第二百三話:街の人々と箱入り娘・1-1

 実際、本当になんとも言えない味であったアルメリアの花が添えられたパスタを食した後に足を運んだのは、今度も観光の名所ではなく、人と触れ合うための的名所であった。


 パターンとしては中央区に入る前と何ら変わらない。どうやら目的はにあるようだった。


「どうしてか夫人同士の井戸端会議が発生しやすい場所、なんてことのない橋の、たもと脇です」

「あ……本当だ、あれが井戸端会議というものかぁ。――あの、あちらが、なにか……?」

「突撃して声をかけてきなさい」

「嘘ぉ!?」


 リプカはアンと夫人方との間を、視線を往復させて見やった。


「えっと……どうやって声をかければ……?」

「知らん」

「そんな殺生な」

「いいから行け」


 背をド突かれ、リプカは気後れしてしまいながらも、夫人方と思われる集まりに声をかけた。


「あのぉ……こんにちは!」

「――あら? こんにちは」


 なんだろう、という窺いの視線を受けて、「観光者で、アルメリア領域の街なりが知りたくて声をかけました」という旨のことを、吹っ切れた心情で告げる。少し苦しいかと内心汗を浮かべたが、夫人たちは「そうなの」と朗らかに笑んでそれを受け入れてくれた。


(生まれて初めての『人の集まりの中で自然と生まれる雑談』というものに興じる機会……!)


 という特有の気負いはあったが、話すのが不得手というわけではないリプカである、なんとか会話を繋ぐ程度には話すことができた。



 生活のこんなところが大変。


 夫がこんな態度で日々がこのようで。


 ウィザ連合はどう?



 なんて、本当に取り留めのない話を交わしただけだったけれど、それだけでも「皆さん明るく、それでいて上品だなぁ」という驚きを覚えるには十分な機会であった。


 稼ぎの悪い旦那を石臼で轢き潰してやる、だとか。


 出掛けに、喚く嫁さんのケツを引っ叩いて黙らせてやった! と自慢気に言う旦那さんの後ろに当の嫁さんの姿があって、三秒後、旦那が宙を舞ってブッ飛ばされていたとか。


 やはりウィザ連合の光景とはだいぶ違う、そんな所感を抱いた。


「んじゃ次行きましょーか」


 夫人方と爽やかな笑顔で別れると、再びアンの足取りに付いて歩き出した。


「先程の皆様、旦那さんが女性であったということで。軽口はあれど、旦那様の悪口が、一つも出てきませんでしたね。でも、それはそれで大変なこともあるだろうなと、そんなふうに考えました」

「さいですか」


 何かを学び取るために色々考えながら、感じ取ったことを言葉にしてみたのだけれど、アンの返答はつれなかった。

 何を学び取ればよいのだろうかと首を傾げる中、アンが次に足を止めたのは、またしても、とある橋の前であった。


「あら……? ここだけ、人通りが少ない……?」

「はい、アルメリア領域名物、第七小橋のたもとにいつも座っている、口蓋こうがい地獄じごくババアの影響ですね」

口蓋こうがい地獄じごくババア……!?」


 見れば、確かに小橋のたもとのへりに婆様が腰降ろしていた。


 婆様はリプカたちを見ると、ニチャリと笑んで――開口一番に怨念怨嗟を込めたような罵詈雑言を吐き出し始めた。


「――アンヴァーテイラかい。今日も姉方たちに飼われているのかい……? お前の折れたプライドは元には戻らないよ、見れば分かるよ。死ぬまで、死ぬまでお前は自分の敗北と向き合い続けるんだ……」

「このように、道行く人にネバッたい言葉をかけることを日々の生業とした、いつもここに座ってる婆様です。人生における期待を全て失ってしまった彼女は今や、道行く人に怨嗟の言葉を投げかけるしかやることがなくなってしまったのです、年中暇人ババアですね」

「だれが年中暇人ババアだいッ!」


 カッと表情を荒げて、それまでのネチっこい語り口調からは想像もできない鋭い声でがなり立てた婆様を手で指して、「んじゃ、なんか話してみなさい」と、ここでもアンは交流を勧めてきた。


 尻込みしながらも意を決して話してみると、彼女の絶望に染まった暗い人生観がたくさん聞けた。


「まーこんなもんか」


 程よい頃合いを見てアンが時間を告げると、婆様はまたアンのほうへ向いて、別れ際の言葉としてだろう、人をに引き摺り込もうとするかのような、遠回しな人格否定じみた負の言葉を送ってきた。


 さすがに言葉を挟もうとしたリプカを「まあまあ」と宥めて、アンは婆様へ「生い先短い老人の話を聞いてやったんだから、これを恩に思って、困ったときがあったら手を貸しなさい」と軽口を叩くと、フンと鼻息を吐き出した婆様に後ろ手を振って、リプカを引き連れてその場を後にした。


「……あのお婆様。生きる希望というものを、本当に遍く全て、無くしていた……。生きる希望をまったく失うことすら難しい、この世の中で……」

「まあ、道の果てがそのようであることも、あるのでしょう。こればかりは仕方ない」

「お婆様は何を思って、日々、あそこに座っているのでしょう……?」

「それこそ、仕方なく座っているのではないでしょうか。それでも、生きていかねばなりません、生き続ける限りは」

「……そうですね、きっと、それはその通りです」


 何をもって悲劇と言うのだろう。


 そんな世迷い事を考えながらまた歩んだ先には――アンヴァーテイラが導き逢わせた、特徴の際立った幾人かの人々があった。



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