第百七十二話:ひょっこり妖精・1-1

 アンヴァーテイラは非常に上機嫌だった。


 途中サキュラの横やりが入りながらも、教師の男とちょっとしたデートみたいな時間を過ごせて、見学が終わるまで何事もなく上々、サヨナラの挨拶も明るく交わしてありがとうの意を伝え、リプカたちへの人当たりまで良くなったくらいだったのだが――。


 もうしばらく大聖堂に留まっていると、四人、異変に気付き、「おや」と眉を顰めた。



 大聖堂内から、人が消えている。

 よく見れば、人っこ一人――いつの間にか。



 あれだけ機嫌の良かったアンヴァーテイラの表情が、秒で地獄色に染まった。


 ツカツカと歩きながら各座席を確認し始めて、慌てて三人も彼女の後を追う。


 そして――前列部の座席にちょこんと腰掛けている、人影を発見した。


「また逢えましたね、リプカ様」


 ――驚愕を覚える場面のはずであったが、それどころではなかった。

 驚きよりも危機感が遥かに勝る局面であったから。


「――――……ロス」


 腰を入れて拳を振り上げたアンの表情は般若のそれである。慌ててアンの身を抱き留める形で拘束したリプカは必至だった。


「落ち着いてくださいましッ。コロスは、コロスは駄目ですっ!」

「コロスではありません、オロスです」

「どっちにしてもダメッ」


 顔面に血管を浮き立たせながら、リプカに押さえられ一ミリも動けない中、アンは怒りに震えた声を上げた。


「諜報屋から聞いたよ、いま大変なことになってるみたいじゃないか。いいのか、こんなところにいて」

「アンヴァーテイラ、オーレリア、サキュラ、遅ればせながら感謝を。――今回のえにしに向き合ってくれたことに。貴方たちともまた逢えて、嬉しいです」

「無視か。随分と人間らしいことを覚えたものだな」

「まず挨拶。あなたに教わったことです」


 アンを真っ直ぐに見上げて言うシュリフは、なんだか子供みたいに見えて。外見年齢的にはもちろん、幼子の年相応なのだが、新しい一面を垣間見た気分であった。


「シュリフちゃん……久しぶりだね……。昨日はちゃんと話せなかったから……」

「サキュラ、ええ、久しぶりです。変わらず良く、元気なようですね」

「うん、今日も元気……!」

(サキュラ様、裏のミスティア様のこと、シュリフちゃんって呼んでるんだ……)

「未来視様、お久しぶりでございます。こうして相みえるのは、随分ぶりでございまして」

「オーレリア、今回の事に応じてくれたこと、感謝します」

「いえ、私にしても得るもの多く、幸いな機会と思っておりますゆえ」


 おずおずと語りかけたサキュラに社交的な鷹揚を、改まった態度で挨拶したオーレリアへは、目尻を下げた色気の薫る笑みを見せたシュリフの様子は、歳の先をゆく姉貴分のようであったが、その一幕は傍目から、畏敬の対象への謁見のように印象された。


 シュリフはリプカへ視線を向けた。


「語りたいことは多くありますが、なにぶん、時間があまりなくて。今日はアンヴァーテイラと話したくて、ここへ来た次第なのです」

「そうですか、アン様と――」

「あ゛あ゛ん?」

「必ず明日に時間を作ります。リプカ様、今日はアンヴァーテイラと談ずることに時間を使うことを、許してくださいますか?」

「あ、ええと――」


 機先を制された、という思いがあったが……時間を作ってくれるというのなら、それは願ってもないこと、断る理由もない。


「どうせ、それを断りきれない算段がついたから、恩着せがましいことを言って主導権取りにきてるだけだろがッッ!」

「…………」


 アンの叫びには、考えさせられたけれど――。


「――分かりました。元々、アン様と会いに来たことを止める筋合いは、私にはありませんから。では、明日あす――また、私と会ってくださいますか……?」

「ええ、約束いたします」

「お前なんで今日という日を無事に越せると思っていられんの……?」


 アンの言うことは不穏だったけれど……シュリフの願いでもあり、怒りのあまり静かになったアンを束縛から解放すると、リプカたち三人は遠巻きに距離を取って、二人の座る席を後ろから見守るように窺った。



「オロしまァす」



 いきなり物騒極まりない高らかな宣言が聞こえてきて、いつでも駆け付けられる体勢でいたリプカはさっそくかと身構えたけれど、その後はアンヴァーテイラの怒声が二、三聞こえてきたくらいで、物騒沙汰になるような雰囲気は、遠巻きに見る限りはなかった。


 そして、時間が無いと言ったのは本当だったのだろう。何事かを話し終えて席を立ったシュリフは、リプカたちに一つ礼をすると、丁度の突然で大聖堂へやって来た数大勢に紛れて、消えてしまった。


 また幻みたいな印象を残して。


 それでも――最初と比べれば、彼女へ対する印象も随分と変わったな、なんてことを考える。


(最初は、ただただ底知れない、超常存在みたいな印象しかなかったけれど。今では、意の虚を突いてひょっこり現れる存在というか……超常現象という認識ながらに、よりカジュアルなイメージの、それこそ――妖精みたいな印象)


「アン様、お疲れ様でした」

「フン……」


 アンヴァーテイラは不機嫌に息をついて、それが返事とばかりに顔を背けた。

 少し前までとは雲泥、泥を佩いたような真逆のテンションである。



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