冬村家は気まずい(3)
対外用の、言いやすい趣味を作っておくとか、あるのではないか。スポーツや旅行などは人に言いやすいが、内向的でマニアックな趣味になるほど言いにくくなる。
「俺思うんだけどさ、年を経るごとに、気分は楽になっていくって。大人になったら大人のしんどさもあるけど、一番いいことは自由になれるところだよ。好きな仕事して、好きな場所に住んで、毎日おいしいもの食べて、休みの日は好きなことだけしていいんだ。家事なんて最低限でいいんだよ。一日中ゲームしてもいいし、旅行してもいい。子供時代って、単調な映画みたいに長く感じると思うけど、後半に楽しいこといっぱいあるって考えた方がよくない? 俺はそう考えてる――」
「嘘だ。そんなの」
衿の丸みをおびた横顔がゆがんだ。
「わたしが読んだ本にはみんな、子供時代が一番かけがえのない幸福なときだって書いてありました。人生の中で、幼少期から十代までが最も輝かしい時期だって! 十二歳のときの友達は、もう二度とできないって」
「それはなぁ……それは、読んでる本が悪い」
俺は言い切った。
若い内が華だなんていうのは、何百とある考え方の中のたった一つにしかすぎない。
若い頃に青春を謳歌して、大人になってつまらない日々を送っている人が、声を大にして言いふらしているだけだ。そんな大人の戯れ言に耳を貸すな。大人の方が楽しい!って、全力で謳歌している大人の話を聞け。
俺は大人になってからのほうが絶対に楽しいと思っている。そう思わなければやっていけない。未来に希望がないと。
エリーゼが来る前。俺の家は、冬村家は、俺と窓のふたりきりだった。会話のない、電流が流れる金網が張られた、敵対する国境沿いのような場所だった。
話しかけても基本無視されるので話しかけるのも嫌だったし、チャンネル争いも面倒なのですべて窓に譲り、見たい番組はすべて録画してあとで一人で見た。ただ俺を嫌っているだけならまだいいし、学校で友達がいて明るく過ごしているなら良かったのだが、窓は学校でも問題児で、たびたび自宅に電話がかかってくる。なんだかんだいって、俺のストレスはわりと限界に近かったように思う。
けど、エリーゼが救ってくれた。
エリーゼという、家族とまったく縁もゆかりもない異分子が混在することで、俺と窓のあいだに歴然と構えていた氷河が溶けはじめたし、会話が復活した。
仲の良さ悪さは脇に置いて、とにかく家庭で会話のあるなしは本当に重要だとわかった。
エリーゼが衿なのか、わからない。けれど、恩返しは、別の人に返してもいいのではないか。
ずっと会っていなかった妹、衿。
衿のためにできることはなにか今、ない脳味噌を揺り動かして必死に考えている。
「俺の本、貸すよ。あ、明日にでも持ってくる。俺のコレクションさ、おもしろいのばっかりだよ。それに、兄も妹も本が好きで……でも読むジャンルぜんぜん違うんだけど。正直あのふたりの趣味はよくわかんないから、俺がオススメする本の方が絶対いい」
窓は血で血をぬぐうような猟奇的なノンフィクションや、人が大量に死ぬサスペンスやホラーが好きだし、兄は小説をあまり読まず、逆に言うと小説以外ならなんでも手当たり次第に読む。海外奥地の旅行記や美術・芸術論、科学のトンデモ本なんかが好きみたいだ。
「わたしたちが似てるって言いたいんですか?」
「い、いや……」
そうかもしれないが、俺は口ごもる。
「わたしは冬村家の一員にはなれない。ちいさなころから一緒に育った人が、きょうだいだから。わたしが三人の妹だとしても、妹ではないんです。そんなこと最初からわかってました」
衿の黒い目が、サザンカのピンク色を見ている。
彼女は、俺たちの存在を母の口からきいていたのだろうか。あなたには三人の兄姉がいるのだと。
その情報は必要だったか? わからない。俺たちを恨みこそすれ、憧れるはずがないように思う。
「あ、あのさ……」
「なんですか」
「結川さんの望みは、俺たちと暮らすことなの?」
「それは……!」
うつむいて、衿は語尾を強める。もこもこした膝掛けを、小さな手でぎゅっと握りしめた
「そんなこと一言も言ってない! 他人と暮らすなんて無理です。無理の無理無理! だからあのおじさんも無理!」
「そっか」
衿は、母の恋人と一緒に暮らしたくないのだ。
「あのおじさん、まだ大学生で十八歳なんです」
「ぶっ!」
俺はコーヒーを思い切りふきだしていだ。
おじさんじゃないじゃん。俺とたいして歳変わらないじゃねーか!
事例は世界中にいくらでもあるだろうが、いざ身近で発生すると、わき腹がキリキリと痛んでくる。
どうなってるんだ母親、そんな将来ある若者の心をかっさらうほどの魅力に溢れているのか? そいつ詐欺師じゃ? または遺産目当て? 目下、母に財産などないだろうから、母方の祖母の遺産狙いか。
さっきから俺の思考回路が失礼千万だった。本気で好きあっているならば申し訳ない、平伏して謝りたい。
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