第百四十四話:お酒は15の歳を過ぎてから。

「点ではなく、線で見ることです。それは普通であっても大切な物の見方ですが、あの女が絡んでいることで、それはより重視すべき理屈となっているのだから」


 夕食の席でもアンは助言と思しき言葉をかけてくれたが、しかし口にしたのはその一節、それきりだった。


 店ごと貸し切られた、ちょっとした小料理店での一幕である。


 小料理店。清潔が行き届いていることを過度に意識させない、さりげない余裕を持たせた内装デザインは寛ぎがあって素敵だったけれど、当然、幼年組はお酒など飲めないので、一行はひたすら料理のほうを注文して楽しんでいた。


 なんのために小料理店に入ったのかと思われるかもしれないが、店によっては様々な趣きの料理を選べるので、意外にもそこは、年齢問わず多くの者が楽しめる、とりあえずの選択肢として大変優秀な場所であるようだった。


「――で、フランシス・エルゴール様が出した、【妖精的基盤症状】の治療法の解答とは、どんなものだったのですか?」


 そのことは気になっていたのか、アンにしては活力的な姿勢で問われて、その後は、それが話題の中心になった。


 リプカは表情を顰めるようにして目を瞑り、意味は分からなくとも覚えている単語を怪しい発音で言い連ねながら、思い出せる範囲の情報を打ち明けた。


 始めは程々程度の興味でそれを聞いていたアンだったが、話が進むにつれて、目が覚めたかのように瞳を見開き始めた。

 そして――最後まで話を聞くと、上体を上向けて、大口を開けて笑い始めたのだった。


「アッハッハッハッハ! ――亜綱性あこうせいシナプス! そんなものどうやって割り出したんだと思ったら――モデリング回路で……! 引き算でなく割り算で割り出したんだ! 可能といえば可能だけれど……ウフ、かの鬼女様は、確かに、純正の天才なんていう異色を体現しているお方のようですねぇ。発想が飛び抜けているのではなく、ただ、新しい。……素晴らしい才覚だ」

「エっ!? ど、どういうことか、理解できたのですか……!?」

「おおむね。――フランシス・エルゴール様ね。基本、同性に興味なんて微塵もないけれど、そのお方とは、一度お会いしてみたいな」


 彼女らしからぬ素直なことを言ってから、しかし、アンはそののち、腑に落ちないというふうに首を傾げた。


「ただ、それは意味のない、まさに机上の空論ですね。開発費がどれだけ必要だという話になってくる」

「まさに、そうなんです……。それで、クイン様が別の方策を打ち立ててくださる、ということに……」

「ふーん、ですか。なんだろう、想像もつきませんね」


 それに関してはあまり興味なさげに相槌したアンの隣を見れば、リプカとどっこいどっこいな困惑を浮かべる、オーレリアの難しい表情があった。


「専門用語が多くを占めたお話でしね。私には、内容について一つの理解も及びませんでした。アン様はもしや、アルファミーナ連合に渡ったことがおありでして?」

「まあ。あの女の遣いでね。なかなか面白い国でしたね、ほんと。ハハ、――ハァ……、もうしばらくは行きたかねえですが。――ともあれ、何であれ、先立つものはやはりいつだって、金というわけですか」

「クイン様が『任せろ』と言ってくださった。きっと何か、方策を見つけてくれるはず――」

「リプカ……シュリフのお姉ちゃんを助けるのに、お金がひつよう……?」

「ええ、でもこればかりは……。十億桁のレートって、エクスに換算すると、どれくらいの価値なのでしょう……?」

「えと……――あう……。わたしのお小遣い……一生分……」

「フッ、お小遣い一生分ね。ボンボンらしい比喩ですね。ちなみに、月に幾らくらい貰ってるんですか、サキュラ嬢は」

「コラ、アン様」

「私のお小遣い……月、80エクス」

「ブッ殺すぞこのガキ」

「「こらこらこらこら」」


 立ち上がりかけたアンをたしなめて。


 ――気付くならこのタイミングだったが、アンが頼んだ料理は香りが強かったこともあって、さすがのリプカといえど、アンのグラスに入っている琥珀色の液体が、実はアルコール発酵のなされた類いのものであることには気付けなかった。


「月80エクスも貰ってどうするんですか。ほぼ私の全財産と同額って、どういうこと?」

「良いものに多く触れて、目を養う、そういった意味があるのでしょうか……? なんにせよ、やはりフラムデーゼドール家ほど大きなお家は、違いましてね……」

「生まれの力に驚愕してるの、エレアニカの皇女ですからね。なんですかこれ」

(確かに……)

「過ぎたる豪遊っつって、エレアニカの教えの戒律的に、なんか、裁かれないんですか、こういうの」

「裁かれません……」

「ハァーア、見上げればそこに人、地に目を移して……世知辛いですねぇ」

「アン、お金ないの……?」

「ガキ殺す」

「こらこらこら……!」


 ここらへんから、アンのグラスをあおるペースが速くなっていき、あまりに水分を含むことの多い様子に不審を抱いたときにはもう遅く、「ア゛ッ」と声を上げたリプカを尻目に悠々と熱い吐息を吐き出すくらいには、表情に出ていないだけでアンはもう相当に出来上がっていた。


「な、なぁに、これ!? アルコールなのにほとんど香りが無い! うッ……なにも香らないのに味はあるのが……脳が混乱して、き、気持ち悪い……」

「味の無い紅茶の逆に位置する無臭の産物、アリアメル名物【Imブランド】です。それは味の濃い海鮮と合わせて飲むものなんですよ、コップ返してくださいな」

「返しませんッ! ダメですって!」

「まあまあもういいじゃないですか今日ぐらいは」

「よくな――これ私犯罪ですよ!? 捕まっちゃうッ!」

「こういうのはね、お家身元を明かせば大丈夫なもんなんですよ。ハハハ、脳が甘々に発酵しちまった、甘ったれクソガキが私。この身分にすら今日ばかりは感謝感動、酒精の情動受け止める私の恋情に乾杯」

「そんな棒読みで……ちょっとっ、もう駄目、これ以上はいけませんッ」

「リプカー……私もちょっとだけ、それ、飲んでみたい……」

「駄目、ダメ! ぜったいだめっ!」

「舐めるだけ……」

「いけませんっ。オーレリア様も、試しに嗜むのはまだ別の機会に……!」

「わ、分かっております。ちょっと興味があっただけでして、大丈夫です」

「さーけがのめるぞー、アリアメルの水っつって若人もヨイショ」

「アン様ッ!」

「我ら神の子」


 結局アンはリプカの言うことなど聞かず、いつ注文したのかどこに隠し持っていたのか、そこから更に瓶一本飲み干すまで止まらず、非常に騒がしいひと時は、むしろ夕食の席が終わってからが本番という体たらくで、喧噪姦しくリプカたちは店を後にしたのだった。



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