第3話 お人好し(キルロ・ヴィトーロイン)

 低い柵をよいしょと乗り越えると、私の目の前に白い仔がシュルルルと寄って来ました。先ほどまでと違うドキドキ。胸の高鳴りを抑え切れません。震える手を差し出すと、クイっと頭を寄せて来ました。私はそっと頭に触れ、撫でていきます。少し冷たい手触り、なのに心はポカポカととても暖かな温もりを感じていました。

 

 白蛇は気持ち良さそうに金色の瞳を細め、私に寄り添います。

 

 こんな私を受け入れてくれる。

 

 その嬉しさは言葉では言い表せません。モノクロだった私の世界が、色鮮やかに彩られて行きます。綺麗な白が、美しい金色の瞳が、緑の芝生が、青い空が、彩れた世界が私の心を軽やかにしてくれます。


「怖くないのか?」


 私の撫でる姿を覗いて、男性は優しい声色を響かせます。


「怖くないよ。この仔とっても大人しくていい仔だもの。この仔の名前はなんていうの?」

「キノ」

「キノかぁ。キノ、いい仔だねぇ」

「オレはキルロだ。嬢ちゃん、名前は?」

「エレナ。エレナ・イルヴァン」

「エレナ、学校はどうした?」

「行ってない」

「じゃあ、友達は?」


 私はキノを撫でながら首を横に振りました。その姿に少し寂しそうな笑顔を見せ、キルロさんはまた窓辺で寛ぎ始めます。キルロさんがなぜ寂しげな顔を見せたのか私には分かりませんでした。

 

 私の撫でる手に合わせて金色の瞳を気持ち良さそうにずっと細めています。

 この世界にこんなにも愛おしく思えるものがあるなんて、私は今の今まで想像すらしませんでした。

 キノは私の手から離れると、追いかけてごらんと私に視線を向けます。私は必死になって追いかけました。今度は私の番です。


「きゃあ、アハハハ、キノこっちー!」


 いつの間にか私とキノは、庭で追いかけっこ。時間も忘れて駆け回っていました。実際はそんなに長い時間ではなかったと思います。


「はぁー」


 私は疲れて、膝の上に手を置きました。キノが心配そうに見上げているので、笑顔で頭を撫でます。


「大丈夫、心配しないで」

「どうした? 大丈夫か? 顔色が良くないぞ」


 キルロさんが、私の様子を見て窓辺から声を掛けてくれました。


「大丈夫。ちょっと疲れちゃった」

「少し休むか。キノおいで、エレナも中入れ。ほら」


 私はキノの後ろについて、居間へとお邪魔しました。物は溢れているけど、清潔感のある部屋にウチとの違いを物凄く感じたのを覚えています。

 目の前で見るキルロさんは、口元に優しい笑みを見せて私を受け入れてくれました。

 口調や格好からは、やんちゃな感じがして、それと相反するかのように、どこか高貴な雰囲気を感じる不思議な人でした。

 

 キルロさんは私を座らすと、カップに入ったミルクを目の前に置いてくれました。

 なみなみと注がれている乳白色に私は思わず見入ってしまいます。


(施しなんて受けるんじゃあねえ)


 お父さんの口癖です。私は目の前のカップを見つめ、その言葉を思い出していました。

 キルロさんは躊躇している私に首を傾げています。

 これは飲んではいけないのかな? 施しになるのかな? 頭の中がぐるぐるして一向に答えは出ません。


「こ、これは、飲んでもいい⋯⋯のかな?」

「何だよ。ミルクくらいで遠慮するな。飲め、飲め」


 私は恐る恐る、カップに口をつけます。ミルクなんていつぶりかな? それどころか、水以外の飲み物なんていつ以来かな? 思い出そうと思っても、いつだったか全く思い出せません。

 ひと口つけると、口の中にほんのりとした甘さが広がります。

 美味しい!

 ゴクっと飲み込むと空っぽの胃袋に落ちて行くのが分かります。

 私はあまりの美味しさに一気に飲み干してしまいました。


「美味しい⋯⋯」


 私は空になったカップを握り締め、呟いていました。キルロさんがその姿にニカっと満足げな笑みを見せます。


「もしかして腹が減っているのか? なんか食うか? 簡単なものでよければ用意出来るぞ」


 私は急いで首を横に振りました。お腹空いているのが、バレてしまった恥ずかしさと、お父さんの言葉が頭を過ります。


「お父さんが“施し”は受けるなって⋯⋯」

「ヒューマン街にいるって事は⋯⋯親父さんがヒューマンか。で、その親父さんはどうしているんだ?」

「うーん。月の日から冒険しごとに行っている」

「月の日って事は昨日か?」


 一週間は経っているので、私は首を横に振って答えます。


「んじゃあ、今はお袋さんとふたり暮らしか?」


 私はまた首を横に振ります。


「お母さんは知らない⋯⋯」


 キルロさんから笑顔が消えました。

 私は何だかバツが悪くて、キルロさんの顔を見られません。気が付くと、ただただ、じっと空になったカップを見つめていました。


「生活費はどうしているんだ?」

「お父さんが置いていってくれる。50ミルドあったけど今はこれだけ⋯⋯」


 私はポケットの中に残っていた2ミルドをテーブルの上に置くと、キルロさんの顔が増々険しくなってしまいました。


「一週間を50ミルドなんて⋯⋯二日がいい所だぞ。で、いつ帰ってくるんだ?」

「うーん。分かんない」


 私はキルロさんがなんで険しい顔になっているのか、その時は全く分からず苦笑いを返していました。

 キルロさんが、急にポンと手を打ちました。私はその音に顔を上げると険しかったキルロさんの顔に笑顔が戻っています。


「エレナはキノともう友達だよな」


 友達⋯⋯生まれて初めて出来た友達。私はその響きが嬉しくて大きく頷きました。


「うん」

「んじゃあ、友達のエレナにお願いがあるんだ。聞いてくれるか?」

「なあに? 聞くよ」


 私は友達という響きにうっとりしていました。

 初めて友達が出来た。初めて私を受け入れてくれた。それがたまらなく幸せでした。


「いい子だ」


 キルロさんが、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれました。人に褒めて貰ったのも初めてかも知れません。私はいっぱいの幸せを感じます。私の存在が肯定されたみたいでとても嬉しかった。

 ぐしゃぐしゃとされた頭は、ぐしゃぐしゃのまま。

 私はぐしゃぐしゃのまま、笑顔を見せます。キルロさん私の笑顔を確認して続けました。


「キノはさ、人が食べるのを確認しないと食べないんだよ。キノに、これは食べられるんだよって教えてやってくんないか?」


 私がキノに見本? 蛇に食べる所を見せる? どういう事でしょう?

 私の戸惑いを余所にキルロさんは、キノを呼びます。


「キノ、おいで。エレナが見本見せてくれるって」


 キルロさんがニヤリと笑って見せると、キノも隣の椅子から私をじっと見つめます。

 私は何が何やら戸惑っているうちに、目の前にはパンとスープ、フルーツや干し肉が並んでいました。


「エレナ、キノに見本を見せてやってくれ」


 見本? って食べる? 施し? あれ? 

 美味しそうな香りに、私は目がぐるぐるして行きます。一体どうすればいいのでしょう?


「エレナ、友達の為だぞ」


 キルロさんの優しい声。

 友達の為。私に出来る事。


「い、いただきます」


 美味しい!

 私はスープを飲み干し、パンと干し肉を口いっぱいに詰め込みました。空っぽのお腹が喜びます。

 ふと、寄り添うキノの姿が見えて、私は手の動きを止めました。

 そうだ。キノにお手本を見せないといけなかった。

 私は干し肉をちぎると、自分の口とキノの口に持っていきます。


「キノ、美味しいよ」

「エレナ、動物は好きか?」


 動物は私を蔑んだ目で見ない。


「うん。怖いのは嫌いだけど」

「そうか⋯⋯そういえばエレナは今いくつだ?」

「14」

「今度成人か!? まだ10歳くらいかと思った」

「小さいからかな?」

「そうだな⋯⋯」


 キルロさんが、私の年にびっくりしていました。そんなにびっくりしなくてもいいのに。

 私が食べ終わる前にどんどんとおかわりを持ってきてくれます。

 お腹いっぱいで幸せ。

 私を笑顔で受け入れてくれて幸せ。

 今日はとてもいい日です。自然と笑顔になります。


「おじ⋯⋯お兄さんは何をしている人?」

「今、おじさんって言いかけたろう! オレはまだ19だ! ⋯⋯そして鍛冶屋だ」


 キルロさんフンとわざとらしくそっぽを向きながら、横目で笑顔を返してくれました。

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