Ψ 真偽不明 non liquet 1948,5,9(SUN)
我なんぢの指のわざなる天を觀なんぢの設けたまへる月と星をみるに 世人はいかなるものなればこれを聖念にとめたまふや人の子はいかなるものなればこれを顧みたまふや 只すこしく人を神よりも卑くつくりて栄と尊貴とをかうふらせ またこれに手のわざを治めしめ萬物をその足下におきたまへり
詩篇八篇三―六節
神はいる。御堂周一郎はそう言った。岩田は御堂の発言の意を介すことができなかった。御堂は神を否定していたではないか。御堂は神を憎み、神を利用した人間として人を殺した。その彼がなぜ神がいるなどと言うのか。復讐という人間らしい動機をもってして人を殺した。それが一変して神がいると言う。この矛盾はどういうことか?
今は阿見がなぜ殺されたかを訊ねたのである。御堂の発言は明らかに飛躍をしている。岩田には御堂のこの言が得心しえるはずがない。
あはは、あはは――。
怪訝とする岩田をジッと見詰めて、御堂は口角を上げて哂った。それは冷笑とも快哉とも言える奇妙な響きを含んだ哂いだった。少なくともその哂いが日常において発せられない呈のものであることだけは介すことが出来た。
「お前が怪訝な顔をするのも道理だ。まあ、黙って聞いてくれ。聖マラキを知っているか? 『マラキ書』とは関係ない奴だ」
「否、知らない」
聖マラキは岩田に聞き覚えがなかった。『聖』が冠についているのだからおそらく基督教の聖人の名であろう。岩田は基督教の聖人を想起してみたが聖マラキなどという聖人の名前は見たことも聞いたこともなかった。
「まあ、知らないのが当然だろうな。聖マラキなんて、『聖』を冠にしているが、聖人暦には名を連ねていないからな」
「その聖マラキがどうした」
岩田は御堂の真意が解らなかった。
「聖マラキは一二世紀の教皇特派大使だった男だ。彼がなぜ正当なる基督教には認められず、俗世で聖人と認められたのか。それは彼が神にも匹敵せん力を有していることによる。教会の権威を保つためには特殊な能力者はかえって邪魔だからな。聖マラキは何をしたか。それはある一つの書を記したことだよ。その書は西暦一一四三年からこの世の終りまでの教皇百一人の異名が書かれた預言書だよ。その書は後に偽書とという研究発表によって正史から排斥されることになったが、その預言は正確であって、近年の強硬もその異名に相応しいものだよ。本物の預言書だと言われている」
御堂はそこで一息を付いた。その顔には先程とは違う莞爾とした笑みが含まれていた。
「聖マラキの預言書は教皇の名を異名で書かれていることから本物といわれていても、彼が真の預言書であるかどうかに疑問の余地がある。本物であったかどうかはともかく、それを信じる者は未だにいるよ。人間というヤツは不確定なものに不安を覚える。人間は不確定なものに対して不安を抱く。だからこそ確定されたものを与えるものに人は魅かれる。確定されたものを探そうとする。預言書とは人間に不確定な未来を確定させてくれる代物だ。人間は多かれ少なかれ預言書を求める。聖マラキの預言書もそういった人間の本能的な不安から生み出されたものかも知れない。ヨハネの默示録だって元々はそういった預言書のひとつだろう。
人は預言書を求める。新興宗教なぞはその預言書を創ろうと考えるはずだ。なぜなら預言書があれば民衆は飛び付くし己の教義を権威付けることができるのだから。現に戦後に雨後の筍の如く出てきた新興宗教は大抵において独自の終末論を唱えて布教しているよ。
この耶蘇久流水教を見てみろ。預言書は存在しているか? そこで『神殺しの黄昏』を振り返ろうか。益田老人が『そこで外典とされたものは久流水版聖書には含むべきか、否かが久流水聖書の問題点なのだよ。その他にもこの死陰谷村に伝承される天草四郎時貞様への資金援助の件や哲幹殿、桐人様のことは聖書の一部として取り入れるのかという問題もある』と言ったな。奇異しいだろ。耶蘇久流水教版聖書には独自の預言書が触れていないのだよ。では、預言書は存在していないのか? 否、こう考えたらどうだ。もう既に預言書が完成されている、と」
「僕の質問には応え切れていないぞ」
岩田が堪らず反論した。なぜ預言書の話などするのか?
「これが質問の答えさ。阿見がなぜ殺されたのか。白い十字架の扉の中には一体何があったのか。これがその答えだ」
「十字架の中には預言書があったと?阿見はそれを発見してしまってお前が殺したと?」
「そういうことだ……」
「なぜ預言書が発見されたことが、殺人の動機となる?」
岩田は御堂が語ることに理解ができなかった。否、できるはずがない。預言書なぞが殺人の動機など言われても理解ができるわけがない!
盆地から熱い風が吹き上げた。風は岩田を包み込んだ。
「その預言書が本物だったら?その十字架の中にあった預言書が、俺や、お前、桐人が行なっていた一連の殺人事件を正確に記されていたとしたら?」
「莫迦な!」
五月の熱い風が岩田と御堂の二人の間を通り抜けた。
御堂は下方に眼を伏せると、真ッ赤な支那服の懐から古びた綴本を取り出した。その表題には『默示録』と記されていた。御堂はその雀毛色に変色した禍禍しき古書を岩田に差し出した。岩田はそれを奪うように捥ぎ取り頁を開いた。
嗚呼、おそろしい!
『默示録』に記されていたもの、それは今までの一連の事件の記録だった。具体的な個人名は伏せられて聊か抽象的な表現になっているものの、一連の事件記した書だった。ヨハネの默示録に見立てた真の神の子と崇められる者による殺人、小人である者の便乗した殺人。贋の神の子の自殺。すべてが、すべて此処一週間で起こった現実の事件がそのままに描かれていた。岩田は頁を読み進めるにつれて己の存在が瓦解していくような崩壊感に襲われた。ぐるぐると眩暈が起こり、辛うじて保っていた深遠なる心の均衡が揺らぎ、崩れ去っていくことが解った。
「冗談だよな?ああそうだ。お前が事件の記録を大急ぎで書いたでっち上げの默示録なんだろ。冗談だろ。正直に話してくれよ!」
岩田が震える声で御堂に尋ねた。すべてを否定したかった。御堂に冗談と言って欲しかった。御堂は岩田の期待する態度は取らなかった。ただ顔を下に向けて真ッ白な髪を太陽に輝かせていただけだった。
「偽者ではないよ。偽者だったら俺はそれを発見した阿見を殺さなかった。あの日、お前と喧嘩した俺は外に飛び出た。白十字架の前でなにやら熱心に書を読み込んでいる阿見に出くわした。阿見は俺に気が付くと顔を上げ、青褪めた表情でこの事件の真相を語りだしたのだ。俺が真の犯人であること。そのことが手にしたこの默示録に書かれている。阿見は預言書の自分が殺害されるところは読み飛ばしたらしいな」
そして阿見は俺を嘲笑った。
『あはは、あはは―』
その嘲笑を浴びたときの俺の心境をどう表現したらいいだろうか。神を否定し、神の名を利用して殺人を犯したのだ。人間としての証、神への抗いとしての鎮魂歌だったのだ。それがすでに預言されているのだぞ。俺の人間としての殺人は一体何だったのだ。結局は神の児戯にしか過ぎなかったのか。俺は人間として殺害をしたんだ。決して神の掌の中の存在ではない。俺は人間だ!
ふと気が付くと俺の足元には真ッ赤に血を滴らせた阿見光治の姿があった。この世で俺の振舞いが神の手にあることを知っている唯一の人物を冥府に葬ろうとしたのだ。皮肉なことに、それすらも默示録のとおりだったが……。
俺は阿見から默示録を奪って逃げた。神の手から逃れるようにこの忌まわしい神の棲家から遁走をしたのだ。
真逆か阿見がまだ生きているとは思わなかった。最後の最後、阿見は伝えた。『ホルムンクルス(Homunculus)』と。あれは默示録を読んで次の殺人犯が、小人(Homunculus)であるお前であり、被害者が久流水穂邑(Homura Kurusu)であることのメッセージだった。あいつは默示録の内容を未然に防ごうとしたのだ。今にして思えば『ホルムンクルス』というメッセージを深く分析すれば、默示録の存在は推認できたな。すべては神の掌の中にあったのだよ」
御堂はそこまで言うとホウッと一息吐いた。相変らず五月の風が白髪と短躯の間を吹き抜けていった。
信じられっこない。すべては預言されている。一連の行いは全て神の掌の出来事だったなんて。信じられるわけがない。岩田は朦朧としかける意識の中で懸命に否定をした。否定するしかない。もしその通りなら岩田の犯した罪とは一体何なのだ。己の純愛を取戻したくて犯した罪とは一体何だ。自分を支えた純愛すらも、金剛石の様に抱き続けようとした純愛も全ては神の掌にあったことになるではないか。そんなこと信じる訳にはいかない。
「信じられるわけないだろ!お前がこの一連の事件の直前にこの事件の計画書を踏まえた文書を書いたものなのだろ。俺と穂邑が引き合えば殺人が起こることすらも予測していたのだろ。そうだ、頭の良いお前が事件の直前に予想を起てただけだろ! そうだろ、御堂ッ。否、そうに違いない! そうであるはずだ!」
岩田は何としても否定したかった。己の純愛を守る為に……。
岩田が捲し立てると、御堂は肩を落としてひとつ嘆息した。その姿全体からは諦観の様がありありと窺われた。何もかもが風前の塵の如く見定めたようであった。御堂は真ッ白な髪を陽光に輝かせてながら暫し岩田に視線を向けていたが、また一つ嘆息すると今度は下方にある耶蘇久流水教の要塞に眼を向けた。暫し久流水教のゴチック建築を眺めていた。やがて御堂は静かに重い声を発した。 「フッカネリの『大聖堂の秘密』という書を知っているか。その書の冒頭にこんな記述がある。『ゴチック美術art gothiqueは、発音が完全に等しい《隠語の》argothiqueの綴り違いに他ならないと考える』と。ゴチックは隠語だよ。即ち隠された意味があるということだ」
「何だって?」
岩田は御堂の言わんとすることが判らなかった。
「いいか、思い出せ。俺らが眼下に広がる久流水教の要塞に脚を踏み入れたとき、俺は何と言った? 『神殺しの黄昏』にも書いているな。『この久流水家の城壁内にある建築物の配置が奇異しいのだよ。真円形の城壁をなしているのならば、円全体に建築物が疎らに配置させているか、対称に配置しているべきだろう。だがなぜか此処では円の南側一部に偏っている』と。また要塞の中にある個々のゴチック建築にも奇異しなところがある。顕著なのは黄水館だ。『黄水館』という名前自体が奇異しいし、それに何故かその正面玄関には『六尺ほどの扉一面に硝子鏡が張り付いていた』。それにあの白い十字架は何だ。単に預言書保存のためのものか? 何故態態十字架を白く塗っているのだ? 聖堂はどうだ! 聖堂は城壁のちょうど中心にあって、入口上部には『橙色の十字架』が貼り付けてあり、中には『金の十字架』があった。金の十字架はともかく『橙の十字架』とは何だ? その『髑髏の丘の白の十字架と北西に見える聖堂を結んだ直線の延長線上に』工房があるのだ? 墓地は『赤い鉄の錨を配置した』ものだった。また墓地は『黄鉄鉱で出来た鍾乳洞』を『カタコンベとして使用していた』ものだ。『時計台は凡そ五階建てほどの高さの孔雀石造りで』、『その上方には緑色の文字盤を配した直径が一〇尺ほどの時計が付いていた』。なぜ孔雀石なんだ?なぜ緑色の文字盤なのだ? それに『紫書館』とは何だ? 司書館の間違いではないのか? それになぜ『錫製の香炉』なんてものがあった?燃えやすい紙の側で火など常に焚いているのだ? 写字室はなぜか黒塗りだった。 岩田ッ、解かるか? この奇妙な建物の配置とその装飾が意味するものが。 岩田ッ、お前も見ろ! この隠語のつまったゴチック建築の要塞を!」
岩田は御堂に言われるがままに、眼下に広がるゴチック建築の群々を臨んだ。一週間前に見たあのときの光景と何ら変わることのない景色があった。城壁が円く囲繞したゴチック建築。南側に偏った建物郡。御堂はなぜこれに拘るのだろうか。御堂の口吻では、どうも隠語が隠されているそうだ。だが岩田にはその隠語を見出すことはできなかった。
岩田が何の反応もしないことに苛立ちを感じたのか、御堂は相不変の嘆息をした。文学の名文を諳んじ始めた。
太陽そのものは純金でございます。
水星は使者で、お引き立てとお給金のために奉公いたし、
近世婦人は皆さんを魅惑し、
朝から晩まで皆さんに色目を使います。
純潔な月は気まぐれのお天気屋で、
火星は皆さんを焼かぬにしても、その力でおびやかします。
木星は依然として一ばん美しい光で、
土星は大きい、見た目には遠くて小さいけれど。
土星は鉛で、金属ではあまり貴べません。
値うちは乏しいが、重さは重い。
さよう、太陽に月がやさしく寄りそえば、
銀に金がそろうから、朗らかな世の中になり、
他のものはなんでも手にはいります。
宮殿でも、庭園でも、かわいい乳房でも、赤いほおでも、
なんでも、あの大学者なら、手に入れます。
あれなら、われわれのだれにもできないようなことができます。
ゲーテ『ファウスト』
御堂が諳んじた名文、それはゲーテの『ファウスト』だった。
岩田は暫し理解ができなかった。だが次第にその意味に愕然とした。嗚呼、所詮は神の掌の中か! 『ファウスト』のとおりではないか! 太陽系惑星は占星術や隠秘学等で金属や色彩を記号として当て嵌められている。それに基づいて占星術は人の生まれた時の惑星配置を割り出し、その星の持つ金属や色彩を求め、それらからその人の運勢を占っているのだ。例えば生まれた日の空に火星があったら、火星の属性の色彩は赤だからその人物の幸運色は赤といった具合の占いの結果を導き出すものなのだ。それぞれの惑星の属性は太陽に属する金属は金で色は橙色、月は銀で白、水星は水銀で黄色金星は銅で緑、火星は鉄や黄鉄鉱で黄色、木星は錫で紫、土星は鉛で黒。
眼下に広がる久流水家の家々はそれらの象徴が当て嵌められているではないか! 聖堂は橙色と金の十字架があり、要塞の中心に位置していることから、太陽を擬えている。太陽を模した聖堂を中心にして同心円を描く様にその他の建物が配置されている。太陽である聖堂に一番近いのは黄水館だ。黄水館は水星の象徴している。名前が『黄』『水』館であり、玄関正面にあった鏡の原材料は水銀だ。金星は時計台だ。金星の象徴である緑色で文字盤が描かれ、孔雀石は銅を含む鉱石だ。木星は紫書館だ。その名の通り『紫』書館であり、錫の香炉が置かれている。しかも、確か魔鏡は錫で表面を加工していた筈だ。写字室は黒塗りで印刷活版は鉛が材料だから土星だ。工房は占星術で考慮されない地球であろう。白十字架は月だ。久流水家の建物がそれぞれ惑星を暗喩している!
また『髑髏の丘の白の十字架と北西に見える聖堂を結んだ直線の延長線上に』工房があるということは、太陽、月、地球がちょうど一直線に並んでいるという事になる。太陽、月、地球がこの順番に一直線に配置するということ、即ち日蝕! 地球と太陽の間に月が現れ、太陽が月の影に隠れてしまう現象が日蝕だ。聖堂、十字架、工房が一直線に並んでいるのはまさに日蝕の構図ではないか。今日五月九日は日蝕が起こる日だ!
岩田はこの符合に如何とも言い難い慄きを感じた。眼下に広がるゴチック美術は一九四八年五月九日の太陽系惑星の配置した隠語の構図!。即ちそれはこの建物を久流水哲幹が建てようと考えた時から既にこの事件を知っていたことになるのでは! 默示録としてだけでなく久流水家を俯瞰した際の建物の配置によって記し残した。この一連の事件が起こる以前に預言者久流水哲幹の認識の範疇にあったということなのか。ならば……。この神を否定して、己の為、人間の証明として犯した一連の事件は……。
岩田の小さな全身を支えていた何ものかが一気に崩れ去っていくのを感じた。結局は神の手の中で踊らされていた自分。完全に無力な自分を顕然と見せ付けられているのだ。均衡を失するのも当然であろう。守ろうとした純愛、自分のものだけだと豪語したかった純愛、そのための罪。それらがすべて自分のものではないのだ。それすらを神は呑み込んでいた。
岩田は膝から一気に上体を崩した。焼け付く地に膝を着けていた。目睫の悪夢を前にして絶望し、肉体の平衡を失ってしまった。
崩れ落ちた岩田を横目に見乍ら、御堂は視線を下野に向けたまま口を開いた。
「神はいるのだよ、岩田ッ。桐人が犯人であるという偽の謎解きをする直前、俺は紫書館でこの配置が今日の天体の配置であることを確信したとき、また預言書を読み漁ったとき、今のお前のような感覚に襲われたよ。俺はその恐るべき事実を否定しようとした。だが直ぐにどうにもならぬことに気が付いたのだ。默示録に書かれている預言を回避しようとするなら、それは俺が自ら犯人であると名乗り出るしかない。そうすれば預言の内容とは異なったことになり、神の否定になる。しかしどうだ! 畢竟、己を絞首台に送ることになる。それは神を否定するが、同時に己を否定することになるのではないか。己のやってきた一連の殺人、それは神の名を利用して身勝手な人間どもに復讐することだ。だが自ら進んで絞首台に上ることはそれが罪であり、決して許されぬことであることを自ら認めることになる。神は否定できるかも知れぬ。だが同時に神の嘲笑う声も聴こえてきそうな気がしたのだ。『それ罪の拂ふ價は死なり』……。ロマ人への書第六章二三節の一節が俺の脳裏を過った。俺は絞首台でも死ねない。俺が神を否定するためには死んではならない。俺は相克に苦しめられた。俺はどうすればいい? 俺は予定通りに行動することにした。あはは、あはは……」
御堂の嘲笑は五月の蒼空を通り抜けた。その嘲笑も生温い風に消え去った。御堂は音のない嘲笑をやめると再び口を開いた。
「神はいるのだよ。悔しいけれど……」
岩田は熱く焼けている大地に膝を付けたまま小さく呟く様に尋ねた。
「お前は本当に神を信じているのか? 桐人が創られた神であったように、眼前に広がるこの悪夢も巧妙に作られた人間の偽書かもしれないだろ。聖マラキの預言書が預言書でありながら偽書として認定されているように。それに実質が伴っていても形式が伴っていないことだってある。実質と形式、両方揃って証明力が付加されるものだ。確かに眼前にあるものは今のこの日、一連の殺人を延べているかもしれない。だからといってそれが神の証明になるわけではない。人間の認識の彼方に在るものを証明する形式など解りっこないからな。奇跡が神によるものであるか、偶然によるものであるかの証明法などない。恐るべきものが眼前にあろうが、それが神を肯定することにはならない。タネの解らぬ手品を見てそれは魔術であるといっているようなものだ。御堂ッ、それでもお前は神を認めると言うのかッ!」
岩田の声は段段と音量を増して終には叫ぶ様な悲痛な響きを孕んでいた。御堂は雪のような白髪を掻き揚げて続けた。
「確かにお前の言うとおり己が解くことができない眼前の事象をもって神の証明に代えることはできない。神は存在せぬかも知れぬ。神の証明など人間には不可能なのだから。神の降臨せし昔日より幾許の時が経ようと人類未だ踏襲せず。悠久をもってして不可能であったことを眼前の事象を以て証明に代えるは愚かというべきもの。先師賢人はアナロギア・エンティスに落ち着かざる終えなかった。お前の言う通り神の存在の証明などは人間には不可能だ。眼前に広がる悪夢も俺らの想像の埒外にある偽計を以てした悪事かも知れぬ。神の存在の証明なぞ未だなされていない……」
「ならばなぜ御堂お前は神がいるというッ!」
岩田は振り絞る様に声を絡げた。御堂は蒼穹の太陽が大地を焦がしていた。輝く大地の反射光に顔を顰めた。
「神とやらが存在しようがしまいが我々は神を胸中に描き続けているということだ」
「何ッ――」
「俺は神を0(ゼロ)に例えたことがあったな。でも後の気は心からそんなことを思ってやしなかった。阿見を遇らうための方便として言っていた神を否定する態度は避けた方がここでは動き易いし、神を怨んでいた俺にとって神がいるとは全面に言う気になれなかったからな。神はいた方がという程度の結論を言うしかなかった。だが今なら心からそう思う。神はいたほうがいいと。
哲学者であり詩人であったニーチェは神を殺した。神がルサンチマンの投影であり、人間の運命の嘆きを慰撫するために神を作り上げたものであり、奴隷的精神の産物だと言った。以後人間は神というものを恐れなくなった。人間の時代であり、人間の可能性は無限大であり、個人は何ものにも束縛されず己の意思の赴く儘自由に運命を切り開けるものとして生き始めた。何者にも帰属せず己の個性を以てして自己を表現していけると信じて個々人のオリヂナリチーを世間に知らしめて生きていこうとした。この意思の力は益々加速度を増していくだろう。戦争という全体主義は終わったのだ。これからは個人としてありのままに生きていこうとする情勢は益々高まるだろう。何かのためではない己の意思の赴きに従い、個性を持って生きていこうするだろう」
「だからこそ俺たちは己の信念をもってして行動したのだろ!」
岩田はあらん限りの声量で応えた。
「確かに俺らは己の意思で行動した。俺は神を否定しようして、お前は自分が思う純愛の証明のために行動をした。己の意思に忠実に何ものにも束縛されない、寧ろ神を積極的に利用した」
「そうだよッ、だったら――」
岩田が口を開きかけると、御堂が掌を岩田に向けて制した。
「だが俺たちは結局どうした? 己の意思に忠実に生きた結果どうなった? 結局は無数の亡骸の山を眼前に気付いただけではないか。それから逃れるために嘘を重ねただけではないか。俺たちは己の意思に忠実だったが何かを得ることができたのか。単なる自己満足とそれを責め立てる社会という奴からと乖離するために無理しただけだ。単なる自己満足だけじゃあないか。俺は思い知らされた。己の意思に忠実であってもどうにもならぬと。この眼前の景色の意味を知ったときに俺は人間の矮小さを見てしまったのだ。俺は聞いてしまったのだ。己の力の限界を、人間の可能性など無限大などではないと哂う何者かの嘲笑を。ニーチェが神を冷笑したのと逆の意味合いをもった哂い声を聴いてしまった。神が人間を嘲笑する声を聴いてしまったのだよ。お前はここまでだ。個性が何だ。人間の可能性が何だ。オリヂナリチーが何だ。そんなものはただの驕りにか過ぎぬという神の笑い声を聴いてしまった。怖ろしくも最も優しい哂いを!」
――あはは、あはは、あはは――
「己の限界を知ったが故に神の存在を認めるというのか。ルサンチマンの偶像だ!」
「それは違うぞ。俺は人間の限界を知ったが故に神を認めるわけではない。俺は奴隷的精神など人類の文化的発展において最も端倪すべきものだと考える。俺が認め求める神はそのような神ではない。普遍なる存在としての人間の絶対的不可侵を示す神のことだ!」
「どう違う?」
「ルサンチマンの偶像としての神というのは、奴隷的精神を持つ人間が己の惨めな人生を嘆き、同時に他人の幸運に嫉妬した末に創作した代物だ。その神が己の行いを慈愛でもって見守っていてくれると夢想して現世では惨めだけれど彼岸では神が幸せな日々を与えてくれるだろう。神は我々を見守り、悪と善を審判してくれるだろう。善良であれば彼岸にて救われる。隣の人生の勝者である人間は現世で幸せそうに生きているけれど、彼岸では不幸な日々を送るだろう。神は我々を見放さず我々に働き掛けてくれるだろう。ルサンチマンの偶像としての神はそんなものだ。
俺の言わんとする神は、人間を見守りもせず、況してや彼岸のために現世に現れたりもしない。ただ無限で普遍なる存在であり、人間に限界と理想を抱かせるだけの存在であり、何ら人間に働きかけぬ存在というべきものだ。いわば神の存在を求めるのではなく、むしろ神の当為を求めるというべきかもしれぬ。
お前も見たはずだ。この久流水家において様々なものが永遠普遍の何ものかを希求している姿を。それは神ばかりではない。それは善であり美であり真であり、時として愛であり、その愛も様々であった。人々は何か普遍なるものを希求してそれを支えに生きていたではないか。少なくとも希求するものに関しては皆真摯であった。人間は支えがなくては生きてはいけない。それはお前も首肯するところであろう。だからこそお前は凶行に及んだのからな。普遍なる何ものかは人間を真摯にさせ己の限界を示すとともにそれへの飽くなき求心力に魅入られ賢明にこれに近づこうとするある憧憬を抱かせる。俺が神を認めようとするのはこの機能の為だ。確かにその力は絶大でありニーチェが批難したようにニヒリズムの所以となるだろう。己の幸福を彼岸に見出して己を高みに持っていかなくなる惧れはある。人間としての意思を剥奪してしまう危険性もあるだろう。だが俺には疑問が生じるのだ。果たして人間は神に代わるほどの存在なのであろうかと。己の意思のままに生きることで立派に生きてゆけるものなのかと。気が付けば単なる自己満足に終わってしまうのではないか。人間は人間己自身を人間の意思のみで律することができる存在なのだろうか。人間の意思の力だけで果たして世界を健全に回すことができるのであろうか。俺の答えは否だ。人間にその様な力などない。否、本来的にはあるかも知れぬ。しかし世界というやつはその力を十全に働かせてはくれないだろう。人間各々が個々として意思を持っている。それぞれが対立しないことはない。人生が上手くいかないのは世の常だ。いくら個性や自己表現なんて振り翳して己の意思を信じたとしても中々上手くいきはしない。愚直に、人には出来なくて己しか出来ないものがある筈だなんて根拠のない信念と無意味に過大な自信で社会を端倪して生きてみれば、気が付けば全て失っているなんてあるよくことだ。ニーチェが言う『超人』なんて大衆には無理だ。人間の意思など大したことはないのではないか。己と世界を結び付けるのは意思ではなく別のものではないのか。それは決して人間の思いのままにならず同時に人間がどうしようもなく憧れるものでなくてはならない。その深遠なる何ものかに畏怖しながらも積極的にそれに近付こうとすることこそが人間のあるべき道であり、その必然として真摯謙虚となり、律せられるものではないか。俺のいう神とはそのような深遠なる者のことだ。そいつは決して人間に干渉せず見守ってもくれない。ただ人間に普遍なる絶対的存在感で玉座に坐しているだけだ。俺のいう神とは人間の姿に似た老人のことではい。それは愛に代言されるものかもしれないし、真、美、善の別称かもしれない。はたまた物理数学の法則かもしれない。俺のいう神とはそういった存在なのだ。人間には干渉はしないが人間の自由にならない何ものかだ。
この国は将来的には神より逃走を図った人間の時代になるだろう。終局的には共同体は破壊されて律するは己のみになるだろう。だが己を律することのできる人間などほとんどいない。『菊と刀』曰く『真の罪の文化が内面的な罪の自覚にもとづいて善行を行なうのに対して、真の恥の文化は外面的強制力に基づいて善行を行なう』。この国は恥の文化だと言われている。共同体によって己を律する文化であると言われている。だがその恥という文化はいずれ崩壊されてしまうだろう。その局面で我々はどうするのだろうか。律することのない世界をどうやって生きていくのだろうか。世界を漂流するだけの浮草の生き方をするのだろうか。おそらく思うに共同体の復古による恥の概念の復活はないように思う。一度崩壊した共同体は再構築されるのは難しいものだからな。俺は恥でなく、罪の文化が台頭すると考えるのだよ。己の中に絶対普遍の何ものかを抱きそれとの対比によって己を律する罪の文化が表れるのではいかと思うのだ。俺は思うのだ。神が必要となる日が遣って来ることを。それは全体主義や宗教の神ではない。むしろ良心に近いものかもしれない。正確には罪とそれは言わないだろう。新たな人間を律する神秘的な何ものかが頭を擡げてくるであろうと。
俺はこの事件を通してこんなことを考えてしまった。俺は己のうがった意思のみに従った一連の行為を後悔しているよ。ただ神を批難していただけの自分を怨む。岩田ッ、お前はどうだ?」
御堂はホウッと一息吐いた。御堂と岩田の間にはしばしの沈黙が続いた。白髪の青年と小人の間を五月の風が吹きぬけた。生温く同時に重さを持った厭な風だった。
岩田は沈黙の中で御堂の言いを反芻していた。御堂がいう神とは人を救う神ではないということなのか。ただ厳然と圧倒的な存在感で鎮座するものであり、人間はそれに畏怖しつつもそれに魅入られ、且つ抗う。その過程は真摯であり人間を自律させるのではないかというのが彼の考えなのだろう。
人間の意志は堅固なものではなく堕落するものだ。だからといって単に神に委ねるべきではない。神を認めつつも人間の主体性を没しないことで己を律しようとする考えは解らなくもない。
だが岩田は疑問を持った。人間の意思に委ねる事を避けているようでその実として結局は人間の主体性に希望を抱いていることになっているのではないか。御堂は人間と神の中庸に人間の道を見出しているようだが、その中庸を選択するのもまた人間なのだ。岩田には御堂の言いもまた人間の意思に無限の可能性を抱く考えと代わらない。理想論の域を脱し得ない代物とも思われるのだ。
また御堂はこの国の行方にまで付言しているが、そのような思想概念をこの国に根付かせることはおおよそ不可能だろう。外的に強要することなどは到底出来ないだろう。内的なものである以上、個々がそれぞれ目覚めなければならぬ代物だ。結局において個々に委ねなければならないのではないか。
確かに岩田や御堂、それに桐人を己の意思に忠実に行動をしたがゆえに返って虚偽を積み重ねならなくなり、畢竟にして己を誤魔化すことになってしまった。己を律する何ものかが必要なのはわかる。だが永遠普遍などという目に見えぬ何ものかの存在、抽象的存在にそれを求めるべきという点には首肯し難い。御堂の考えは解るが岩田は素直には頷けなかった。
岩田が無言でいると、御堂はそっと呟いた。
「お前にはわからぬか。難しいだろう。探偵小説の世界から突然に訳の判らない三文文学のような話に飛んだのだからな。だが俺が言いたいことは至極簡単だよ。いくら創作というものが自由だとしても探偵小説はある一定のルールに従ってこそ探偵小説であることと一緒のことなのだよ。探偵小説には探偵小説たるための一定のルールがあるのはお前も知っているだろ。『ノックスの十戒』なんかはいい例だ。探偵小説を書こうと志すものは探偵小説を愛するゆえに書こうとする。だが同時に探偵小説のルールに嫌悪してそれを打ち破った探偵小説を創ろうとする。だがルールをあまりにも逸脱するとそれは探偵小説でなくなる。結局において誰が決めたとも知れぬルールにかなりの部分に従わざる終えなくなる。また嫌悪する。またルールを破ろうとする。その繰り返しで探偵小説は発展を遂げていく。探偵小説家は探偵小説への情熱と嫌悪を胸に高みに進む。俺が唱える神との関係はそういったものなのだよ。何か見えぬ何者かに畏怖しつつもそれを愛して闘って進んでいく。俺はそれを目指しているのだ」
御堂と岩田を取巻く風がさらに重くなってきた。
「岩田。お前はこの『神殺しの黄昏』をどう思う? 否、お前の日記ではなく将来に小説として形になったときの『神殺しの黄昏』だ。この一連の事件を探偵小説として振り返ると極めて微妙だとは思わないか。否、作品の質が微妙であることではなく、探偵小説としてかなり微妙だと思えないか。この事件をさっき言った『ノックスの十戒』を介すとそれが解る。
第一『犯人は小説の初めから登場している人物でなくてはならない。又、読者が疑うことのできないような人物が犯人であってはならない。(例、物語の記述者が犯人)』とあるが、本件では初めから犯人は登場してはいるが、探偵役と物語記述者のワトスン役の二人とも犯人だったのだから『読者が疑うことができないような人物』が犯人だったと言えなくもない。探偵役が犯人だった。ワトスン役が犯人だった。なんてことはよくあるが、両方とも犯人だったのは珍しいだろう。だが同時に二人を疑うことはできたのだから反していないともいえる。それとの兼ね合いで『探偵自身が犯人であってはならない』にも反している。だがよく考えれば俺は一度たりとも自分が探偵だとは名乗っておらず、『探偵自身が犯人』には正確には当て嵌らない。『ワトスン役は彼自身の判断を全部読者に知らせるべきである。又、ワトスン役は一般読者よりごく僅か智力のにぶい人物がよろしい』を考えるにお前は穂邑殺人事件の犯人であり、それについての判断は当然に明らかにしていない。だがそもそもお前は最終的に犯人であり、当初から俺がお前を助手としては認めていないことから、岩田梅吉はワトスン役ですらなくこの条項の当て嵌まるかは問題にならず反していないとも言える。
『探偵方法に超自然力を用いてはならない。』とあるが、本件では象徴学というものを根拠にしている箇所が多々あり、最後には預言書なんてものも出てきた。だがこれも一応象徴学を齧っている者には一定の合理性があり、預言書に至っては解決後に表れたものだから反していないと考えることもできる。『偶然の発見や探偵の直感によって事件を解決してはいけない』についても同様に象徴学を使ったものなどは偶然の発見、探偵の直感ともいえるが、合理性も存在する。
『秘密の通路や秘密室を用いてはいけない』には穂邑殺害の際に尨犬の通路などを使っており反しているとも考えられるが、また同時にその秘密の通路があるであろうことの手掛かりは前もって与えているからその趣旨は反していないようにも思われる。
『科学上未確定の毒物や、非常にむつかしい科学的説明を要する毒物を使ってはいけない』とあるが、『ロミオとジュリエット』の毒物が使用されている。しかしその毒の成分自体は問題となっていないのだから反してはいないともいえる。
『中華人を登場せしめてはいけない』。これは『ノックスの十戒』の中で最もクダラナイ文だが、今度は中国も日本も同じものとしてその趣旨を見れば、また呑剣術なんか妖しげな術を使う支那服の男なんかいることからも反するとも考えられなくもない。同時に日本人と中国人は別物だと厳格に見做せば判しないことになる。
『読者の知らない手がかりによって解決してはいけない』もベツレヘムの星などを『読者の知らない手掛かり』ともい得るが、それは読者の知性の程度の問題としてやり過ごすこともできる。
最後の『双生児や変装による二人一役は、予め読者に双生児の存在を知らせ、又は変装者が役者などの前歴を持っていることを知らせたうえでなくては、用いてはならない』を考えるに、本件では阿紀良と『マリヤ』との一人二役があったが、それが『予め読者に』『知らせ』てあったかは極めて微妙なところだ。その知らせ方が本の男と女の持ち方という科学的データや月と太陽の象徴学であり、『予め読者に』『知らせ』ていたといえるかはっきりと言い難い。
この『神殺しの黄昏』は果たして探偵小説といえるのか。殺人、推理、解決の手順を踏んではいるが、探偵小説なのだろうか。お前はどう思う?」
御堂は体全体を岩田に向けて尋ねた。太陽が御堂の真ッ白な髪を銀線の如く輝かせていた。岩田にはその輝きが眩しくもあり、また胡散臭くも思えた。何故そう感じさせたか解らない。岩田には御堂の存在が、否、世界全体が揺らめいている様に感じられたのだ。この死陰谷村の入口に来てそれほど時間は経っていない筈なのに全く別の風景が広がっているように感じたのだった。
「お前が言っていたではないか。『探偵小説も一つの信仰』だと。だったらそれが探偵小説であるか否かは、それを描いたもの及びそれを読んだ者がその小説をどう考えるかだ! 僕や将来これを読む読者が探偵小説だと信じれば、『神殺しの黄昏』は破綻した探偵小説になるだろうし、探偵小説ではないと見なせば、ただの夢物語だ!」
岩田が言い放つと、御堂が続けて尋ねた。
「だからお前はこれをどう信じるのかと訊いているのだッ」
岩田は御堂の恫喝するような口調に狼狽した。
「それは……」
岩田には解らなかった。果たして自分が何をどう信じているなんて。岩田の眼前の風景は揺らめいているのだ。ゴチック建築の群々も、白髪の青年も、桐人の狂気も、穂邑への怨みと殺したときの感覚も、『マリヤ』への感情も、死屍累々も、妻の死の悲しみも、亜里沙との美しき日々も、すべてが全て揺らめいていたのだ。果たして何を信じてきたのだろう。果たして何を信じていくのだろうか。ハテ、解らぬ。俺は何ものなのだろうか。何ものであろうとするのだろうか。
岩田梅吉の胸裏は漆黒の何かが渦巻いていた。その渦は重厚なであり、虚しく鳴いていた。その鳴き声は段段と哂いに代わっていた。その哂いはいかようにも捉えられた。それは嘲笑であり、冷笑であり、快哉であり、歓喜であった。
――あはは、あはは、あはは――
御堂は無言のままでいる岩田を見てその煩悶を悟ったのか、肩を落として俯いて言った。
「なあ、岩田。お前はこれからどうして行くのだ? お前は何を信じて生きていくのだ? 何も信じないということ自体を信じていくのか? お前はどうする?」
そう言うなり御堂は顔をスッと上に向けると太陽を仰いだ。岩田もつられて南東に輝く太陽を見た。
日蝕が始まった! 岩田は太陽の端を真ッ黒な月が侵食し始める状景を視た。岩田と御堂を照らし続けていた太陽が今まさに月に喰われようとしていた。日蝕が始まったのだ。
岩田が上空の奇妙な光景に眼を細めながら魅入られていると、御堂が口を開いた。
「一九四八年五月九日午前一一時九分に日蝕が起こる。もう少しで月が太陽を喰らう。あと少しでで『日は荒き毛布のごとく黑く、月は全面血の如くなり』が起こるということだな」
御堂の発言に岩田はハッと恐るべきことに気付かされた。そうだ、まだヨハネの默示録の七つの封印は解かれてはいないのだ。まだ三つの封印が残っているのだ。ひょっとしたら御堂はまだ封印を解こうと考えているのか?
否、待て。そんなことは不可能だ。第五、第六、第七の封印の再現は不可能だ。『ヨハネの默示録』で第五の封印を解くと死者が蘇り、第六の封印を解くと日蝕と地震が起こる。第七の封印を解くと七人の天使が神の前に現れ、香炉の火を非常に投げつけると稲妻、地震が起こったとある。日蝕は前もって予測することは可能であるが、地震予測など当然できるわけがない。
岩田がそう考えていると、御堂はそれを見透かしたかのように話を続けた。
「第五から第七の封印は自然現象と超常現象の羅列なのだからな。完璧に再現しようとするのは無理だろうな。だが当初の予定では残りの封印の描写にできるだけ沿った再現をする心算だった」
太陽が段段と月に呑込まれているのだろうか、先程までの焼け付くような暑さと眩さが段段と薄れているのを感じた。岩田は御堂の顔が次第に薄墨色に変わっていくのを見た。
「何ッ――」
御堂は口角を吊り上げてニイッと哂った。
「まず第五の死者の復活。これは俺、御堂周一郎が御堂周一郎であることを棄て、久流水義人に戻ることで例えようとした。一度死んだことになった義人が再びこの世界に舞いも喉ることで復活を遂げようとしたのだよ。第六の日蝕は今のこの状態だ。第六,第七の地震については……」
「地震などは予測もできないし、人為的に起すこともできない。再現など不可能に決まっているだろ!」
岩田がそう反駁すると、御堂は更に口角を上げて哂った。
太陽はじわりじわりと月の影に侵食されていっていた。あたりは次第に暗くなり、御堂の真ッ白な髪が鮮やかさを失って益々黒く変化していった。先程まで吹いていた重く熱い風は已んで無風だった。
「下を見ろ」
怪訝に思いながらも御堂の言葉に従い、下の死陰谷村を見た。岩田が眼を向けると下の死陰谷村から何人かの人々が列をなしてこちらに上ってくるのが見えた。それは久流水家の人々の行列だった。久流水万里雄を先頭に阿紀良、百合子、帥彦、益田老人に大浦清枝。生き残った久流水家の人々が無言のままこちら上って来ていた。なぜこちらにやってくるのかと岩田は疑問に思ったが、更に奇妙に感じたことがあった。先頭にいる万里雄が火の着いた香炉を手にしていたことだった。なぜ香炉を持っている?
岩田がそれを確認すると御堂は今度は「こちらに来てこれを見よ」と指図した。御堂が指し示したものはこの死陰谷村にやってきた初日に岩田を迎え入れた一二使徒と聖人の石像であり、その内のパウロとシラスの道祖神だった。
「これが何だ?」
岩田は御堂の示す二つの石像の前に立って言った。すると御堂は二つの石像からやや離れたところから言った。
「莫迦か? 道祖神は全部で一四体ある。なぜ一二使徒のみではない?なぜ『剣を持ちながら、隣の像と巻物を持ち合う像』という一対の石像がある?まあ、剣を持っているパウロの像は解らなくもない。パウロは一二使徒に並ぶほどの聖人だからな。だがパウロから巻物を渡されているシラスは何だ?『われ忠實なる兄弟なりと思ふシルワノに由りて、簡單に書き贈りて汝らに勸め』だ。シルワノとシラスは俗説上、同一人物であり、シラスは伝聞上、パウロに従い、パウロより書を記すように命じられたであろう人物であり、聖人だ。重要な人物ではあるが、一二使徒やパウロと肩を並べるような聖人ではない。なぜここに道祖神としてあるのだ?」
岩田は御堂の疑問する理由は解ったが、その答えまでは解らなかった。岩田がその疑問の答えを考えると突然にあることが閃いた。
「『使徒教伝』第一六章二五節、二六節……。『夜半ごろパウロとシラスと祈りて神を讃美するを囚人ら聞きゐたるに、俄に大なる地震おこりて牢舍の基ふるひ動き、その戸たちどころに皆ひらけ、凡ての囚人の縲絏とけたり』!」
パウロとシラスといえば地震ではないか! 御堂は岩田が驚愕する様子を見るといつもの長広舌を始めた。
「『舎密開宗』というのを知っているか。宇田川榕菴が記した日本で最初の科学書だ。その中にこんなことが書いてある。『鉄、硫黄合剤を水で濡らして密封し、地中に埋めておくと、やがて発熱し、硫化水素が発生して器は破裂する。これは人工地震である。地震は地下の黄鉄鉱がときたま燃えたとき、その勢いで大地を震動させるものである』と。本当の地震は地下のプレートの歪みの揺り戻しによるものだが、この方法でも地震に類似した現象が起こるのだよ。そこでだ。今は亡き直弓が教司神父殺害の際の聴取でこんなことを言っていたな。『この久流水家の地下には黄鉄鉱で出来た鍾乳洞が奔っているのです』と。あはは。岩田、顔色が悪いぞ。お前も気付いただろう。もしこの黄鉄鉱に火が付いたらどうなるだろうね。たちまち人工地震が起こるのじゃあないのかな。あはは、あはは。お前の考えているとおりなのだよ。なぜ久流水家の人々が七人で火の付いた香炉を持ってこちらにやってきているのか。『御使その香爐をとり、之に祭壇の火を盛りて地に投げたれば、數多の雷霆と聲と雷光と、また地震おこれり』と。香炉の火が地下の黄鉄鉱に引火したらどうなるだろうか。たちまち大地震だ。お前の目の前にあるパウロとシラスの石像が何なのかも解るな。パウロとシラスの石像は地下の黄鉄鉱に火を届けるための装置だ。パウロとシラスの石像に香炉の火を近づければ、その火は地下の黄鉄鉱に伝わり、一気に大爆発を起す仕組みになっているのだよ。ちなみにこの石像も久流水哲幹の手による巧繰だけどね。あはは。どうだ、第六と第七の封印の見立ては行なわれるのだよ。耶蘇久流水教はその地震によって全壊してしまうのだよ。あはは、あはは」
嗚呼、何ということだ! ヨハネの默示録の七つの封印の見立てがほぼ完璧にできるではないか。岩田は恐るべき事実に驚愕した。久流水教を一気に滅ぼす巧繰に愕然としないわけないであろう。石像に火を燈してしまえば一瞬にして一帯の風景が消し飛んでしまうのだ。そんな恐ろしいことがありえようか。
岩田が驚愕しているといつの間にか下からやって来た久流水家の七人が岩田と御堂の周りを取り囲んでいた。万里雄が渡したのだろう、御堂の手には火の付いた香炉があった。もしこれがパウロとシラスの石像に引火したら……。
周囲はいつの間にか真ッ暗になっていた。太陽が月の影に殆ど飲まれてしまったからであろう。岩田の周りの人々の顔もはっきりと判別し難かった。ただ香炉から洩れる一抹の火の粉だけがぼんやりとあたりを照らしていただけだった。
暫しの沈黙があった――。永遠の様に感じられもし、また刹那の様に短くも感じられた沈黙だった。
その沈黙を破ったのは久流水義人の声だった。
「この香炉の火をパウロとシラスの石像にあてれば、たちまち地震が起きてすべてが無になる。本当にすべてだ。すべてが消えるのだ。地質の関係上、パウロとシラスの石像に火をつけた者一人だけが生き残るような仕組みになっている。石像の周囲、一尺程度を残してすべてが崩壊する仕組みになっている。すべてが終わるのだ……。あの耶蘇久流水教にはまだ警察の人々が残っている。また知っての通り、この事件は緘口令が布かれて世間にはまだ知られていない。もしここで地震を起せば、地震を起した本人以外にこの事件の詳細を知るものはいなくなり、この事件は世間から抹殺されることになるだろう。大手を振るって世間を歩けるだろう。なあ、俺はもう疲れた。神に振り回されるのは御免だ。とはいえ、人間として生きていくこともやっていけない。それには俺の手はあまりにも汚れすぎている。岩田、ひょっとしたらお前ならば、やり直せるかもしれない。お前の手はまだ俺ほどには汚れていないからな。無責任だとは思うがお前に全てを委ねよう。お前が世界を無垢のように生き続けたければ地震を起せ。お前の忌まわしい過去は全て消える。罪の意識を背負い続けることにはなるが……。お前が罪の重さに耐えられなければ、火を燈さずに警察にお縄でも頂戴しろ。お前に全てを委ねる。お前の信じるままにやれ!」
そういうと御堂は岩田に火の付いた香炉を手渡した。
――あはは、あはは――
どこからか哂い声が聞こえて来た。それは岩田だけに聞こえるものなのか、世界の人々皆に聞こえているものか解らなかった。ただ岩田にはその声が恐ろしかった。
信じるままにやれ、と義人は言った。信じるままにやる? 何を信じているのだろうか。何を信じてやっていかねばならないのだろうか。
――あはは、あはは――
哂い声が段段と大きくなって来ていた。岩田の存在を哂うが如く、世界の存在を哂うが如く……。
太陽が月の影に完全に隠れ、辺りは真夜中の如く真ッ暗になった。ただ香炉の火だけが、ぽつんッと燃えていた。無音の寂寥。ただ赤い炎が闇に浮かんでいるだけだ。
何を信じたらよい?
――あはは、あはは――
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