むつかしきもの
和泉眞弓
再起
ひろい河におおきな橋が架かっている。
橋げたの下は翳り、ポップなスプレーをまぶされたコンクリがひんやりと湿り気を帯びる。ここにはいつも水の匂い、違う、どぶの匂いがする。
ここを根城にして季節が三つ変わった。河で行水や洗濯ができるので、鼻が曲がるほどには臭くはないだろう。洗う、干す、纏う、それでかろうじてヒトの体裁を保っている。
二つの乳がじゃまだ。これのせいでオスはゆきずりにわたしをなぐさみとする。中途で温かい食べ物や熱い洗い湯に恵まれることもあるが、最後は決まってわたしにあいている穴を便所とする。どうしてオスは、ついさっき使用したメスをわざわざ蔑んでから去るのだろうか。余計な一言だ。ほんとうに蔑んでいるのなら、やる前に堂々と言えばいい。やってる間におまえの局部を石で全力で潰すぐらいなら、メスでもできる。
布団が当たる場所にはゴムがある。布団がなければそのままだ。わたしがなにかの病気を持っているかもしれないとは思わないのだろうか。いや、そんなことを気にする者は、そもそも手を出さないか、湯と布団とゴムのあるところでする。便所にリスク管理をもとめるのは筋が違う。いやならやるな。おまえがやらなきゃいいだけだ。
春に生理が止まり、季節が変わる頃にはおびただしい出血が流れていった。わたしは死ななかったが、はらの子は流れてどこかにいってしまった。つい先日も、もうひとり。どちらもこわくて見ていない。男の子だったのか、女の子だったのか、判別できないほどちいさかったのか、人の形をしていたのかすらわからない。子どもたちはこだまとなって、東京の暗渠を回流する。幾周も、幾周も、流れてはめぐる。あなたがたには目玉があるか。両の腕はか細いだろう。進化の途中で放たれて、汚泥の中でまだ目を開け生きているのか。ならば見よ。耳あらば聴け。なかまはいるか。あなたがたは暗渠をめぐり、地上の者の辛酸を、言葉にならず地下水にとけた無形無数のかなしみを、拾いあつめてそうっとつつみ、すくいのかがやく黄泉へと連れていってほしい。
もうすぐ冬が来る。わたしはひどく眠い。起き上がってまで生きたくはないので、このまま眠ることにする。うまくすれば、春には荒川を彩る花になるだろう。
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