彼氏になれました?
「お……お邪魔します……」
緊張の面持ちで、その玄関の敷居を跨ぎ、朱里の部屋に入った。
いや、僕、ただの部下ですから……僕は僕にしっかり言い聞かせる。
下心は、大ありですけど、朱里に嫌われたくないので、下心は奥の方にそっとしまっておく。
楽しくお酒を呑んで、程々の時間になったら……タクシーを呼んでもらって帰って、余韻に浸って寝よう。
明日は休みだから、余韻も長く浸れるだろう。
「汚いけど、適当に座ってて!」
買い物袋いっぱいの缶酎ハイとおつまみと2本のビールを持ち、僕はリビングへ向かう。
女性らしいかわいい部屋を想像していたのだが、なんとも、まぁ、物の少ないことに驚いた。
僕より少ないんじゃないかと部屋を見回す。
置いてあるのは、ソファと机とテレビだけ。
カウンターキッチンになっているので、そこに2脚の椅子が置かれていたが……リビングには、他に何もない。
「着替えてくる!」
リビングから繋がる部屋に入っていったのはいいのだが……いつもの癖なのか、ドアが開きっぱなしで着替えている朱里が見えてしまった。
なんの苦行なんだろう……好きな女性を前に、一体なんなのだ!
叫びたくても叫べない……そして、見えてしまったので、ついついじっくり見てしまう。
明りはついていなかったが、カーテンがレースになっていたので、外からの月光で見えるのだ。
すらっとした手足は確認済みであったが、朱里は、着やせするタイプなのか、胸が大きい。
よく机にダレている朱里を見ていたが、なるほど、胸を机に置いていたのかと納得してしまった。
同僚たちよ……いままで散々、朱里の胸は小さいと言っていたが、朱里の胸は決して小さくない。
むしろ、大きい!
これは、この部屋に入らないとわからないことだ!と、やつらには秘密にすることにした。
じっと見てしまったので視線を感じたのか、朱里と目が合ってしまった。
慌ててソファの方へ行き、缶酎ハイやらなんやらを机に並べ始める。
「見てたでしょ?」
「いえ……」
僕は、必死にいいわけを考える。
せっかく、朱里の家にまで招いてもらえたのに、嫌われたくなかった。
苦しくてもいい……何か、何かいいわけを思いつけ!
「……見……見てたんじゃなくて、朱里さんが見せてたっていうと思うんですけど……?」
「そっか、癖でドア開きっぱなしだったもんね……ごめんごめん」
ごめんごめんで、済まさないでほしいところだ……見てしまったのだから……今も服を着ていない下着姿のように見えてしまう。
なので、朱里から視線を逸らすと、追っかけるように僕を覗き込んでくる。
部屋着に着替えたので、ゆるっともこっとした感じで眼鏡をかけ、髪を無造作にまとめている。
家にいる朱里が目の前にいるわけだが……会社にいるいつもと様子の違い、無防備になっているのでそれだけで、どきどきと早鐘が鳴る。
そんな僕を知ってか知らずか、いつの間にか座っている朱里は、さっき買ってきたばかりの缶チューハイをプシュッと開けて、ほらほらと僕がビールの缶を開けるのを待っていた。
普段より幼く見える彼女は、可愛らしく床にぺたんと座っている。
机を挟んで乾杯と缶をぶつけ、ゴクゴクと缶チューハイを一気に飲み干す彼女。
朱里は、お酒が相当強いって聞いているけど……缶チューハイをジュースのごとく、一缶飲み干したのに驚く。
このペースで呑むのか……あまり強くない僕としては、なんだかしんどい飲み会になりそうだった。
2時間もの間、何も言わずにただ飲み続ける朱里をチビチビとビールを飲みながら眺めていた。
たまにおつまみをつまんでは缶チューハイを煽る。
チラッと床に並んだ缶を見たら、今、13本目……水分、取りすぎだと思うのと、全く変わらず呑んでいる朱里に驚いてしまった。
「ちょっと、トイレ……」
あの、そういうの……言わなくていいですとも言えず、ビールをチビチビ飲み待っていた。
すると、帰ってきたのか、ドサッと僕の後ろのソファに座る朱里。
驚いて振り向こうとしたら、後ろから抱きついてきた。
「あ……朱里さん?」
「ん……ちょっとだけ……」
「その、ちょっとは……ダメなヤツです」
「ダメなの?」
「ダメです……」
じゃあさとソファから床に座り膝たちした朱里を見ていると、僕の顎に手をかけて上を向けてきた。
目が合った瞬間、とろけるような笑顔を向けてきたと思ったらキスされる。
「ビールの味がするね?」
「そりゃ飲んでますからね、どうしたんですか?朱里さん。僕のこと、煽ってます?」
「んにゃ、相当遊んできたんじゃないかと思って、裕の理性を試してみました」
「試されたんですか……この状況で試されたら……すごく困りますけど……」
「なんで?」
「なんでって……わざと言ってますか?」
ニコッと笑っているので、あぁ、ワザとなんだなと思った。
そして、いつの間にか『世羅くん』が『裕』と呼び方が変わっている。
たったそれだけのことに、嬉しいようなソワソワとなんとも言えないドキドキ感が増す。
「朱里さんは、逆に意外と遊んでます?」
「そう見える?」
「いえ、全く」
「それは、ちょっと夢見がちかもだけど……泊ってって、いいよ」
「はい?」
「うん、いいよ」
「酔ってるんですか?馬鹿にしてるんですか?」
体育座りをしながら、前後に揺れている朱里。
何の儀式なんだろう?
いつもと違う朱里の雰囲気に僕は戸惑う。
「そんなつもりはないけど……そう思うなら、帰れば?タクシーなら呼んであげるよ!」
反対側に置いてあったスマホを取ろうと朱里は腰を浮かせる。
僕は、彼女のスマホを先に取り上げ、そのまま自分の膝の上に彼女を座らせ抱きしめる。
「朱里さん、いいんですか?」
「いいですよ?大事にしてくれるでしょ?」
「はい、それはもう……」
「なら、いいよ。イロイロ考えたんだけど、付き合って」
「付き合ってってそういう付き合いでいいんです?セフレ的な……」
「あれ……?彼氏になりたいんじゃなかったの?」
「なりたいです、なってもいいんですか?」
「うん、なってよ!」
「わーい、やったーって気持ちはあるんですけど……なった瞬間にこの状況っていいんですかね?」
「いいんじゃない?ほらほら、気が変わらないうちに……」
なんとも納得のいかない感じだ。
ここは、逆に冷静になったのか、僕の理性が働いた。
「朱里さん、今日はやめておきます。でも、このまま抱いててもいいですか?」
ふふっと笑う彼女は優しい顔をし、甘えるように抱きついてきた。
「うん、そうしてくれると嬉しい。裕、これからよろしくね!」
「こちらこそ、朱里さん」
「朱里さんって言われると……仕事してるみたいね!朱里っていってごらん?」
意地の悪い顔をしているので、それに応えて朱里と呼ぶと嬉しそうに口角を上げる。
「ご褒美ね!」
チュッとキスをしてくるので、少しずつ深く長くキスをする。
はぁはぁと離したときには、息を荒げていた。
「久しぶりにキスすると、息の仕方忘れちゃった!」
何とも間抜けな話になり、コロコロと笑う朱里。
その日は、僕たちはそのままベッタリくっついたままソファにもたれかかって眠った。
◇・◇・◇
起きたときには体がバキバキと痛くなっていたが、左隣りから伝わる温もりがとても心地いい。
目が覚めたとき、隣に彼女が肩に寄り添って寝息をたてている。
自分より年上の彼女は、幼い顔で無防備に眠っているのが、たまらなく愛しい。
「朱里……朱里…………」
朱里の目覚ましがなり、控えめに名前を呼んでみる。
呼んでと言われたけど……朝、起きてやっぱりなし!って言われるかもしれないのであくまで控えめに……今日、僕は休みだったが、彼女は仕事だ。
休むと言ってくれることを期待したが、きっとそうはしないだろうから起こす。
「ゆた……おふぁよ……」
「朱里、仕事でしょ?」
「うん……シャワー浴びてくる……」
目をこすりながら、立ち上がる朱里を見送って、僕も一緒に部屋を出て帰ろうと準備仕掛ける。
「じゃあ、僕はそろそろ帰ります」
「んーこんなところで寝たから眠いでしょ……ベッド使って寝てけば?鍵、オートロックだから、帰りたいときに帰ってくれればいいよ……」
半分寝ている頭を右に左に揺らしながら、朱里は風呂場へ向かっている。
「朱里さん!大丈夫?」
「大丈夫……シャワー浴びれば、余裕!」
風呂場は、さすがに入れてもらえなかったので……外で待っていた。
ササっと出てきた、濡れ髪にバスタオルを巻いている朱里は、色気も半端ない。
「朱里さん、ごちそうさまです!」
ゴスッと腹を蹴られる。
あの理想のおみ足で……なんて至福の時間なんだろうとバカなことを考えていたら、顔を赤くした朱里が屈むと、胸の谷間が見える。
あぁ、サービスショット……と、じっくり見ていると次は手形が顔についた。
「そんな見ないでくれる?」
「昨日は、見せてくれようとしたのに……」
「昨日は昨日。今日は今日。仕事行ってくるから、大人しく待ってて。冷蔵庫のもの、適当に食べていいから!」
「待っててもいいんですか?」
「ん」
屈んだまま見つめあっている状態なんだけど……どうするべき?と対応に悩んでいると、軽くキスだけして朱里は寝室へ入っていった。
今度は、ドアはしっかり締まっていて、30分後出てきた朱里はいつもの出来るキャリアウーマンの朱里さんであった。
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