過ち

第16話 【吹き溜まり】って何ですか?

 午後の静寂を打ち破るハルの声。アウロはすぐに裏口へと駆け出す。


「どうされました?! ハルさん」

「あいつが【吹き溜まり】に落ちた。また、すぐに出なくちゃならないの。詳しい話は追々するから、取り急ぎキノの様子を診て貰える」

「分かりました。キノ、行こうか」


 【吹き溜まり】に落ちたという言葉に一同が一瞬氷ついた。ハルの焦る理由が分かり、従業員達の心もざわついていく。

 アウロはくたっと力無くうな垂れているキノを抱え、診察へと向かう。

 ハルの焦燥は止まる所を知らず、焦りは【ハルヲンテイム】全体へと波及していった。


「スピラはお疲れ様。グラバー!」


 寝そべっていたサーベルタイガーに声を掛けると、のそりとハルの側へと寄って行く。


「宜しくね」


 少し小さめのサーベルタイガーの胴をポンポンと叩き声を掛けた。


「モモ! クエイサーに餌と栄養剤を多めでお願い!」

「ラーサ! ギルドに行って緊急クエストを発注して来て。これ、書状!」

「フィリシア! 荷物多いから大型兎ミドラスロップを連れて行く、アントンの準備をお願い!」

「エレナ! 犬豚ポルコドッグも! マイキーの準備をお願い。それとひとっ走りして、あいつの家から靴とか服を持って来て!」

「それから馬車の準備もお願い! あ! 矢の補充も⋯⋯それから、回復薬も積んで! あ、それから⋯⋯」


 矢継ぎ早に指示を飛ばす、ハルのテンションの高さに不安を覚えながらも、みんなは指示通りに素早く動いて行った。その様子にアウロが首を横に振り、ポンとハルの肩に手を置いた。


「落ち着きましょう。焦っていい事はないですから。キノは心配いりません。少し疲れていただけです。大丈夫」

「そう⋯⋯ありがとう⋯⋯」


 焦って見えなくなっていた自分に気が付き、ハルは落ち着きを取り戻していった。


「【吹き溜まり】に向かうのですよね。準備はこちらでしますから、ハルさん自身の準備もして下さい。止めはしません、止めてもきっと行くでしょうから。全員でしっかりサポートしますから、まずは落ち着きましょう。さぁさぁ、休んで、休んで」


 アウロはハルの両肩に手を掛けると、椅子に座らせ、目の前にパンやスープを次々に置いていった。アウロは、みんなの方へと視線を向けていく。


「さぁ、しっかり準備しよう。【吹き溜まり】は何が起こるか分からない、抜かりの無いようにね」

『はい』


 アウロの声掛けに一同の集中が上がって行く。

 ハルはその様子を、パンをかじりながら黙って見つめていた。


◇◇◇◇


 アウロさんと一緒に幌の無い小さめの馬車へ必要な物を積み込んで行きます。矢や剣、槍などちょっと物騒な物を多く積み込みます。荷物を見れば、これから行く所が危険だというのは十二分に分かりました。私は手を動かしながらアウロさんに不安をぶつけます。


「あのう、アウロさん。【吹き溜まり】って危険なのですか?」

「そうだね。近づいてはいけないって言われている⋯⋯あ、それはこっちに渡して⋯⋯」

「はい、どうぞ⋯⋯どうしてですか?」

「うーん。僕も実際には行った事は無いから詳しくは分からないけど⋯⋯黒素アデルガイストは知っているかい?」

「いいえ。何ですかそれ?」

「うーん⋯⋯そうだね⋯⋯とても良くない黒い霧みたいな物、なのかな? 怪物や攻撃的な動物達を活性化させる物⋯⋯らしいよ。それは北に行けば行くほど濃くなる。だから北の方に人は住んではいないんだ。多分この辺にも薄くはあるんだろうけどね」

「はぁ⋯⋯それと【吹き溜まり】がどう関係するのですか? これはどこに置きます?」

「それは、左側に割れないように布で包んで置いて⋯⋯この世界にはたくさんの窪地がある。浅い物から深く大きな物まで様々な窪地。そこに長い年月掛けて悪い霧、黒素アデルガイストが蓄積して、黒素アデルガイストの濃い空間が出来てしまった。それが、そのまんまだよね【吹き溜まり】と呼ぶようになったんだ。黒素アデルガイストが濃いとどうなるって言ったか覚えているかい?」

「悪い怪物や動物が活性化する⋯⋯強くなるって事ですか?」

「そう。強くなるし、うようよいるんだって。僕も聞いた話でしかないので、実際どの程度なのかは知らないんだ。でも、キルロさんはそんな危険な所に落ちてしまって、ハルさんもこれからそこに潜る。僕達に出来る事はしっかりと準備して、お店をしっかりと回してサポートする事。いいね」

「はい⋯⋯でも、ハルさんじゃないちゃんとした方に頼んだ方が⋯⋯」

「まあね、僕達も本心を言えばハルさんには潜って貰いたくはないけど、下手な人が行くよりきっとハルさんの方がちゃんとしている。何と言っても『白い閃光』って異名がついていたくらいだからね。あ! この話はハルさんに内緒ね。本人イヤがるから」

「は⋯⋯はい」


 ハルさん、名うての冒険者だったとは聞いているけど⋯⋯。

 でも、やっぱり心配ですね。そんな危険な場所に落ちてしまったというキルロさんも心配ですし、キノもそんな危ない所に行って大丈夫なのかな? 

 アウロさんの話を聞いて、余計にソワソワとしてしまいます。

 それに私はいろいろ知らない事が多過ぎる。自分がどれだけ狭い世界に閉じこもっていたのか痛感してばかりです。



「ハルさん。お気を付けて。絶対に無理はしないで下さい」

「うん。分かっている」


 アウロさんの声掛けにハルさんは力強く頷き返します。その力強さに私の手もギュっと力強く握りました。今は信じて待つしか出来ない。

 シュルっとキノが寄ってきました。

 そう、分かっている。私は膝をつきキノを抱き締めます。


「キノ、キルロさんを見つけてね」


 みんな無事に帰って来て。

 ハルさんと動物だらけのパーティーが【ハルヲンテイム】をあとにします。私は見えなくなるまでその背中を見つめていました。


◇◇◇◇


「エレナ! これ違うよ! しっかり!」

「ご、ごめんなさい」


 フィリシアさんから頼まれた、添え木の長さを間違えて持って行ってしまいました。さっきはモモさんに頼まれた注射器シリンジの大きさを間違えるし、ダメダメです。

 

 しっかりしなきゃ⋯⋯。


「きゃあ!」


 待合に女性の悲鳴が響きます。騒然となる待合で、膝の上で長毛の猫が泡を吹いて痙攣を起こしていました。さっき私が点滴を打った仔です。少し食欲が落ちているけど大きな病気ではなさそうなので、栄養剤を打って様子を見ようって⋯⋯。何が起こっているのか分からず、私は頭がグルグルして何も考えられません。

 何が起きているの? 大丈夫だったはずじゃ? 

 みんなは落ちついていました。焦っているのは私だけ。

 ラーサさんがいち早く、猫人キャットピープルらしいしなやかさで、受付を飛び出しました。


「すいません。ちょっと運びますね」


 ラーサさんは優しく抱きかかえ診察室へと飛び込みました。

 

◇◇◇◇


 ラーサは診察台で痙攣をしている仔を見つめ、首を捻る。


「こんな急変する? 何で⋯⋯」


 思い当たる節がない。診察にそこまでの誤りは無かったはず。

 何か見落としがあったのか? 考えろ、急げ。

 聴診器ステートを当てると、ドドドドと激しい拍動が伝わった。

 心拍の激しい上昇による痙攣⋯⋯。原因を探っている時間はないか。

 ラーサはすぐに降圧効果のある薬を注射器シリンジに規定量を吸い込んでいく。背中の肉へとズブリと刺し、素早くプッシュした。注射器シリンジを抜き取り、薬剤が行き渡るよう背中を優しく揉んでいく。


「効いて。治まって」


 ラーサは願いを込める。

 大丈夫、治まるはず。何度も自身に言い聞かせ、診察台の行方を見守っていった。

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