第19話 結界に挟まれた侍 8

「お小夜ちゃん!」


 神雷結界に反応があった場所、イナカマチ区画とリベルタ区画との区画線――区画と区画の境にある境界線――へと到着してみると、そこには小夜の姿があった。

 小夜は怯えている様子はないが、少し戸惑っている表情をしている。だが、ひとまず無事な様子に、独楽と若利はほっとした表情を浮かべた。


「あ、若様……」

「ああ、良かった。お小夜、区画線の方へは行かぬように、と言ったではないか」

「あう……ごめんなさい、若様」


 少し叱られて小夜はしょんぼりと肩を落とす。若利はほっとしたように息を吐くと、小夜の頭を撫でた。


「それより、どうしてこんな場所に来たんですか?」


 目的地はバス停では、という言葉は隠して独楽が言うと、


「あの、変な声が聞こえたんです」


 小夜は困ったようにある方向を指差した。


「変な声?」


 独楽達は揃って首を傾げ、小夜の指の先に視線を送る。

 そこには。


「た、た、た助けて欲しいでござるぅ……」


 神雷結界に体の半分が挟まった、怪しげな侍然の男がいた。

 独楽と若利は驚いて噴いた。


「は!? え、何ですかこれ!?」


 独楽も神雷を扱うようになってそこそこ長いが、神雷結界に挟まった人間など初めて見た。


「これはどういう状況なんだ……」


 だらだらと冷や汗を流しながら独楽は唸る。

 情けない声を出して助けを求めている侍をよく見れば、不思議な事に男は宙に浮いていた。高さはちょうど独楽の胸の辺りだろうか、まるで空から腰の辺りを吊り下げられているような格好になっている。上半身はイナカマチ区画に、下半身は独楽がいるリベルタ区画にである。

 ただでさえガタイの良い男だ。実にシュールな光景であった。見た瞬間、独楽はちょっと引いた。


「おお、まさにカザヒノヒメ様の助けか! そこの御仁、どうか、どうか某を助けて欲しいでござるぅ……!」


 侍は小夜以外に人がいる事に気が付いて、目を輝かせた。男は頭の後ろで纏めた黒髪を振り乱しながら、水中を泳ぐかのようにジバタと手足を動かしている。

 だが、どれだけもがこうが、事態は一向に改善される雰囲気もなく、男の体は前にも後にも進めない。

 詰んだ。

 ものの見事にその言葉が当てはまるような様子だった。


「何をなさっておいでで?」


 とりあえず独楽はそう尋ねてみた。男が何故こんな事になっているのかサッパリ見当がつかなかったからだ。

 男は上半身を捻って独楽の方を向くと、半泣きになって答える。


「結界に、神雷結界に挟まってしまったのでござる……」

「いやそれは見れば分かるんですが、ここまで見事に挟まっている姿を見るのは初めてで」

「俺も初めてだな。なるほど、こうなるのか」


 若利が顎に手を当てて興味深そうに言った。


「挟まるとはどんな感じなのだ?」

「え? えーと、何かクレーンゲームの景品になっている感じでござる」

「ほうほう」


 若利と小夜が納得したように頷く隣で、独楽と信太は「くれーんげーむ?」と首を傾げていた。初めて聞く単語らしい。

 尋ねられて反射的に答えた侍は、ハッとした顔になった。


「それはどうでも良いでござる! 感心していないで助けて欲しいでござる!」

「助けてって言われても、そもそも何で中途半端に挟まっているんですか?」

「それが分かればこんな苦労はしていないでござるぅ……」


 侍が項垂れてそう言った。

 イナカマチ区画の神雷結界は敵意や悪意などを持つ者を通さない。その効力から考えると、神雷結界を半分でも通れないこの男は、イナカマチ区画に何かしらの悪意を抱いているという事

 だが逆に言えば、それでも半分は通れているのだ。半分は通しても良いと神雷結界は判断したのだろうが、どうしたものかと独楽は腕を組んだ。


「神雷結界は悪意がない者しか通さないんですよ。お侍さんに悪意があるのかないのかはっきりしていただきたい」

「ないでござる! ないでござる!」

「悪意のある奴は皆そう言うんですよ」

「其方が聞いたのに酷くないでござるか?」


 侍は半眼で独楽を見た。独楽はどこ吹く風である。二人のやりとりを見ていた若利は信太を見下ろして「なるほど、元凶か」などと呟いた。


「某は怪しいものではないでござる! これ、これを見て欲しいでござる! 某は、守り人募集のチラシを見て、面接に来たのでござるぅぅぅ!」


 ジタバタ暴れながら侍は懐から『守り人募集』のチラシを取り出した。独楽が持っていたアレと同じものである。

 それを見た若利は目を丸くして、


「何だ、そうなのか。それならば独楽、通してやってくれ」


 と言った。若利の言葉に、独楽はやや不審そうな目で侍を見た。


「良いのですか? 半分は危険ですよ?」

「だが、ひとまず半分は通れているし、話だけでも聞いてみようと思う。それにこのままでは流石にかわいそうだ」


 確かにかわいそうだ、という部分には独楽も同意であった。独楽は若利から神雷結界の烏玉を受け取ると頷く。


「分かりました。若様がそう言うなら」

「ありがとうでござる! ありがとうでござる!! 某は天津栗之進(あまつくりのしん)と申す!」

「天津栗之進か。ならば甘栗だな」

「出会った直後に妙なあだ名をつけられたでござる……」


 喜んだり落ち込んだり忙しいな、と思いながら、独楽は天津の肩に錫杖の頭をあてる。

 シャン、と澄んだ音が鳴った直後、もう片方の手に握っていた烏玉にバチバチとした青白い光が迸り始めた。その光が、バチリ、と天津の体を駆け抜ける。


「うお!?」


 そして驚いた声を上げる天津の腕を掴むと「よいしょ」とイナカマチ区画に引っ張り込んだ。

 天津は自分の体と神雷結界を交互に見比べたあと、


「某は自由の身でござるぅぅぅ!」


 などと、両手を上げて、涙を流さんばかりの勢いで喜びの声を上げた。

 嬉しそうな天津を見て、若利と小夜がにこやかに笑っている。


「……まぁ、この様子ならば大丈夫か」


 独楽がそう呟いた時、


「おや、賑やかな声が聞こえたと思ったら、これはこれは」


 と、聞き覚えのある嫌な声が響いた。

 反射的に声の方を振り返ると神雷結界の向こうに、昨日追い出したリベルタ区画のパオロが部下を連れて現れる。鳥の形の腕章を弄りながら、にこりと笑ったパオロに、独楽と若利は同時に嫌そうな顔を浮かべた。

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