第2話 護衛騎士テレスフィオ

「薪割り終わりましたので、厨房に入ります」


 その声に振り返れば裏口の戸を潜り、鋭い目付きの若者が厨房に入ってくるところだった。彼は短く切り揃えた黒髪を掻き上げ、翡翠の瞳でオーリーを捉えた。


「テレスフィオ……」


 思わず溢れたその呼び名にテレスフィオは顔を顰める。


「オリランダ様……ここでその名前は……」


 窘めるテレスフィオにオーリーはふと笑みを溢す。


「ふふ、そうね。あなたも駄目よ?」


「……何かありましたか?」 


「いいえ……何も……」


「嘘を吐かないで下さい、と前にも言いましたよね? そうで無ければ俺はいつでもあなたを連れて帰る、とも」


「言ったわ……でもね……もう無いそうよ……キエル王国……」


「……っ」


 虚をつかれたような顔で固まるテレスフィオに苦笑を返し、オーリーは片付けに入る。


「知っていたのね?」


「……すみません」





『私をお連れ下さいオリランダ様、必ずお役に立ってみせますから』


 家を追い出され、身一つで国からも放り出された自分に付いてきてくれた義理深く優しい護衛騎士。

 そんな事をすれば彼の家に迷惑が掛かる事は分かっているだろうに。勿論オーリーも分かっていたけれど……


 あの時、一人で行かなければならない心細さに、テレスフィオの同行を拒む事が出来なかった。


『ごめんなさい……』


『謝らないで下さい。いつかご両親や王太子殿下も、やり過ぎたと悔やむ日が来るでしょう。その時はその言葉を、今度は彼らに聞かせてあげて下さい』


 じわりと涙が目に浮かんだ。もう誰もいない、耐える必要も無いのだと分かれば、それはポロポロと溢れ、オリランダはそのままテレスフィオの腕に縋りついて子供のように泣き崩れた。





(結局あれから誰も私を探しに来る事は無かったけれど……)


 もうあの人たちより今の生活の方がオーリーの中で大きいものとなっていて、今ではたまに、少し胸が軋むだけ。

 あとはもう、テレスフィオがいてくれて本当に良かったという思いしかないのだ。


 


「お客さんたちの話で時々聞いてたから、なんとなく大丈夫かなって思っていたけれど……もう駄目なんだと思うと複雑なものね」


「まだ……気になりますか……」


 躊躇いがちに聞いてくるテレスフィオにオーリーは吹き出してしまう。

 食器を洗う手は仕事に慣れた女性のもの。貴族の令嬢の頃のような白魚の輝きはとうに無い。そうやって少しずつあの家の、貴族令嬢だった自分を断ち切って、今笑って生きているのだから……


「いいえ、あの人たちの選び取ってきた末だもの。納得いかない事はあっても、きっと受け止めていると思うわ。何よりあの人たちが私に言って来た事だものね」




『これはお前の心根の貧さが導いた結果だ』


『悪は必ず裁かれる。我らはそれを許しはしない』




「……聖女であるメイルティン様を虐めていた私が、大変な時期もあったけれど、今はこんなに幸せな日常を過ごせているのだから、あの人たちは大丈夫よ……きっと……」


 国は違えど貴族なのだ。

 国家の解体があったとて、同盟国員の一つであるキエル国を粗雑に扱う事は無いだろう。


「……そうですね、手伝いますよオーリー」


「ありがとうテレス」

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