい時間。

 私の心を穏やかに幸せにしてくれる。


「あ! でもこの間、勇者さん達に会ったよな」

「あったー。目が緑の人」

「緑なんて珍しいね! でも、キノの金色も凄く珍しいよ」


 “ゆっくりして行きな”と言い残してキルロさんは仕事に戻っていきました。体の調子もだいぶ良さそうで何よりです。“3万ミルド払わなきゃなんないから、休んでいられないんだよ⋯⋯”とボソっと悲しげに呟かれたのは聞かなかった事にしました。私なりの優しさという事にして下さい。


「そうだ。ドライフルーツ食べる? 今日も持って来たんだ」

「食べるー!」


 色鮮やかな甘酸っぱいフルーツをテーブルの上に並べていきます。


「全部食べちゃダメよ。キルロさんの分も取って置かないと」

「うん⋯⋯」


 本当に分かっているのかな? キノが一心不乱にフルーツを口元に持って行く姿に私は一抹の不安と嬉しさを感じます。

 私もひとつ。


「美味しいね」

「うん!」


 口の中に甘酸っぱさが広がると、爽やかな香りが私の鼻腔をくすぐっていきました。優しく平穏な時間がゆっくりと流れて行きます。


◇◇◇◇


「ふぅ」


 今日も無事に一日が終わろうとしています。

 みなさんは灰熊ラウスベアー手術オペの為、手術室です。私ひとりで閉店の準備を進めていました。少し早めの店終いです。

 街もまだ帰宅する足はまだまばらで、夕餉に向けての買い物もひと段落。街は一瞬の静寂を見せていました。


「あ、あのうお姉ちゃん⋯⋯」

「わ、私?!!」


 突然背後から女の子の声がして、びっくりして振り返ると小さな女の子がそっと両手で小鳥を抱えていました。彼女の手の平には今にも息を引き取りそうな瀕死の小さな鳥。


「この子を助けて下さい。お願いします」

「え? え? えっー!?」


 頭を下げる女の子の必死な姿に、私は焦る事しか出来ません。人の声に未だに緊張しているせいもあります。

 ダメ。落ち着いて。

 私は急いで深呼吸をして、心を落ち着けます。


「ご、ごめんね。い、今、誰もいなくて他の所で診て貰えない?」


 女の子は激しく首を横に振りました。


「他の所行ったけど、助からないからって⋯⋯」


 力なく俯く女の子の姿に、自身に鞭を打ちます。しっかりしろ、私。

 みんなは手術オペで手が放せません、私がなんとかしないと⋯⋯。とはいえ、私に出来る事なんてたかが知れているのですが、やるしかありません。


「おいで。い、急ごう」


 私は女の子と共に、診察室へと急ぎます。

 女の子が大きな診察台の上に小さな鳥を優しく置き、私は急いで点滴の準備をします。棚から必要な物を取り出し、並べていきました。

 足りない物はない? 慌てちゃダメ。

 自身に言い聞かせながら、並べて行きます。

 出血しているから、体液の変わりになる物⋯⋯体力も落ちてそう⋯⋯急げ、急げ。

 小鳥の背中に点滴のルートを確保し、薬剤を瓶へと放り込みました。血が足りないはず、少し早めに落としましょう。

 聴診器ステートを見よう見まねだけど胸に当てていきます。

 ゆっくりとした心音。

 考えて。

 体が大きくなるほど心音はゆったりする。これだけ小さいのに心音が早くないって事は心臓がすでに弱くなっている? 合っているのかな⋯⋯。

 ダメ。不安を表に出さない。女の子の方が不安。

 心臓を動かす薬⋯⋯どれよ! 私のバカ、思い出して。

 ラーサさんが使っていた瓶を思い出せ! リオルバ⋯⋯違う⋯⋯ファリン⋯⋯クロラ⋯⋯アギニン! あったこれだ。この仔の大きさからほんのちょっとでいいよね。重さを計っている時間はない。

 数滴だけ⋯⋯。

 私はスポイトで吸い取ったアギニンを点滴瓶に数滴垂らして、様子を見ます。

 痛そうだけど麻酔はきっとダメ。あ! 痛み止めも少し入れてあげよう⋯⋯ファリン、ファリン。

 どう? 痛いのは取れたかな?

 見る限りの変化はなしかな、むしろ苦しそう、呼吸が弱い。

 確か小型動物モンスター用の送気管があったはず⋯⋯。

 机の上に挿してあったストローの先がラッパ状に開いている送気管の先を咥え、開いている先を小鳥のくちばしの元に向けます。ゆっくりと少しだけ空気を送って、肺の動きを手助けしていきます。小さすぎて分かんない。肺は動いているの? 

 女の子は祈るように見つめています。感じた事の無い緊張と焦り。

 

 ⋯⋯あ!

 

 目から生気が失われていきます。マズイです。

 聴診器ステートを胸に当てると弱々しくもあったはずの心音はなくなっていました。

 私は胸の指を当て心臓マッサージ。モモさんの教えを頭の中に呼びお起こします。

 小鳥だから力強さはいらない、気持ち早く。1、2、3、4⋯⋯フゥー。このリズムをキープ。

 空気を送っても胸の動きは相変わらず分かりません。


「お願い。帰って来て⋯⋯」


 祈る思い。

 動いて⋯⋯お願い⋯⋯。


『奇跡は起こらないから奇跡なんだよ』


 ラーサさんの冷静な言葉が頭を過ります。

 私はその言葉を振り払い、頭の中を空にしていきます。ただひたすらに繰り返すだけ。

 どれくらいの時間やったのか覚えていません。そんな長い時間では無いはずです。私の額から汗が流れ落ちて行きます。息遣いが荒くなっているのが自分でも分かりました。


「⋯⋯ん⋯!」

「 ⋯ちゃん!」

「⋯⋯お⋯⋯ちゃん! お姉ちゃん!」


 膜が張った外から聞こえる声⋯⋯。

 そんな錯覚がしました。


「⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」


 女の子の声に私の手は止まります。荒い息遣いのまま女の子へ視線を動かすと、私の袖をギュッと掴んでいました。

 

 ダメだった⋯⋯。


「⋯⋯ごめんなさい」


 今の私にはその言葉を絞り出す事しか出来ません。自分の無力さに打ちのめされそうです。もっといろいろ知っていれば⋯⋯。気が付くと荒い呼吸のまま天を仰いでいました。

 私の後悔をよそに女の子は首を横に振って見せます。


「お姉ちゃん、ありがとう」


 目に涙を浮かべながら伝えられた感謝の言葉が、ズシっと心に圧し掛かります。不甲斐ない自分がひどく矮小に感じてしまいました。


「お姉ちゃん、これ」


 差し出された小さな手の平に硬貨が五枚。5ミルド⋯⋯。


「貰えな⋯⋯」


 断ろうとした時にパン屋のおばさんを思い出しました。私の手の平からいつも取っていた3ミルド。

 そうか⋯⋯こんな気持ちだったのかな。貰わない事で相手に何かを背負わせてしまうかも知れない。あの時おばさんが3ミルド取ってくれたから私はあそこに通えたのだ。

 私は小さな手の平から1ミルドだけ掴み取りました。


「助けられなくてごめんなさい。でももし、また何かあったら連れて来てね」

「うん。お姉ちゃん、ありがとう」


 笑顔でお別れはなかったけど、小鳥の亡骸の入った小箱を大事そうに抱えながら女の子は帰って行きます。

 女の子から貰った初めての治療費。1ミルドを握りしめながら、女の子が見えなくなるまでずっと背中を見つめていました。


「エレナ、どうしたの?」

「ハルさん⋯⋯」


 手術オペを終えたハルさんがいつの間にか後ろに立っていました。私を見つめる青い瞳になぜかとても安心を覚えます。


「女の子が連れて来た小鳥を助けてあげられませんでした。他の調教店テイムショップで断られたそうで⋯⋯点滴打って治療したのですがダメでした」

「どんな感じだったの?」

「出血していて、心音も呼吸も弱い状態でした。塩水とアギニンを大急ぎ投与して、苦しそうだったのでファリンを数滴、点滴瓶に投与。それで様子を見ましたが、ダメでした」


 落ち込む私の肩にポンと手を置くと、優しく微笑んでくれました。


「残念だったわね。エレナの処置は間違ってない、自信を持ちなさい。かわいそうだけど誰がやってもきっと結果は同じだったでしょう。生まれて初めての治療をしてみてどうだった?」

「何だか、とても悔しいと思いました。もっと私がいろいろと知っていれば、助けてあげられたかも⋯⋯って。あ、点滴とか使ってしまったのですが、これだけしか貰いませんでした。すいません」


 私はポケットから1ミルドを取り出しました。ハルさんの小さな手が私の手を包み込み、その1ミルドを握り直させます。


「これは、エレナが持っていなさい。初めての治療で受け取った治療費。今日の悔しかった気持ちを忘れないよう大事にするといいわ」

「でも、薬を使ってしまって赤字ですよ⋯⋯」

「フフフフ。ウチのモットーは取れる所から取るよ。取れない所からふんだくったって仕方ないでしょう」

「ぷふふ。そうでしたね」


 口端を上げて悪い笑顔を見せるハルさんに思わず噴き出してしまいました。

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