第9章  1963年 プラスマイナス0 – 始まりの年 〜 1 覚醒(3)

 1 覚醒(3)

 



 思い返せば、あの岩のあった屋敷の持ち主は、確か岩倉という苗字だった。智子も今や戸籍上岩倉で、名前はあの頃大人気だった映画女優と同じもの。

 だからあの時、屋敷に住んでいた人物こそが、智子だったということだろう。

 となれば、庭園で三人のチンピラを追っ払った人物も……、

 ――あれはわたし、だったんだ……。

 昭和五十八年だったら五十四歳になっている。ならばあのくらいの体型だって不思議じゃないし、思い返せば返すほど、あれは自分だったという気がした。つまり智子は林だった土地を買い、不思議な機械がやって来るまでずっとあそこを守るのだ。

 幸い金だけは山ほどあった。それでもあれだけの土地を買い占めるなんて、いったい幾らくらいになるのだろうか……。

 ただ、どっちにしても、多ければ多いに越したことはないし、土地を買ったなら、当然そこに何かが建っていないと不自然だ。

 彼女はそれから、これまでも何かと世話になっていた知り合いの弁護士を呼び出した。

 彼とは長い付き合いで、智子が友子を手放した当時、彼もその施設に戦災孤児として暮らしていたのだ。

 明け方、彼が便所の小窓から外を眺めると、施設の玄関先に見慣れぬ女が立っている。それから彼は、逃げるように走り去った女の後を尾けていった。

 簡単に、子供を捨てるような奴だったなら、

 ――俺が絶対許さない!

 そんな思いでの行動だったが、すぐにそうではないと知ることになる。

 ――こいつも、家なし……か?

 住む家を戦争で失い、バラックのような長屋にさえ住めない……。そんな人々でごった返す空間の一角に、小さな乳母車がポツンと一つ置かれていた。

 どこかで、拾ってきたものなのだろう。金具部分がガチガチに錆びついて、車輪も三つしかないから実際に動かすのはひと苦労だ。

 そんな乳母車にすがりつきながら、さっきの女が泣いていた。

 もちろん腹が空いてのことでないくらい、十四歳の少年にだって痛いほどによくわかる。

「ねえちゃん、大丈夫だよ。俺があの子を守ってやっから、だから、安心してくれ……」

 そう言って微笑む少年の顔を、智子は真っ赤な目をして見上げたのだった。

 彼の名前は石川英輔。

 空襲で両親を失い施設にいたが、智子と出会って人生が変わった。

 それから一年後には、小さなアパートで一人暮らしを始める。もちろん智子の援助があってのことで、彼はそのおかげで高校を卒業後、大学へ通いながら司法試験に合格する。やがて弁護士となって、小さいながらも事務所を構えた。

 そんな彼を呼び出して、智子は我が身に起きたすべてを打ち明けたのだ。

 それを何から何まで信じたかは別として、石川はそれ以降、智子からの依頼はなんでもすべて受け入れる。本来の仕事とはかけ離れたことでも、彼はその一切を断ろうとしなかった。

 そしていざというところでは、智子も石川と一緒に行動するようにした。

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