【ハルヲンテイム】へようこそ
坂門
第1話 ようこそ! ハルヲンテイムへ
ミドラスの中心に程近い動物達の事なら何でも扱う、ここは
もふもふした小さな猫を抱えるマダムから、冒険に連れて行く
「ご用件は?」
「ちょっと伸びて来ちゃったからカットをお願い。爪も一緒に頼むわ。ちょっと暑くなってきたから短めがいいかしら?」
「いいですね。この仔暑いのは苦手そうですものね。短めにカットするのはいいですよ」
「今日はどうされました?」
「こいつをクエストに連れて行きたいんだが、急に腹の調子が悪くなったみたいで、ちょっと診てくんねえか?」
「そっか。あなたお腹痛くなっちゃった⋯⋯分かりました。ちょっと心配ね、診てみましょう」
いろいろな飼い主の思いが交錯して行く待合。
両開きの扉が乱暴に開かれ、待合に漂う平和な空気が一気に撹拌されていく。四人の男女が荷台に乗せられた大きな熊を運び込むと、待合がその姿にざわめき立ち、その一点にみんなの視線は集中した。
「ハル! 頼む、この仔を診てくれ! 頼む!」
運び込んだパーティーのひとりが飛び込むなり、大声でまくし立てた。その必死な懇願に待合の緊張が一気に上がって行く。荷台に乗せられた熊は、ぐったりと身動きひとつせず、胸に開いた穴から血が湧いていた。首に巻いている茶色と黄色の二色のマフラーがこのパーティーの
弛緩していた待合の空気が一変する。
ひりつく空気。
カウンターの奥から小さなドワーフエルフが飛び込むとすぐに熊の上に馬乗りになった。血を浴びる自身の事など全く気にせず、開いた穴に指先を当てた。
「【
指先から淡い緑色の光が発すると、小さなエルフは開いた穴へ躊躇なく小さな手を突っ込んで行く。
「どこよ⋯⋯どこ?⋯⋯」
「ハル、頼む⋯⋯」
男の懇願に一瞥だけした。
ハルはぶつぶつと呟き、出血先を直にまさぐりながら叫ぶ。
「アウロ! 準備! モモ、直マッサお願い、ラーサ、点滴50単位と大型種用の止血クリップを2! いや三つ用意して! エレナ! バッグ! フィリシア! あと宜しく! ルーベン達はこのままこの仔を運ぶよ! 真っ直ぐ奥! 急いで! 急いで!」
アウロは言われるより先に動いていた。カウンターの奥へと消え、導線の確保と術の準備に入る。
モモはメスを片手にハルの隣へと飛び込み、メスで胸をさらに開くと、ハルと同じように躊躇なく両手を体内突っ込んで行った。そのまま心臓を両手で包み込み、直に心臓をマッサージしていく。
ラーサは奥から点滴を両手が塞がる程持ってくると、針についた蓋を口で抜き、すぐに血管に刺して行った。
「ラーサ! 出し惜しみなしよ!」
点滴瓶を持ちながら、ハルの言葉に黙って頷く。
エレナは豚の胃袋で出来たバルーンで、熊の口元に空気を送る。真剣な目で、熊の表情を読み取っていく。
「呼吸、弱いです。自力でほぼしていません」
「エレナ! 続けて!」
「はい!」
ガラガラと駆け抜ける荷台と共にエレナとラーサも駆けて行く。ルーベンを筆頭とするパーティーも蒼ざめた顔で必死に荷台を押して行った。
「はいはい、みなさんごめんなさいね。これから緊急の
フィリシアは待合で待つ人々に頭を下げ、扉の看板をクローズに裏返すと、フィリシアも手術室へと駆けて行った。
荷台は短い廊下を駆け抜け、両開きの扉へそのまま飛び込んだ。タイル張りの床に殺風景ながら清潔感の漂う部屋。そこに尋常ではない緊張感が漂う。
「ルーベン達は下がっていて」
ハルの言葉にパーティーのメンバー達が壁際へと移動する。心配と不安が交錯する中、祈る事しか出来ない。メンバーの女性は固く手を握り胸の前に置いた。
フィリシアがハルとモモにエプロンとゴーグルを装着していく、血塗れのふたりに最早無意味かも知れない。
「あった! クリップ頂戴」
フィリシアが血塗れの小さなハルの手にクリップを渡す。血の海で染まる胸の中、手探りだけで原因を潰していく。
「もう一個」
ハルが血塗れの顔を上げ、大きく息を吐きだした。
「アウロ、ホース」
「準備出来ています」
「脇腹の下、うん、そうその辺」
アウロはハルのガイド通り、脇腹の下へ小さな切れ込みを入れるとそこにホースを突き刺した。ホースを通じて胸の中の血が外へ吐き出されて行くと、傷の全容が見えて来る。
鋭い大きな何かで一突き。開いた胸から大きな血管から小さな血管、主要な臓器までズタズタな酷い様相を見せた。
その様にハルは顔を少しだけしかめ、すぐにアウロから針と糸を受け取る。
フィリシアがみんなの汗を拭っていく。
アウロが血管を鉗子で挟み、ハルが血管を縫い合わすという気の抜けない繊細な作業が続いた。
モモは術式の邪魔にならぬよう、注意しながらマッサージを続ける。
エレナは一定のリズムを崩さず、空気を送り続けた。
ラーサは点滴瓶を睨み、送り込む輸液を切らさぬように注意を払い、量を調節していく。
祈りは圧となり、室内の熱を上げて行った。
血管の処置が完了すると、続けて破れた臓器を塞いでいく。肺が、胃が、肝臓が傷ついていない臓器の方が少なかった。
ハルは表情を変えず、破れた臓器を閉じていく。次から次へと現れる開いた臓器の傷を淡々とその小さな手が結んでいった。
滴るハルの額の汗。途切れる事のない集中。
そして爆発しそうなほどの緊張感に、見守るだけのルーベン達が大きく息を吐きだして行く。
一刻、一刻。時間は簡単に過ぎて行く。圧し潰されそうな圧を感じさせない粛々と続けられる施術。
ハルが顔を上げる。ゴーグルをずり下げ、術の終わりを告げた。
「さぁ、戻ってらっしゃい。ラーサ、輸液をじゃんじゃん入れて」
「はい。ヒールどうします?」
「意味ある?」
ラーサは黙って首を横に振る。ここまで酷いとヒールを掛けた所で焼け石に水。掛けるなら、復活の兆しが見えてからだ。
血液の代わりに体中を巡る輸液に賭けるしかない。
「帰ってらっしゃい! みんな待っているんだから」
ハルは熊の一挙手一投足に集中する。
静まり返る室内に、エレナのバッグの音だけが響く。
「ほら、早く戻ってらっしゃい」
ハルは同じ言葉を繰り返し、ルーベン達は戻って来いと願い、祈り、固唾を飲む。
「自発呼吸ありません。瞳孔、開きました」
エレナは静かに伝える。手は休まず空気を送り続けていた。玉のような汗が顔からタイルの床へとポタポタと落ちて行く。
ハルはモモの腕に手を掛ける。モモが悔しげな顔で、胸の中から手を抜いた。
その姿にエレナも手を止め、神妙な面持ちで熊の顔をじっと見つめる。
アウロは冷静を保ち、ラーサは目をゆっくりと閉じていった。
フィリシアはそっと熊の側に寄り添い、頭を撫でる。
「頑張ったね」
フィリシアの囁く声色が手術室に響くとパーティーは大粒の涙を零し、どうにもならない思いを嘆く。
悲しみが覆う。
ハルはひとり宙を睨み、悔しさを呑み込んだ。
パン!
ハルが両頬を叩くと、瞳に力を戻す。
その音を合図にエレナが、モモが、ラーサが顔を上げ。アウロは軽く頷いて見せた。
「よし! モモとラーサは店に戻って。アウロ、フォローお願いね。フィリシアとエレナはここの片付けとこの仔を送り出せるようにしてあげて。さぁ! みんな戻るよ!」
『『『はい!』』』
ハルがパーティーへと駆け寄ると、ルーベン達パーティーも怪我を負いボロボロな姿を見せていた。詳しい事は分からないが、きっとこの仔が体を張ってみんなを守ったに違いない。それは体を張ってでも、ルーベン達を守りたいとこの仔は思ったという事だ。そこには間違いなく強固な信頼関係を作っていたのが分かる。
ハルはルーベンの腕に手をやり、頭ひとつ以上大きいルーベンを見上げた。
「ごめん、助けてあげられなくて。私達の力不足だわ」
「そんな事はない。ハル達は頑張ってくれた。一生懸命やってくれた⋯⋯だから⋯⋯いい⋯⋯」
嗚咽と共に声を詰まらし、ルーベンは言葉にならない。
「ちゃんと送り出し出来るように、この仔を綺麗にするから。その間にあなた達の傷も診ましょう。応急処置くらいは出来るから、こっちにいらっしゃい。この仔を綺麗にしたら、またすぐに会える。さぁ、みんなこっちよ」
ハルは血塗れのまま、パーティーを引き連れ扉の外へ出て行った。
フィリシアが胸に開いた大きな傷口を縫い、体を綺麗にしていく。
エレナは使った道具や手術着をまとめると熱湯で消毒し、血だらけの床を掃除していった。
やるべき事をやる。待っている仔がいるのだから今ここで重い空気を跳ね返す。
「ようこそ、ハルヲンテイムへ」
受付ではモモとラーサが、すぐに笑顔で出迎えていく。
ここは中央都市ミドラス随一の
何でも相談承ります。
皆様のご来訪、心よりお待ちしております。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます