彼女と僕
分厚い雑誌
翌日、目が覚めると朱里が隣で眠っていた。好きな人が隣で安心して眠る姿を毎日見れると思うと、僕は幸せだろうなと思った。
僕は、朱里に厄介になることを決め、このマンションへと転がりこむことにしたのだった。
一緒に住むためのあれやこれやを二人で揃えていく。僕の生活用品ですら、朱里にお世話になったものがある。終始、朱里に引っ張られて二人の生活を始める準備をしていく。
1ヶ月後のアパート更新と共にアパートを引き払い、それと同時に朱里のマンションで余っている部屋へと僕の荷物を押し込めた。
ほとんどの時間をリビングと朱里の寝室で過ごすため、一応、持ってきたベッドも使うこと無く、今のところ埃をかぶっているところだ。
用意してもらった部屋で唯一クローゼットだけは、使わせてもらっているので、服以外は処分してもよかったのかもしれない。
あれから、1年近く朱里と同棲をしている。
毎朝、朱里の寝顔を見て起きることが日課であり、その後は、二人分の朝食を作る。
僕は、そんなささいな時間にとてもに幸せを感じていた。
朱里とずっと、一緒にいられる未来を夢見てもいいだろうか?この頃、ずっと考えていた。
「朱里、ご飯できたよ?」
「おふぁ……」
ゆさゆさと揺すると、よく寝ていた朱里は寝ぼけ眼のまま首に腕を回して、ほっぺにちゅっとキスをしてくる。
朱里にとっての日課であるようで、それがない日はたぶん疲れているのか、怒っているかのどちらかであることを僕は知っている。
「ほら、早く起きて!」
「裕は、いつも早いね……」
「そんなことないよ?朱里は少し仕事を詰めすぎているよ?」
「わかってるけど、もう少しで大きな案件が終わるから……それさえ終われば、ゆっくりできるよ!」
ちょっと拗ねて言う朱里に苦笑いする。そして、朱里の欲しい言葉を言うとご機嫌に返事をしている。
「うーん、じゃあ、もう少しだけ頑張って!」
「はぁい、裕」
敬礼の仕草をしながら、のそのそとベッドから起きてくる。
寝ぼけていたのか、朱里が着ているのはパジャマではなく、今日、僕が着るワイシャツであった。
ゆうべ、ソファの上に置いておいたのだが、ワンピース型のパジャマと間違えたらしい。
「朱里……それ、僕のワイシャツ」
「えっ!」
僕の指摘に驚いて自分が着ているものを見ると、だぶっとして肩からずれている。
さらに下着が透けて見え、やたら色っぽい。
ステキなおみ足まで晒してくれているのだが、視線に気づいたのか、ワイシャツの裾を下に引っ張っている。
「もう、裕のえっち!」
「いやぁ、不可抗力!彼シャツと朝っていうのが、また……仕事、休みませんよね?」
「休みません!」
ぷりぷり怒って、朱里はボタンをとめつつリビングへ出ていく。
その後ろ姿を追いかけて、僕もリビングへ向かい、朱里の前へ朝食を並べる。
「それ、汚さないでくださいね!今から着るんで!」
「やだ、違うのにしてよ!私、一晩これ着て寝てたんだよ!」
「だから、いい気がするんですけどねぇー」
「変態やだ!」
「その変態を好きなのは誰ですか?」
「んぐ……」
言葉に詰まる朱里は、それから一言も話さずもくもくと用意した朝食を食べていた。
渋々、違うワイシャツを出して、着替えていると後ろから抱きつかれる。
「なんですか?もう、出ないと時間ないよ!」
「ちょっとだけ、充電……」
腕を回してきて甘えるので、胸の前に朱里の手がある。
いつも思っていたが、聞けずにいた朱里の右手薬指の指輪。
僕は、その指輪をそっと撫でた。
「いつもしてるよね?」
「えぇ、初任給叩いて買ったの。もうずいぶん長いことしているから、傷だらけなんだけど、とても大事なものよ!」
朱里の口調から、誰かからもらったものでなくて、僕はホッと胸を撫でおろす。
朱里の手をギュっと握ると、そろそろ本当に時間がないよと急かしてやる。
「ホントだ!ごめん、洗い物!」
「はいはい、任せておいて!」
バタバタと寝室へと戻っていき、朱里は出社の準備をしている。
僕たちは、同じ部屋から同じ職場へと出勤するのだが、会社では秘密にしてあるので僕たちは別々に出ることになっている。
「先に出るよ!」
「うん、いってらっしゃい!」
化粧をいそいそとしているところだったが、今度は僕が後ろから抱きついた。
いってきますと囁き、首筋にキスをする。
朱里はくすぐったそうにしながらも、カチカチとアイライナーの先を出していた。
◆・◆・◆
「お先に失礼します!」
隣にいる朱里に声をかけて、僕は有休を使い帰ることにした。
部屋を出た後に思いたったため、朱里には知らせておらず、急に帰る僕に朱里はかなり驚いていた。
「お疲れさま、世羅くん。気を付けてね!」
「ありがとうございます、朱里さん」
僕たちは、1年近くこんなふうに会社では過ごしているわけだが、誰もが僕の片想いだと思っていて応援してくれるのでありがたい。
「あれ?世羅くん、もう帰り?」
「はい、杏さんはまだ、3時間ありますね?」
「そうね、今日はちゃんとお迎えに行かないと……」
「娘さん、へそ曲げちゃいます?」
「そうなのよ!私だけお迎え来てくれない!って……今からちょっと出るけど、途中まで一緒に行く?」
「はい、じゃあ……」
実は、杏さんが朱里に叱られて以来、杏さんとの関係はよくなった。杏さんの方から、日常の話をするようになったくらいだ。もっぱら、杏さんの子どもの話ではあるが、娘だということで可愛いだろうなと想像しながらいつも聞いている。
もちろん、朱里と僕の子どもを想定しながら、話は聞いてしまっていた。
気は早いけど……いつかは、そうなれたら……いいなと思っている。
「ねぇ、世羅くんはさ、朱里さんのこと、まだ好きなの?」
「何でです?」
「いや、朱里さんが、彼氏欲しいと言わなくなって久しいから、出来たのかと思って。そうすると……」
「僕、振られる前提ですか……?」
「そうね、朱里さんって、理想が高そうだし、でも、今仕事ばかりしてて、恋愛どころじゃないわよね?」
杏さんにも言っていない朱里の徹底ぶりに感服する。
それに、杏さんは僕の心配をしてくれて申し訳ないけど、朱里の相手は僕で一緒に住んでるんだから、夜遅くまで仕事してたとしても、殆どの時間を共有しているので、彼氏に会うための時間を確保するが朱里には必要ない。
「今日は、これから何処かに行くの?」
「うーん、今から本屋に向かおうと……」
「そうなんだ?何買うの?」
「マンガですね!そうだ、杏さんって……」
「何?」
「いえ、何でもありません」
気になるけど……と言いながら、一緒に会社のロビーを横切り、そこで杏さんとは別れた。
僕はそのまま駅に向かい、そこから4つ先の駅で電車から降りる。
普段使う駅にも本屋はあるが、今日、僕が求める分厚い本は、近くの本屋では、買いに行くにはちょっと勇気のいるもので、誰にも見られたくなかった。
本屋に入り、いつもは買わない大き目の男性誌を手に取る。
ファッション雑誌なんて、何年振りに手に取るだろうか。
その後向かったのは、女性誌の真ん中あたりだ。右を見て左を見て誰もいないことを確認してサッと手に取る。
その雑誌の重厚感ときたら、掴んだ瞬間、思ったより重くて手がもげるんじゃないかと思った程だ。
ファッション誌を上に置き、分厚い雑誌を隠してレジへと並ぶ。
レジが若いお姉さんであったため、僕と雑誌を見比べて訳あり顔でレジをしてくれた。
「紙袋にお入れしますね!」
気の利いたお姉さんで助かった……ビニール袋に入れられていたら、恥ずかしさで……そんなことを思いながら、重い雑誌を持ってマンションへと帰る。
朱里がいない間に、この分厚い雑誌を一通り見ておきたかった。
「いろんなドレスがあるんだな……どれ着ても、朱里なら似合いそう。へぇーマーメード……Aライン……このお姫様みたいなのは、さすがに朱里の雰囲気とは違うかな?エンパイア……どれを着てもいいな、似合いそうだ」
手に入れたのは、そう……『結婚情報誌』
1年と少し一緒に仕事をして、1年近く一緒に生活をして、朱里以外と生涯を共に過ごすとは、もう考えられないと思うほど、朱里という女性に僕は惚れ込んでしまった。
プロポーズ特集とかある……何々……ちょっと高級なレストラン……夜景の綺麗なところ……あとは、観覧車……家じゃダメなのかな……
ふと思ってしまった。
忙しい朱里をあちこちにで連れまわすのは、得策と思えない。
それなら、もう少ししたら時間ができると言っていたので、待っていたらいいのだろうけど……悩み始めると結構グルグルと考えてしまった。
次のページを捲ると、『彼女が欲しい結婚指輪』と目に入ってきた。
高級ブランドの指輪が多く並んでいる。
朱里が一緒に住む提案をしてくれたおかげで、家賃は浮いている。
なので、ここに載っている中で、真ん中あたりのものであれば買えるのだが……それも朱里が気に入ったものを贈りたい。
でも、プロポーズするときにエンゲージリングが欲しいと思うと、好みのリサーチが必要なことがわかる。
何度も何度も読み返していたせいか、気付いたら夜になっていた。
ガチャっと玄関のドアが開く音がして、朱里が帰ってきたことを知らせてくれる。
大慌てで、この分厚い雑誌を隠すところを探していたが、すぐには見つからず、昨日着ていたパーカーの下に隠すことにした。
まるでエロ本を母親から隠す気分である。
「ただいま!」
「……おかえり、今日は早かったんだね?」
「うん、裕が早く帰ったから、体調でも悪いのかと思って、早く切り上げてきたの!」
「そうだったんだ。ごめん、体調が悪いとかじゃないから、大丈夫だよ!ただの有休消化」
「そうだったんだ。まぁ、いいわ!たまには、早く帰ってきてゆっくりしたかったし」
そういって寝室に向かい着替えに行く朱里。
僕も着替えていなかったことを思い出し、部屋へと向かって着替えてくる。
夕飯の用意もしていなかったことを思い出し、その準備もすることにした。
「私も手伝う?」
「いいよ、そっちで座ってて」
朱里をリビングへと追いやると、夕飯の準備をする。
ニコニコとしながら、こちらを見ている朱里の熱視線に、隠し事がある僕はドキドキとしてしまった。
ソファに体を預け、伸びている朱里の前に準備が整った夕飯を並べていく。
「ねぇ、裕」
「何?」
「今度のお休み、外にデートに行こっか?私、百貨店とか回りたいな!」
「百貨店?」
「そう、そろそろ化粧品のストックも欲しいし、新しい宝飾品とか出てくる時期だから見たいなって思って!」
「いいですよ!行きましょう!」
久しぶりの外でのデートは楽しみだが、百貨店へ行くこと、それと宝飾品を見ると朱里は言っているので、そこで朱里の好みがわかると、僕はほくそ笑む。
このとき、僕は、それがあの分厚い雑誌を見つけた朱里の優しさだとは、全く気づかずに喜んでいたのであった。
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