第百八十話:理由、そして彼女は。

 クインとビビが取り組む、その試みの進行度が非常に切迫していることは、帰ってきた彼女らの様子を一目ひとめ見ただけで察せることだった。


「――だから、輸入ルートがどうあろうが関係ないにしたって、そもそも構想自体まだ形になっていないッ、皮算用だろう!?」

「何度言ったら分かる、そのことは考えないでよろしいと言っている、大体でいいんだよその後はどうにでもなる――」

「構想の進行度が大体にも達していないと言っているんだッ!」


 昨日、電話向こうで聞こえたような、リプカの聞いたことのない、ビビの感情的な声がそのまま廊下に響き渡っていた。――今日はリプカが出迎えても、激しい議論を止めようとしなかった。


「マズイって、その皮算用はッ! 駄目なパターンの典型例だ」

「わかった、分かったッ、じゃあそこまでは進めるとして、それはお前がやれ」

「お前殺すぞ」


(おおう……)


 リプカは思わず心情の内で、一歩引いてしまった。

 ビビの口からそのような粗野が飛び出してくるとは、思っていないところであった。


「お前……、マジか……?」

「もうそれしかなかろう。それともここで諦めるか?」

「……瓦解の音が聞こえてきたな」

「なんてことを言うんじゃッ」

「事実だろう……。――ああ、リプカ、ただいま。悪いけれど、今日は私もお前の部屋で過ごさせてもらうよ、夜通し起きてるから少し騒がしいかもしれないけれど、それは勘弁してくれ」

「は、はい――」

「いや今日はもう寝るぞ。体力をここで使うわけにはいかない、『私たちはこれから寝ない』作戦に以降するのはもう少し後だ、必ずそのときは来る」

「……そこまで辿り着くか?」

「辿り着かんでどうするッ」


 スパンと尻を叩かれたビビは悲嘆に似たやるせない表情を浮かべて、トボトボと重い足取りを引き摺った。


 部屋に入るなり、机の上にリプカには分からない資料をぶちまけて、二人話し始める前にリプカから今日の報告を聞いて、その後に議論の続きを始めた。


 ――まるで鍔迫り合いのように激しいその侃々諤々の議論は、三分ばかりで終わってしまったけれど。


「やめだ、進まんッ。私がいても無駄だ、やはりこれについてはお前一人に任せる」

「金銭面の相談があるだろう……。その度に連絡つけるのか?」

「いいか、聞け。――金銭面に糸目はつけん、とにかく理論を形に持っていくことだけを考えろ。お前の仕事はそこまででいいし、それで完了する。いいな?」

「ァ――は……?」


 その後もああだこうだ言い争っていたが、――アテがあるのか、考えなくてよろしい、そういうわけにも、万事任せておけ、不安だ、任せるしかないだろう、不安だ、納得しろッ、等々――、最終的にビビが一応の納得を見せて、もう夜分も遅い、今日は皆、眠りにつくことになった。


 今晩は、隣にビビの姿がある。

 リプカは腕で目隠ししてため息を吐く彼女の横顔を見つめた。


 キャラクター性には必ず理由がある。――ふと、アンヴァーテイラの言葉を思い出していた。


 激しい議論を交わし合っていた今程の様子、それは垣間見た彼女の新しい一面であった。

 中々感情的なところを見せない印象があったけれど――研究職という彼女の生き様を考えると、もしかすれば先程の、感情を前面に出した情熱的な姿こそが、彼女の素と言えるのかもしれない……。


 キャラクターが変質したわけではない、見えていなかった側面と対面することができた、それだけのこと。


(――そう考えると……)

(初対面での……正直恐ろしささえ抱いた、。今更に振り返るようだけれど……あのときのそれは、やっぱり奇妙だった。アルファミーナ連合には礼節というものが存在しないという話でボカされていたけれど……常識というものがまるでポッカリ欠落したような異様は、考えてみれば、あれ一度きりだった。その後のビビ様の行動には、常識のトんだ考え方は幾度かあったけれども、そこまでの荒唐無稽は一度もなかった……)

(…………。キャラクター性は理由なく変質しない――)


「ビビ様」


 気持ちひそめた声をかけると、ビビは「ん?」と視線をこちらに寄越し、少しばかり弱弱しい笑みを見せた。


「なんだ?」

「聞きたいのですが……私たちの初対面、顔を合わせた、あの時のこと……。今更のお話ですけれど……あれは、もしかすると何か、理由があったのですか?」

「――ああ」


 ビビは何らか情感のこもった一音を漏らすと、天上に苦笑を向けた。


「あれな。そうだな、――今だから明かすが、正直あのときは、私はお前に、ほとんど敵対と変わらない警戒姿勢を取っていたんだ。そういえば、初対面はそうだったな……」

「て、敵対の警戒姿勢……?」

「私はアルファミーナ連合から直通でエルゴール邸へ輸出されたわけだ。で、とりあえず館内に入って、まずは当令嬢に挨拶でもするべきかと、彼女の部屋を探してみたわけだが……。それらしい部屋を発見したのち、私は息を飲んだ。――――ビックリしたよ、


 ビビは当時のことを回想してか、天井に視線を移すと頭を掻いて、少しだけ難しい表情を浮かべた。


「入ってみれば、そこは護身用具の一つも無い、紛れもない私室。――これはいよいよ、何かの陰謀に巻き込まれたに違いないと確信した。自分の身を守るべく、意味不明なこの状況を理解するために、私は部屋中をひっくり返し始めた。そしたらお前が来て……なんだか、私のことを本気でヤバい奴扱いで見るじゃないか。これは……何かの罠か、それとも、常識がまず違うのかと――そんなわけであのとき実は、ほとんど敵対の警戒態勢で、私はお前と対面していたんだ。神経を凍らせながら、目の前のこの女から一つでも多く情報を得ようと、切羽詰まってな。――その後すぐに、お前の人となりに触れて、安心したけれども」


 最後はニッと笑って、ビビは再び、リプカのほうへ顔を向けた。


「――――そうだったのですか……」


 疑問が氷解して、なんだか肩が軽くなったような感覚を覚えながら。


 それを通して、アンの語ったことへの向き合い方に、また変化が生まれた。


 新しく出会えた王子たち。

 そして、お家の人々。


 リプカは一瞬の間に、多くの人を想った。


「――アルファミーナ連合って、どういった場所なのですか?」

「ん、まあ……。悪いところでは、ないんだけれどな……。その、外側から見ると……少し特殊な環境かもしらん……」


 歯切れの悪いビビの返事に、深く追求してはいけないことだったのかもと察して、リプカは当たり障りのない相槌だけを返した。


 その後二、三、心地よいぬるま湯みたいな雰囲気の雑談を交わして、その後二人、「おやすみ」の挨拶を交わした。


 眠るその前に、隣で眠る少女の姿に目をやった。

 赤髪の少女はすでに、小さな寝息を立てて夢に落ちている。



 ――キャラクター性は理由なく変質しない。



「…………」


 リプカは彼女のほうに手を伸ばして――――そして触れることのないままその手を引いて。天井を見上げて、僅か様々考えた後、瞼を閉じた。



  

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