財力の国のお宿にて・1-4
「は、はい――」
またパタパタと駆け寄り開けてみれば――扉向こうにいたのは、なんと、苦笑いのような表情を浮かべたティアドラであった。
「あ、ティアドラ様。ど、どうなさいました……?」
「あのさぁ、今日はここで寝せてくれ。夕方のことは謝るからさ、ごめんね」
感情起伏のない疲れたような口調でそんなことを言い出したティアドラ。
リプカは「夕方のこと」と言われてもよく分からなかったが、ティアドラがビビと似たような表情を浮かべていることには気付いた。
「え、ええと……クイン様、ビビ様、よろしいですか?」
「ああ……」
「いいよー」
「あ、で、では、どうぞ。……でもティアドラ様、どうして?」
「いや、さすがに頭パーになるわ。自分がべつのものに置き変わりそうで怖かった。あー、ソファ使わせてくれ、アレが一番無理」
アレとは、超キングサイズの柔らかベッドのことだろう。
言うとティアドラは嘆息しながら、脱いだジャケットをソファに放り投げた。
――リプカは改めて、リリーアグニス家がとってくれたホテルの最上階部屋を見渡した。
(……もしかして)
(このお宿――相当にお高い場所……?)
今更の気付きであった。
「なんだここは。ほぼ邸宅じゃねえか」
「ほぼではなく、そのまま成金の邸宅であろう……」
「それでいて旅先を感じさせる、ゆったりとしたデザインで構成されているから、余計に異次元を感じる。私の生涯年収の何パーセントだろうな、ここの一泊」
「ハ。――なあ、酒棚にある酒って、勝手に取っていいものなのか? イカれた金額請求されそうでこええんだけど」
「……ブランド物が揃っているな。私の生涯年収の何パーセントかのやつが。飲んだらその分請求される仕様だろうな」
「気にしなくても、リリーアグニスのが払ってくれるだろう。飲んどけ飲んどけ」
なんだか恐ろしげな会話が交わされる中、リプカは目を点にして置いてけぼり気味に佇んでいた。
「あー安そうなの安そうなの。――お前これ【ブラックローズス】って、海向こうのブランドじゃねえか。飛竜がこんなところに利用されてたのか……」
「イグニュス連合は運送業も収入の主であろう。せっかくだし高いの飲んどけ、貧乏臭い」
「いやァ、これ、こっちでは家一つ買える値段するだろ。うわ、【イグニュスファイヤ】なんつう色物まであるよ」
「それはどういうものなんだ?」
「馬鹿が飲み比べするときに使う酒。死んだ方が負けのルールでやんの。度数90パー越えの、味の良いエタノールだな。これはそこそこの値段だな、安いって意味で」
「値段が気になるなら、そっちの冷蔵庫に入ってるもん飲んどけ。あれはサービスでタダだ」
「冷蔵庫? ……これか、デザイン的に棚かと思ったわ。おー、結構入ってるじゃねえ――【ペンデュラム】が入ってるぞ……」
「なにィ!? オルエヴィアの誇りがどーしてここにあるのだ!? ――つうか、サービス!? オイ、【ペンデュラム】をサービスにチョイスしたのかココの頭カラッポ共はッ!?」
「【ワンダーワイズ】に、【シャトール】……。なあこれ本当にタダか……?」
「支配人を呼べェッ! ブッ殺してくれるわ……!」
「なあ酒飲みながら風呂入っていいか?」
「お前それは自室でやれよ。つうか、オイ、【ペンデュラム】は先の戦争で他国では価値が高騰してるはずじゃろ! なんでサービスの棚にあるんじゃボケがァ!」
「あの酒棚には近づかないでおこう……」
「まあ確かにな、風呂は自室で――いやめんどいわ。おいお嬢、ここで風呂入っていいか?」
「あ……私ですか? あ、はい、どうぞ……」
「んじゃコレもらうぞ」
「オィイ【ペンデュラム】を選んでんじゃねェエ! 貸せ、ソレは私が飲み干してくれるわッ」
「ん、私も貰おうかな。私はビールがいい。リプカ、お前は?」
「あ……私は結構です……」
「ンだよ下戸か?」
「いえ、お酒はいくら飲んでも酔えなくて……あの、あまり、私が頂いても意味がないかもしれません」
「おーウワバミか、お前の身体の強さを思えば納得だな。――さすがに飲み慣れている安酒はないな、コレでいいか」
「【ワンダーワイズ】ってネタだよな? 【シャトール】でいいか」
「リプカ、勝手に部屋に訪れて、酒盛り初めて悪いな」
「い、いえ! ……。…………」
「エレアニカのなら来んぞ。あやつはあやつでエレアニカ連合のVIPだからな、こういう場所に泊る機会もあるだろうからな」
「あ……そ、そうですか……」
「……んー、美味いといえば美味いのだが、私はやっぱり、もうちょっと安いもののほうが好みだな……」
「貧乏舌め、やはり所詮は庶民だな。オラ、我が国の誇りで喉を潤すがいい」
「なんだ、もう酔っているのか?」
「……オイ、風呂に【ワインバス】って設定があるんだけどよ、これってマジでワインが出てくんの……?」
「なにィ! オイ、この国の人間、贅沢しすぎて全員地獄に堕ちるのと違うか!?」
「まあ、アリアメル連合付近に建つ、パレミアヴァルカ連合のベリィVIPルームだからな。一般人には縁がないだろう」
「フゥ、やはりオルエヴィアの水が一番である……! ティータ、ウィズ、お前らも遠慮せず飲め」
「誰だそれ」
「クイン様、酔いすぎです……!」
「うー……」
「……ワイン風呂、沸かしてみたはいいけど、なんか気が休まらねえわ。……なんか、なんでか段々、腹がたってきたな……」
「よぉしやったれッ! 私も続くぞ!」
「続かないでくださいましっ!」
「お前ペース早いよ。ホラ、水」
「いらん、負けてたまるか……ッ!」
「負けてください……!」
「だいたい――ダンゴムシィッ、お前が負けないから私が負けず苦労しているわけで……!」
「おわ……――お酒臭い……!」
「水かけたほうがいいか?」
「度数高いのぶっ掛けてみろよ、寝落ちするかもしんねえだろ」
「酒を吐くやつはヘタレだ! ディストウォール領域でもそう言われておる!」
「そりゃいい」
「の、残りは私が飲みますから――もうあとちょっとしかない!?」
「おオ、飲め飲め、これがオルエヴィアの味であるッ!」
「駄目だ、風呂張り直すわ。そしたら先そいつ風呂にブチ込めよ」
「あ、ティアドラ様、ありが――服を着てください!?」
「あぁ? 馬鹿かお前、庶民二人に戦争令嬢と、お淑やか様はいまこの部屋にお前だけの少数派なんだよ、諦めろ」
「リプカに割り当てられた部屋だけどな、ここ」
「ええいもういい、酒棚の酒いったるわッ」
「あまり高いのは――【スカイ・イルミネージュ】はヤメろ! それ一本でパラティン6R型と同じ値がするぞッ」
「うわあああああクイン様やめてくださいましいいいいいいいい!」
「うるせええええええ飲ませろおおおおおおおおお」
「ドンチャン、ドンチャンッ!」
パレミアヴァルカ連合オルティマギナ領域、連合境界稜線に一番近い宿であるハイクラスホテルの最上階、最高質のスイートルームその一室で、夜更けの最中、部屋が揺れるほどの乱痴気騒ぎが繰り広げられていた。
星々は次第に輝きの数を減らし、空の藍色が明るみを帯び始める。
やがて、街並みで見通せぬ地平の向こうから、日が昇ってきた。
空が鮮やかに染まる――夜明けが訪れた。
そして。
時刻は朝方の、早朝である。
世界を優しくも苛烈に照らす、丸い揺らめきを見せる太陽の光が――眉を皺が寄るほど逆ハの字に顰めた、アズの横顔を照らしていた。
腕組みして仁王立ちするアズの前には、多少寝不足気味を見せるティアドラと、目の下にちょっとした隈を作ってあくびを噛み殺すビビ、もうすでに疲労困憊のリプカに――意識混迷の有り様で目の色さえ失せた死体然の、非常に酒臭いクインが並んでいた。
「――私、昨晩はゆっくり休んでね! って、お願いしたよね……?」
「すみませんでしたー(……!)」
実際は他ならぬクインのための発言であった、『時刻が0時を回る頃には、各々自分の部屋に戻るようにねー』という昨晩のアズによる注意を今更に思い出しながらに、その子供に促すような注意を、まさしく子供のように無視して失態を犯した現実に、苦笑したり、頭を掻いたり、手で顔を覆ったり、
四人はそれぞれの調子で、謝りの言葉を口にしたのだった。
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