第10話 夏を祝うパーティー② 暗躍する騎士
ずっとやりとりを見守っていたパーシヴァルが砂糖を食べたみたいな顔をしているのに気が付いたので、デニスはようやく視線を逸らした。
緩みそうになる口元を必死に引き締めていたら、紬に怪訝な顔をされた。
「変なものでも食べました?百面相なんかして」
棘のある口調。誰とやりとりしていたかはバレていなさそうだが…紬はデニスに殊更あたりが強い。デニスにもやらかしてきた自覚はあるので強く言い返せないのだが。
ゆったりと流れていた弦楽器の音が小さくなっていき、空気を読んだ招待客がお喋りをやめる。
スポットライトで照らされた壇上の司会者。
鈴を鳴らしたみたいな声でジョシュアの入場が告げられた。
「ジョシュア=シャーマナイト殿下のご入場です」
明かりが絞られた会場でスポットライトの光がステージの奥を照らした。
愛想なんか振りまく必要がないとばかりに無表情な殿下。
ーーー昨日ライラと二人で笑顔の練習に付き合ったのはなんだったんだとデニスはひっそりため息をつく。
それでもジョシュアは動いてるだけでありがたがられる人なので、三百人近い出席者の多くは感嘆の息を漏らしたし、姿勢良く歩く彼に報道陣が無数のフラッシュを焚いていた。
グレイト=ブリテンへの期待度を数字で示しているみたいに、年を追うごとに夏を祝うパーティーへの出席希望者は増えていた。
マスコミや留学生など詳細な身元が探れない人間が大半を占めているため、警備が年々大変になる。
ーーー今年は特にカメラ多いな。アナウンサーなんかも来てるか?
青字の「報道」のピンをつけた人間をざっと数えてみると…会場の百人くらいはマスコミ関係者かもしれないとデニスは思った。
弾ける白い光に瞳を細めたジョシュアだが、ステージ中央に置かれたスタンド拡声器の前で止まると薄い唇を開いた。
「今年も夏を祝うパーティーにお集まりいただきありがとう。ーーー我が国を富ませる黒竜様の加護に感謝し、共に楽しい時間を過ごそう」
デニスからすればあまりに短い挨拶。黒竜の儀の説明とか、黒魔法での余興とか、少しくらいサービスしてやればいいのに。
でも、出席者は満足そうだった。さすが笑わないでも外交ができる男は違う。
ジョシュアが舞台袖へと捌けると、会場に灯りが戻った。
「シャーマナイト陛下ありがとうございました。ーーーそれでは皆様、ご歓談くださいませ」
司会の合図を待ち侘びていた留学生たちが、競争するみたいに国王陛下夫妻への元へと向かう。
ーーー今だな。
気配を消して近寄ってきていた父親とアイコンタクト。
デニスが立てた指は三本。
父親がからかうように片方の眉を上げた。
「もう少しゆっくりでいいぞ」ーーー紬に見えない角度で背中を叩かれた。
「ーーー紬様、本日もご機嫌麗しゅう。…デニスの父親の、」
一番隊隊長の父親と入れ替わるようにして人並みへと泳ぎ出したデニス。
宣言したのは三分間でのミッション達成。素早く、目立たず、釘を刺す。
赤い集団は陛下に挨拶をする気もないのか先程の場所で歓談を続けていた。
早速、薄紫色の髪をした蝶が捕まっていた。
嫌がって身をよじるニュートの子を押さえつけるマスキラの腕を狙い、机から拝借したフォークを投擲。
「ねえ、名前くらい教えてくれても…いったあ!」
突如うずくまった大柄のマスキラを怯えたように見下ろすニュートの背中にそっと手を添える。
「お友だちが探してたよ?」
飛び上がらんばかりに驚いたその子は、デニスを見ると安心したように目元を綻ばせた。
ほら行きなと背中を押せば、紫の蝶は消えていく。
デニスは文句をつけてくる下っ端を無視して中心へと向かう。
…あと一分半しかない。
赤魔石を数珠のようにつけた魔法使いは近寄ってくるデニスを見て、何故か歓喜の表情になった。
「デニス=ブライヤーズじゃん!陛下も王妃も寝とったって本気?」
品の良さそうな顔をしてゴミクズみたいな台詞を吐くマスキラ。
虫の羽音みたいに笑う取り巻き。
対するデニスはといえばーーー何かを探るように視線を滑らせ、ひとつ頷いた。
「旧型の魔銃が17丁か…武器の持ち込みは禁止だから、そちらの国に正式に抗議させていただくよ」
怪訝そうな顔をする赤い魔法使いはもしや部下のやらかしに気がついていないのだろうか?
顔色を変える取り巻きには目もくれずに、立ち去ろうとするデニスへと指輪で飾り立てられた拳を伸ばしてくる。
デニスは避けるか迷ったが、結局はふしばった指先を手の平で握り込んだ。
びくりと引かれた手を追いかけるようにしてーーー指先でとんと彼の心臓をノックする。
「黒竜に飲み込まれたくなかったらお行儀よくしててもらえる?」
威圧を込めた紅蓮の瞳に射抜かれて、石像のように固まった赤い魔法使い。
背を向けたデニスは時間を確認して額に手をやった。
「五分必要だったわ」
デニスが父親と紬の元へ向かおうとすると、いつの間にか集まっていた野次馬が割れた。
…シャッターが眩しい。メディアは国王陛下夫妻を撮りに来たんじゃないのか?
明日の朝刊を思うと憂鬱になるデニスだったが…会場を分断している陛下への挨拶の列を横切ったあたりで、父親が戻ってきたデニスに気付いた。
人の良さそうな顔で相槌を打ちつつ、右手は常に開けている。デニスに気付いたのもかなり早かったし、常に周囲も警戒しているのだろう。
騎士の立ち回りの基礎を仕込んでくれたのは父親だ。
「ーーああ、ずっとここにいたいですが…そろそろ仕事に戻らねば」
肩を叩いて通り過ぎる父親は既に騎士団一番隊隊長の顔になっている。
「P17」「御意」
すれ違いざまに軍事コードで銃の存在を報告。…陛下主催のパーティーだ。揉め事はできるだけ水面下で収めたい。
「どこ行ってたのですか?」
「…害虫退治?」
「虫が出たんですの?」
不思議そうにしている紬を連れてデニスも挨拶の列に加わった。デニスに引きずられるようにして歩く紬は…よく見れば、ロボットみたいに緊張している。
「あの、伝説の殿下にお目通りできるなんて…」
ーーー紬はジョシュアのファンらしい。なんと、サイン帳を側近に用意させていた。
「俺に頼んでくれればいつでももらってくるのに」
デニスが笑いを堪えているが、紬的にはそれはアウトらしい。
「デニス様のコネを使うのはダメだと思うんです。ーーーそれに、顔を覚えていただきたいという下心もあります」
紬がジョシュアの武勇伝を語るのをデニスは話半分に聞きつつ、花に吸い寄せられてふらふらしている騎士団員にはゆるーく魔力を飛ばした。
お化けが出たみたいな顔をされたので、絡まれている令嬢の方を指差しておく。制服を着ている間は、ナンパじゃなくて仕事をしてほしい。
ジョシュアの姿がいよいよ近づいてくると紬は借りてきた猫みたいに大人しくなった。先ほどまでの興奮は本人の前では見せられないらしい。
ーーーまあそれに、紬様の魔力だと陛下の圧はちょっときついよなぁ。
デニスの友人はこぞって魔力が高いので忘れがちなのだが…ジョシュアは側仕えを簡単に増やせないレベルの魔力放出人間なのだ。跳ね返すにはこちらもそれ相応の魔力が求められる。
和国の使用人も護衛も次々に脱落していく中、手と足を同時に出して紬がジョシュアの前へと進み出た。
「和国から来た…紬、と、申します。いごおみしりおきを…」
最低限の挨拶を口にするだけで肩が上がっている紬。
側近長が心配そうに主人を見上げているが…。
「紬姫、パーシヴァルから優秀だと聞いている。ーーーあと、デニスが面倒をかけている」
真面目な顔でジョシュアがそんな風に言うものだからーーー自分が憧れの人に褒められたという事実と、強すぎるジョシュアのオーラで紬は卒倒しかけている。
デニスはこれはダメだと思った。フォローした方がいい。
「ジョシュア様!魔力の出力抑えてください。ーーーしかもなんで俺がお世話されてるんです?」
デニスはジョシュアに文句をつけつつも近くに立っていたシャロンへとアイコンタクトを送る。何で魔封じの腕輪の数が減らされている?
シャロンはデニスがジョシュアの腕輪を指差しているのに気が付いてーーーなぜかウインクを返してきた。
全く自分の意図が伝わってないことに青筋を浮かべるデニス。
慌てたようにミシェーラが駆け寄ってきた。
「ごめんなさいね、綺麗な着物のお姫様。ーーーちょっとフランク王国の留学生が王妃様に絡んできたから出力あげてたのよ。シャロン!笑ってないで手伝って」
デニスはすっかり王族に溶け込んでる友人を見てーーー胸が痛むのに気づかないふりをした。
羨ましいなどとは思ってはいけない。彼女はパーシヴァルに選ばれたのだ。救国メンバーだし、この人たちといることを正式に認められたのだ。
というか、今なんて言った?
「ーーーは?何処のどいつ?王妃様に絡んだ留学生っていうのは」
デニスは自分でもびっくりするくらい低い声が出た。
ミシェーラがしまったという顔になる。
ジョシュアの腕輪をシャロンが調整し、紬が蒼白な顔で震え、デニスがブチギレかけているというカオスな空間にーーーのんびりとした声が響いた。
「ジョシュアもデニスも落ち着いて?ーーー私これでも始祖竜だよ?そんな殺気立たなくても簡単に害されたりしないから」
ゆっくり羽ばたく彼女に合わせて、肩で切り揃えられた黒髪が揺れる。
「デニス魔力荒れすぎ」と金色の瞳を向けられて…心配の青色魔素なんて流すから。
うっかりいつもみたく手を伸ばしかけ…かき集めた理性の左手で押さえつけた。
危ない。こんな人目のあるところでうっかり王妃に触れようものならそれこそ明日の朝刊のトップ記事になってしまう。
魔力がようやく飛竜くらいに落ち着いたジョシュアが眉をハの字にして紬を見た。
「すまない…大丈夫か?」
人間の顔がみんな同じに見えるなどと言ってしまうジョシュアに心配されるのだから、紬の顔色は相当だろう。
デニスはそっと紬の手を引いて退散することにした。
長居したせいで後ろが詰まっているし。
気づいているのかわからないが、ジョシュアはライラが公の場に出ているときにピリついている。
…わかるけどね、今日はプロイセンの留学生もいるし。俺もまたあんなことがあったら気が狂う自信があるし。
ライラが話しかけたそうに紬の着物を凝視しているのには気がついていたが、デニスはヘラりと笑ってその場を辞去した。
国王陛下夫妻から足早に離れーーー元のテーブルまで引き返してきたデニスたち。
紬が心底安心した様子で「端っこにしておいて正解だったわ」と呟いている。
「国王陛下夫妻のオーラが凄すぎてーーー前に立っててごめんなさいって気持ち」
わかりますとうなずく和国の面々。
あれは出力5%くらいですとは言えなかった。黒竜は五歳だし五年後には魔力量でジョシュアを超える予定…などと教えるのは酷だろう。
…腕輪を外して魔力を解放したジョシュアに彼らが遭遇しないように祈っておこう。
そしてーーーデニスの戦いはこれからなのだ。
宰相と視線がかち合った時点で、紬をそれとなく学友の方へと送り出す。
「?ーーーではしばらくお言葉に甘えて席を外しますわ」
なぜデニスが共に来ないのかという側近長の視線はあえてスルーだ。
重そうな身体を揺すりながら近寄ってきた宰相があまりに下卑た笑みを浮かべていたので、護衛長は何かを察していた。デニスを見て若干心配そうな顔をしながら紬の後を追っていく。
ヤニの下がった笑みが向けられ、黄色い歯がにやーっと覗く。
「いやあ、今を輝く騎士団長は今日も違いますなあ。陛下への気に入られ方、わしにも是非ご教授願いたい」
舐めるような視線を向けられるのにももう慣れた。
下卑た想像をされているのはわかっている。
ーーーさすがに、陛下相手にも色を使ってると思われていた時は鳥肌が立ったが。
はじめは軽蔑していたがーーー反抗すると余計に絡まれる。
デニスは面倒くさくなってしまっていた。
一筋溢れた髪を払いのけるだけで、目を細められたりとか。
グラスを傾けるたびに喉仏をじっと見られたりとか。
「はあ」だけ言い続けて宰相が去っていくのを待った。
ーーー何も口に入れてくてよかった。普通に気分が最悪だ。
言い負かした気分に浸れたようで、ご機嫌の宰相がやっといなくなった。
ぬるくなった炭酸水をぐっと飲み干してーーー呆然とこちらを見つめる紬と目があった。
あらら…戻ってきてたのね。しかも、その顔は聞いてましたか。
デニスはあえて綺麗に見える笑い方をする。
心配そうに身体を寄せてきた彼女からーーー初めて距離を取った。
傷ついた顔になった紬には申し訳ないが、俺、汚いって思う。
いつもこういうパーティーに参加した後は肌が赤くなるまで石鹸で洗うんだ。
自業自得…いっつも遊び歩いてるから、こういうことになるんだよ。
自分を罵倒しつつ…新たなるお客さんーーー魔法士団の重鎮が険しい顔で寄ってきたのが見えたので、事情を把握してそうな護衛長にアイコンタクトを送ってみる。
嫌そうな顔をしながらも、護衛長が紬に向かって「紬様、先ほど混んでいて断念したお料理の列が空いたようですよ」と声をかける。
護衛長の声が聞こえているだろうに、紬は微動だにしなかった。
デニスへと伸ばした手もそのままーーー気まずさが消えないまま、魔法士団の金髪軍団が来てしまった。
デニスは仕方なく少し位置取りを変える。
せめて視界にこの純粋な子を入れないように。無駄に大きく育った身体を盾に使おう。
さっきよりはマシなはずだ。
騎士団と魔法士団が仲が悪いのは今に限ったことじゃないし。
対人戦を得意とする騎士団と、対魔獣戦を得意とする魔法士団は予算配分をめぐって四六時中争っている。隣国のプロイセンが怖いか、国境沿いの飛竜が怖いか…不毛な戦いなのだ。
加えて、魔法士団の重鎮たちはあまりに若くして騎士団長になったデニスが面白くない。要は格好の標的なわけである。
黒竜様に馴れ馴れしくするなだとか。
経験が足りないとか。
私生活がだらしないだとか。
周りの取り巻きはともかくーーーデニスの真正面に立つこのフィメルは、魔法陣界の巨匠としても知られる人物。
デニスは黙って頷くことにしている。だいたい正しいことを言ってるし。
だから、言い返したのは一つだけだった。
「こんな若造を騎士団長に据えるなんてーーー陛下は何を考えているのやら」
デニスは腐っても騎士なので。騎士の十戒なんて全然守れていないけど。
「私の力不足は私自身の問題でありーーー陛下は未熟な部下も抱え込めるような大きなお方ですので」
陛下のことは悪くいうなという意味を込めて、ちょっと魔力の出力を上げた。
愉快そうに魔法陣界の巨匠の口元が歪んだ。
「ーーー躾の行き届いた犬だな」
ふんと鼻を鳴らして踵を返す。
取り巻きが何やらうるさいがーーーデニスは自分の認めた人間以外の悪口は聞き流すことにしているので記憶にさえ留めなかった。
いや、記憶に留めないでいられるようになった、と言っておこう。初めから全てをノイズキャンセリングできたわけではない。
せっかく綺麗にお化粧した顔を悲壮感で満たしている紬が気の毒になって、デニスは自分から「お友達を紹介してよ」と提案してみた。
紬自身は乗り気でなさそうだったがーーー側近たちもこぞってデニスの提案を推してくれた。どうやら友人たちから顔繋ぎを頼まれていたらしい。
お忙しそうですのにいいんですの?と上目遣い。
「ここに立ってても色々来ちゃうだけですから。急用だったら騎士団に来るだろうし、紬様のご学友に私もお目通りさせてください」
俺が悪く言われるのは俺の責任。君が落ち込む必要なんてないんだよ。
デニスはそんな意味を込めてできるだけ優しい笑みを浮かべて見せた。
低い位置にある黄色の帯の上。触れるか触れないくらいの距離に手を添えてーーーどの子からにするってわざとからかうように歯を見せて。
成績優秀らしい紬の友達を見て思ったのは、「自分たちの代はやはり特別だったのだな」という事実。
デニスたちは一千年に一度の黒竜の儀を成功するために用意された世代だったのだろう。
このままだと魔法使いがいなくなるって危機意識がを植え付けられたデニスたちは必死だった。ジョシュアやパーシヴァルというお手本が身近にいたのも大きいかった。
基礎の魔力量が違う。魔力をいじるセンスが違う。
教師たちも大変そうだ、きっとデニスたちがこなせていた課題を彼らは合格できない。
ーーーなーんて内心は一切覗かせずに、あえて軽薄そうに振る舞うことを心がける。
デニスが鳥籠から出たのなんてせいぜい二、三年前なのに、学生たちはみんな純真そうに見えた。
真っ白なキャンバス。色がつくのはこれから。
…おセンチな気分になるのは、ちょいちょい合間に変なやつが来るせいだろう。落差がすごい。
張り付けた笑みを崩さない俺の隣で嫌悪の表情を隠そうとしない紬様。
騎士団長の俺のとこにご学友が来るたびにセットで送り出しーーー特に陰湿な奴が多い保守派の奴らがきた時は絶対に引き離したーーー「帰ってこなくていいよ」と匂わせるのだが、数分で必ず戻ってきてしまう。
「…わたくしがいた方が、相手も遠慮するでしょう」
俺のことなんて気にしないでパーティーを楽しめばいいのにね。そういうふうに割り切れるタイプじゃないだろう。ライラとその他で世界を回してる俺と違って気苦労が多そうだ。
時計を幾度も確認しながら生返事選手権とかあれば優勝出来そうな態度で厄介者をさばき続けていくデニス。
時計が三周半した時、会場のオーケストラが鎮まっていった。やっと終わるみたいで自然と入っていた肩の力が抜けた。
照明が落ちたとき、傍に立つ紬様が半歩だけ近づいてきた。こわばった表情をみる限り暗闇が苦手らしい。夜とか怖いタイプなのか、ちょっと意外だ。
会場の談笑がさざなみのように引いていく。
冷たいスポットライトの光が中央壇上横の王族エリアに並んで座っていたライラとパーシヴァル様を指名する。
ライラの出番の予感に思わず唾を飲む。
ーーー閉会の挨拶をするのかな。そういうの苦手なはずだけど大丈夫か?
眩しさに一瞬目をすぼめて中々に動こうとしないライラの手を先に立ち上がっていたパーシヴァル様がやや強めに引いた。
諦めたように立ち上がったライラ。さっさと歩き出して壇上へと上がっていくパーシヴァル様の背中を慌てたように追いかけ、不満げに口を尖らせながら小声で何か呟いている。たぶん「痛いです」みたいな文句だろう。パーシヴァル様がうるさいと言わんばかりに手を一振りした。俺はそんなことより「王妃らしくしろ」と言いたい。そんな可愛い…じゃなくて、王族らしからぬ姿を公の場で見せるのは護衛騎士として反対だと言いたい。…私情じゃないぞ。
壇上の中央にパーシヴァル様と並び立ったライラ。
見目麗しい双璧にあちこちから称賛のため息がこぼれる。ーーー「双璧」というのは神様がつくったグレイトブリテンの対の宝玉って意味だってある日の新聞記事の一面を指さしたジョシュア様が自慢してたんだ。自分のことより弟と嫁のことの方が生き生きするのがジョシュア様というお人である。
ライラの護衛騎士としてほぼ毎日みてるはずなのに、どの瞬間もライラはやっぱり綺麗で、俺は馬鹿みたく彼女に見惚れた。
目の前に置かれていた拡声の魔道具をパーシヴァル様が取った。
「みんな今日は来てくれてありがとう。短い時間だったけど今のブリテンとしてのもてなしを楽しんでもらえただろうか…」
うっすらと笑みを浮かべたパーシヴァルが昨年の出来事や今年の祝賀会の予定などを簡潔に述べていきーーー真剣に聞き入る会場の中でデニスはひとり微苦笑した。
ーーー絶対これ、はじめにジョシュア様が話すように側近たちが説得したけど無視されて、仕方ないからパーシヴァル様が尻拭いしてるやつだ!
と思ったからで、この後確認してみるけどたぶん正解だ。
パーシヴァル様の話を楽しそうに聞いていたこちらも人前での説明が苦手という役立たずな王妃はーーー「最後の挨拶は黒竜であり王妃でもある彼女から」とパーシヴァル様にマイクを向けられてようやく口を…開くのかと思ったら、無言で
ふわりと両手を上げた。
彼女の手からほとばしるように金の魔素が暗闇へと流れ出す。
無から生まれ落ちた黄金のベールが彼女とかたわらに立つパーシヴァル様を包む。
浮遊魔法の金色は重力を奪い去ったようで、ライラは軽く床を蹴って三メータほど前方へと飛んだ。
翼をゆるくはためかせ金色を纏う彼女は慈愛に満ちた笑みを浮かべ、
「夏を共に祝ったみなさまに幸多きことを」
ライラが手のひらにのせた金色の魔素をふうっと吹いた。
会場いっぱいに金の蝶が羽ばたく。
「これが…黒竜様!」
紬様が感動する横でパーシヴァル様の腕を引くライラが足早に壇上を降りて裏口から消えていくのがかすかにみえた。
行きと逆だ。とにかく早く会場から去りたいあたりライラは俺と気が合うな。というか蝶多すぎだろ、全然前見えないよ…。
俺的にはライラが魔力で有耶無耶にしたように見え、世間的にはあの有名な黒竜様から加護を与えられたありがたい閉会式の挨拶の後、惚ける紬様をどうしようかとアイコンタクトしている和国と側近と俺たちの元へと興奮気味に数名の学生が駆け寄ってきた。
気を利かせて立ち去ろうとしたのだが、紬様に視線で止められる。
「紬様はこのあとお忙しいですか?」
ほら、遊びに行くんでしょ?
やっぱりと腕を組んだのだがーーー紬様が微苦笑を浮かべながら「どちらでおこないますの?」と尋ねる。
「西通りの黒竜亭ですよ、俺たちはいつもあそこです」
紬様はやっぱりと言わんばかりにひとつ頷き、護衛長をみた。護衛長が厳しい顔で首を振る。
紬さまは「そうよね」と苦く笑った後で残念そうな表情を浮かべ学友へと丁寧な断りを入れていた。
なるほどね…警備の問題だろう。紬様は自分じゃ身を守れなさそうだし…どこでも昼寝したりするパーシヴァル様や、放浪癖のあるジョシュア様とは違うよな。うん、高貴な身分もなかなかに大変そうだ。
少し寂しげな表情で去っていく友人たちの背中を眺めていた紬様だったが、慣れているのだろう、すぐにいつも通りの様子でデニスへと向き直った。
「帰りましょう」
停車場に向かって歩く人並みに乗り、夜の底を歩くデニスたち。
「デニス様は顔は笑ってるのに魔力は怒ってるみたい」
独り言と対話の中間くらいの調子で紬がこぼす。
鋭い指摘にデニスは右下にある茶色のつむじをまじまじと見てしまった。
理由が知りたそうに見上げてきた紬には悪いが、デニスを苛立たせているのは全然彼女と無関係なことで、デニスは騎士団服を着ている間は私情は持ち込まない主義なのだ。
「ーーー紬様のお手を煩わせるようなことではありませんよ」
「言ってみなきゃわからないかもよ?」
「愛と欲はとても近いところにあるんですよ…好奇心は雀を殺すかも?」
ずるい大人になったデニスはわざとこういう言い方をする。
プレートに乗って…不自然なほどに落ちた沈黙。
デニスは先ほど見た中で一番優秀そうだった学生を思い返して、話題に上げようとしたがーーー紬が今にも泣き出しそうな、叫び出しそうなほどに魔力を怒らせて近寄って来るから、押し黙るしかなかった。
デニスは触られたくなくて、プレートのきわきわまで後ずさったがーーー紬は止まらなかった。
和国の側近たちがハラハラと二人のやりとりを見守っている。
デニスが宥めるように「紬様?どうされました、プレートの上から落ちますよ?」と声をかけるもーーー
引き裂かれたように。
湿った声で紬は叫んだ。
「好き勝手言われてましたけど…あなたは汚くなんかない!」
ガバリと抱きしめられて、デニスは固まるしかなかった。
ああ、聡い子だなと思う。
デニスが触れられたくない理由なんてお見通しだったのだ。
「だんまり姫なんて言ったくせに…あなたこそ、言い返しなさいよ!」
誰よりも努力しているのでしょう?
あなたより騎士団長に相応しい人はいないのでしょう?
「綺麗な人を羨ましいって思ってた。デニス様のことも兄様のことも。ーーーでも、今日のはあんまりだわ」
豚みたいな人にあんな視線を向けられたら私だったら吐いてるわ、と紬がおぞましそうに言うのでーーーデニスは吹き出してしまった。
「あの人はブライヤーズ家のマスキラ…今は特に俺がお気に入りなんだよ。頭はめちゃくちゃキレるんだけどねえ」
怒ってるのは別の理由だしね、とひとりごちる。
自分のことじゃ大して腹は立たない。シャワーで洗い流せるレベル。
「切り捨てちゃダメなの?」
虫も殺したことがなさそうな顔でそんなことを言ってくる紬は、やはり皇族だと思う。
「優秀な人だからね。ーーー陛下にあの目を向けたら叩き斬るけど」
デニスの言葉に紬は眉を寄せた。
「あなたは自分のことを軽んじすぎてると思うけど」
デニスは肩をすくめた。「俺はそれくらいでちょうどいい」と言って。
デニスはそっと紬を元の場所に押し返す。そろそろ側近長の視線が痛いを通り越して寒い。
「姫様は俺みたいなのに引っかからないようにね」
湿った空気を誤魔化すみたいにデニスが言うと、紬は呆れたように笑った。
「…引っかかってはないわよ」
姫を離宮に送り届けたところで、騒がしかった一日が終わる…かと思いきや、デニスがプレートを向けた先は実家の逆方向。離宮通りを進みーーー最奥の、アルルハルト宮殿へとやってきた。
誰に聞かせるでもなく口をつくのはお決まりの口上。
「騎士は、その剣によって大樹の敵を打ち砕く責務を負う」
通行人で運悪く今のデニスを目にしたものがいれば、きっと悲鳴をあげていた。
「騎士とは正義の維持のための存在だからこそ、その構える剣は両刃である」
抜き身の剣を肩に担ぎ、プレートの上に仁王立ち。
赤い髪は怒りの魔素で火の粉をあげて、長い指先からは滴り落ちる赤い魔力。
ーーーうん、もう我慢しなくていいよね。
「騎士道と正義。その二つを護持せんがため…今敵を打ち払わん」
油に火を投げ込んだようにデニスのリミッターが解除された。
湧き上がってくる魔力をぶつけるみたいに注ぎ込んで、あっという間に駆け上がった三階。
コツコツと窓を叩けば、来るのがわかっていたみたく鍵のかかっていない窓が開かれた。
パーシヴァルはデニスの周りにけぶる魔素を見て心底おかしそうに瞳を細めた。
「めっちゃ燃えてんじゃん」
室内に向き直ると暗闇に向かって叫ぶパーシヴァル。
「ミシェ、やっぱデニス聞き逃してなかった!ずっと腹の底で煮詰めてたみたい!」
聞き覚えのある声で「は!?」という叫びが聞こえたが…デニスは焦れたように眉を寄せた。
「パーシヴァル様、王妃様に失礼をしたやつの名前を教えて?」
デニスは学生時代からライラが害されるとだめだった。パーティーでも王族を捕まえて、ジョシュアの魔力が荒れていた原因を聞きたくて聞きたくてどうしようもなかった。
誓いを立てた騎士の本能とでも言えばいいのか…報復せずにはいられないのだ。
一音ずつ丁寧に、パーシヴァルの唇がつげた名前。
パーティーの参加者は頭に入っている。
教えられたスペルがデニスの沸騰する脳内へと沈んでいきーーーすぐさま記憶の引き出しが開かれた。赤魔力が全身を巡って能力を補完するのがわかる。全ての感覚が研ぎ澄まされているのだ。
「滞在場所は学園の自室、得意魔法は赤。フランク王族じゃないから陛下に迷惑もかからない…ありがとう。パーシヴァル様」
赤魔法使いを怒らせてはいけない。
ーーーグレイト=ブリテンでは子供でも知ってる。
…ああいうことになるからね。
パーシヴァルは流れ星みたいに光を上げて遠ざかっていく背中を見て、肩を震わせた。
いくつになっても馬鹿だなぁと呟きつつも、取り出したのは魔力通話。
「ーーーもしもしシャロン?デニスが重症者出すから帰ってきて?…ん?今からだよ?俺は殺さないように見張っとく」
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