第20話 『婚約破棄』の最終章
周りがエレノアとモルドに対する祝福ムードに包まれる中、殿下は1人その場に立ち尽くしていた。
それを見ながらローラは思う。
「デクの棒とは正にこの事なのだろう」と。
この場に必要とされていない、ただ邪魔なだけの存在。
彼は正に今この場ではそんな存在になり下がってる。
人心は、如実に離れていっている。
憐れむ視線も、冷たい視線さえもう彼には向けられてない。
それはローラも同じだが、ローラとしてはその方が言いたい事が言えて好都合なのでこの空間の関心を根こそぎ攫っていったエレノアに感謝したいくらいだった。
とはいえ、時間が経つとまた注目を浴びてしまうかもしれない。
そう思い、被害者であるローラがおもむろに口を開く。
「エレノアさんったら、本当に良い記憶力をお持ちなのね、確かに私の呼び名が変わったのは、3年前の夜会ででした」
クスクスと彼女が笑えば、彼がゆるりと顔を上げる。
その顔には既に反発心などはなく、むしろ「敗北した俺に、今更一体何の用だ」と言いたげである。
そんな彼を失笑しながら、ローラは「彼にとっては、確かにもう『終わり』なのかもしれないけれど」と考えた。
信用も信頼も失墜した今の彼は、確かに今『終わりだ』と思うくらいには絶望を感じているのかもしれないが、ぶっちゃけそんなのどうでもいい。
晒し者にしてくれようとした事への報復もこんな中途半端なままで引き下がるなんてカードバルク公爵家の名折れだし、婚約破棄の話だってきちんとここで詰めてしまいたい。
少なくとも後から引き留められるのだけは、面倒過ぎて御免である。
つまり、ここからはローラによるタコ殴りタイムという訳だ。
「呼び名が変わって以降はずっと、夜会への同伴出席も現地集合。一応会場内では私のエスコートをして取り繕っていましたが、周りから見えないところ……例えば馬車移動時などには、必ずレイさんを伴っていて私は蔑ろでした」
彼女は一見するとずっと、慈愛に満ちた笑みを浮かべているように見えた。
しかし醸し出される空気は、他に有無を言わせない凄みを確かに孕んでいる。
「結局貴方が私に配慮したのは、社交界でだけの事。きっと学校を私有地か何かと勘違いしていたのでしょう? それはもう、あちらこちらでイチャイチャと。見るに堪えない惨状でした」
彼女の声は、感情の起伏が全くと言っていいほど感じられない。
普通ならば、怒りなり、悲しみなり、蔑みなり。
何かしらの感情が伴って然るべきだ。
それなのに、である。
きっとこれを見た誰もが、今の彼女を「怖い」と言う。
少なくとも今ここに、『淑女』はともかく『聖女』は居ない。
その外面の薄い部分だけいつもと同じの慈愛に満ちた笑みの彼女に、彼はもはや青ざめる事しか出来い。
反論の言葉さえ呑み込んで、ただただ彼女の言葉を聞くだけだ。
しかしまぁそれも、既に信用も尊敬も無くした殿下が今さら何かを言ったところでただの見苦しい言い訳にしかならなかったのだろうと思えば、もしかすると恥の上塗りにならなかっただけマシかもしれない。
「こんな情けない殿下なんて、あぁ本当に私の中に貴方への気持ちがこれっぽっちも無い事が幸いだったと思いますよ」
『婚約者だったはずのモノ』からサンドバック状態にされるがままの殿下は今や、プライドも体裁も何もかもをへし折られた後である。
しかしそれでも、ローラはその手を緩めない。
「――貴方との婚約が決まった時、私は『国の為に尽くそう』と決めました。たとえ貴方の事を微塵も愛せないとしても……国を愛し、生きていこうと」
ローラの目には最初から、彼の事が次期王としても人としてもひどく未熟に映っていた。
しかし自分には『未来の国母』という責任がある。
だから言いたくなくても彼に度々苦言を呈して来たし、フォローだってしてきたのである。
全ては将来、王となる人だから。
そんな人に汚点を残してはならないと、日々人知れず踏ん張って頑張った。
「しかしそれも、やっと今日で終わりですね」
もう頑張らなくていい。
そんな解放感に包まれながら、薄っぺらくも存在した外面が完全に脱皮する。
「エレノアさんは、実に素敵な提案をしてくれました」
脱いだ外面の向こうにあったのは、まるで能面の様な顔だった。
元々人形のように整った顔だ、そこから表情が抜ければどうしたって無機質になる。
陶器の様な白い肌に灯る、赤い唇。
今や1ミリの弧さえも描かないその口元が、静かに彼に『終わりの訪れ』を告げた。
「私、ローラ・カードバルクは、王太子殿下との婚約を今この場で破棄致します。――それが貴方のお望みでもあったのですもの、もちろん異論はありませんよね?」
彼がしようとした事をそのままそっくりやり返し、涼しい声で最後に告げる。
「ではご機嫌よう、殿下」
ギャラリーが少ない分殿下のしようとした非道には届かないが、ローラとしてはそれでも十分満足だった。
彼女は最後に、単に王太子の地位にあるだけの人物に対して『完璧な淑女の礼』を取った。
しかし顔を上げた時、もうその目は既に彼を見てなどいない。
たったそれだけでローラが告げる別れとしては、十分過ぎたのである。
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