アルメリア邸・1-4

 嵐のような一幕だったが、まさかその大時化おおしけに飲み込まれるとは思っていなかったリプカである、巨大な災いに飲まれた人の多くがそうであるように、しばらくの間、放心を浮かべていた。


 そして――茫然と立ち尽くして、目線で彼女を見送って。そうして、やがて正気を取り戻すと――顔を赤黒くしながら、理性的でありながら弁が外れたみたいな、とめどない感情量で、大変な憤慨を露わにした。


「~~~~――! ――――なっ、なッ……!? ――――あ、あり得……なッッ――――。



 ――――ほんっ、っっっとうに、下品ッッ!



 なン、いまのは、いまのは……あまりに下劣な行いですッ! 考えられないッ、は、ハッ、恥を知りなさい……ッ!」

「なんかゴメンな、ウチの姉が」

「あとでパタいてでもお説教すべきですッ! ああいうっ、ああいうのはっ、野放しにしちゃダメ!」

「でも野放しなんですよねー」

「言うべきですってコレはッ!」


 リプカは舌の痛みなど意にも介さず、べつの痛みで涙を浮かせていた。


「私、大人の口付け、初めてだったのに……!」

「いやもぉほんとスンマセン、こればっかりは。ほら、消毒じゃないですけど、さっき買った酢昆布あげるから」

「ングっ。……う、うぅ、酸っぱいお味が舌に染み入る……」


 酢昆布の切ないお味が、「犬に噛まれたと思おう」と気持ちを前向きにさせて、リプカはアンの後ろに付いて、とぼとぼと歩き出した。


「これ、本当にギャグにはなりませんからね?」

「分かってますけど、いかんともねぇ。――で、どうします、目的は達したんで、もー帰るか、私の部屋でお茶でも飲んでくか」

「もぅ、帰る……」

「そすか。――いやほんとゴメンね?」


 落下の衝撃で死んだみたいな直滑降の情緒変移を経て、お庭も見事なアルメリア家の拝見もそこそこに、リプカは下を向きながらその伏魔の御殿を後にしたのだった。


「ちなみに、他の姉君様たちもあんな感じなのですか……?」

「いや、似たり寄ったりですが、度合いで言うならアレが一番のアタリです」

「引きいいなぁ……」


 そんな姉方の話をするときも、アンは眉を仕方なさそうに下げた心の軽い笑顔を浮かべていた。


 家族に事情的心情を寄せるその様子に、ああ、先程の言葉に嘘はないのだなと、リプカはそのことを知った。


 瞳だけの真顔で、心軽い笑顔を浮かべるアンを見つめた。


「――聞かせてください。――どうして?」

「それは、また、話しやすいところで話しましょう。それは然るべき場所であるべきです。では行きましょうか」


 ――次に案内してくれる場所が、最終地点なのだろう。


 アンと共に歩きながら、今日を振り返って様々を思う。


 街の人たちと触れ合って、…………――それだけだった、ほとんどの全てがそのあらすじで括れる。貴族とはいえ、姉方ともただ話しただけ――否、あのときに至っては話を横で聞いていただけ。


 リプカは未だ、アンの伝えようとしていることの核心に、少しも近づけないでいた。


 何も掴めないでいる焦りの中で、ふと、今日の日に言い渡された言葉が、頭蓋の内で音を持って蘇った。



『あの子と共に運命の道筋を歩むのなら、彼女の存在と釣り合うような、それなりの覚悟が必要かもね』



 アンを見やる。


 この少女と、私は何を話すのだろうと、リプカはそのことに未知を思った。




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