第八十一話:リプカの秘密・1-1

 とぼとぼと歩くうち、お宿のエントランスまで到着してしまった。

 ここまで来ればもう、言い出さないわけにはいかない。けれどどうしても、どうしようもなく、口が重かった。


 うだうだぐだぐだと――しかしそれは、仕方のない事情でもあった。


 例えるのなら……ご職業は? と尋ねられたときの、一定層においての気まずさとでも言うのか……。


 良いお歳ですがご結婚は? と、わざわざなぶるような問い掛けを向けられたときに覚える、物悲しさにも似る沈痛を、リプカは今、抱いていた。


 人力動力のエスカレーターは使わず階段を昇って、皆の元へと向かう。

 皆、いったいどんな顔をするだろうか? ……一歩ごとに足が重くなっていく。


 しかしついに最上階である。


 リプカはもう半ば自棄のような気分に浸りながら、皆に声をかけて回った。


「どったの、リプカちゃん? 力になれることがあれば遠慮せず言って頂戴!」

「ありがとうございます、アズ様。皆様、お集まりいただき、ありがとうございます」

「前置きはいいからさっさと用件を言えい」

「は、はい……」


 クインの催促に、リプカは俯きがちな姿勢で頷いた。その様子に皆、首を傾げる。


 リプカに割り当てられた部屋に集まった五人の王子へ、リプカは懐から件の招待状を取り出し、それを見せた。


「それ……シィライトミア領域の、社交界の招待状?」

「はい。――不明が多くなり申し訳ございませんが、私はこの社交界へ赴き、アリアメル連合の在り方というものを、この目で見極める必要があります。――昨晩私たちの前に現れたのは、セラ様に忠誠を誓ったお家の者の一人でした。彼女はセラ様が抱えた事情を憂い、その行く先を案じた末に、私たちに助けを求めようと姿を現しました。――なにせ、を起こせる人物です、存在が秘密裏の遣いであり、そこは不明をご容赦承諾願いたいのですが、しかし私は、彼女がセラ様の確かな味方であることを知っています。これは、その彼女からの願いであり――示された筋道なのです」


 嘘はないリプカの説明に、皆、銘々納得を浮かべた。

 セラを助けたいと強く願っているのはあくまでリプカである、それに力を貸そうという王子たちは、そこに幾分かの不明があろうとあまり気に留めはしない。


 ――だがしかし、まったく気にならないというわけでは、もちろんない。


 そしてこの場には、少しの関心でほぼ十分じゅうぶの確信を導き出す、頭脳明晰の切れ者があった。


「なるほどな。存在が秘密裏の遣い、ねぇ」


 クインはその胡乱な内実を呟いて、そして。


 リプカへ、なんの気ない視線を向けた。


「もしやそれは、アリアメルの王子の付き人であった、ミスティアだったか、あの妹君か?」


 臓腑を抉られた心地を覚え、吐きそうになった。


 生まれて初めて、全神経を表情筋に集中させた。できればもう二度と経験したくないような神経の縮み上がりを覚えながらも、気味悪い悪寒走る表情の筋という筋は、断固として変化させなかった。


「――いいえ、それはべつのお方です」


 嘘は言っていないと自分に強く言い聞かせながらの否定に、クインは「はぁん、まあ勘だし、外れるときは外れるか……」と、案外簡単に、自分の発言に納得を浮かべていた。


 勘でそんなことを当てないでくださいまし、と内心冷や汗を垂らしながら、リプカは話を続けた。


「そのような訳で私は、クリスタロス家が主催する社交界に赴こうと考えているのです。いるのですが……」


 次第に言葉が尻すぼみになって、ひょろひょろと頼りなく揺れ始めた。


「あの、私は、社交界に関する知識がほとんど無く……令嬢として、本当にどうかという話なのですが……あの、私は……」


 ついに言い出さなくてはいけなくなったリプカは、俯き、見た目で分かるほど震え始めてしまった。


 そんなリプカの手を取り、のような温かさを分け与える者があった。


「大丈夫、リプカちゃん! リプカちゃんは今までもずっと、教えてあげればそれが出来てきたでしょ? 今回だって同じ! ゆっくりだけど着実に積み重ねてきたリプカちゃんの努力を、私はその飲み込みの良さを見て、知ってる。大丈夫、今回だってきっとできるよっ! ふふ、逆にさ、今回学んで、モノスゴク素敵なレディになって、皆を見返してやろうぜ……!」


 アズは輝く笑顔で、声と瞳に真摯な直情を湛えてリプカを励ましたが――。


 しかし、今回ばかりは、その温かさは、リプカを元気づけるに至らなかった。


 どころかリプカは、益々に俯き、表情を青白くさせてしまった。


「…………違うんです、アズ様……」


 リプカは、蚊の鳴くような声を漏らした。


 もう、言わなければいけない。


 リプカは自身で酷く傷付いた傷口を抉り返すような心境で、それを口にした……。




「…………私、そもそも……社交界に一度も、顔を出したことがないんです…………」




 ――――――部屋に、完全な沈黙が訪れた。


 肌を刺すような無音とも違う、心を掻き乱す気まずい静寂とも違う、ただ銘々がぽかんと口を開き、言葉を発していないだけという、間抜けな空気感の沈黙であった。



 ……………………。



「――――エっ!?」

「お前、御披露目デビュタントがまだなのか!?」


 アズの目を点にした素っ頓狂、クインの信じ難さを口にした剣幕に、リプカはついに視線を地に落とし、顔をアマリリス色に染めて、目に涙を浮かべてぷるぷると震え始めてしまった。



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