第4話 だいきらい

突然だが、つむぎ姫はいわゆる二枚目が苦手だった。

双子の兄がとても綺麗な顔をした人間なのだが、周囲そんな兄と姫をずっと比べてきたのだ。


「双子なのに似ていませんねえ」


そんな言葉の後ろに「兄はあんなに綺麗な顔なのに紬は不細工だ」と続くことを彼女はよく知っていた。

実際に口に出されることもあるので被害妄想ではない。綺麗どころの多い皇族は美醜には非常に厳しかった。


紬の偏見かもしれないが、綺麗な顔の人間は自信のある性格なことが多い。

言い方は難しいがーーー彼らは言葉が強いのだ。


嫌いなものははっきりと嫌いと言うし。

好きなものは遠慮なく自分のものにしようとする。


何も悪いことではない。

ただ、ずっと兄への引け目を感じながら生きてきた紬は綺麗な顔の人間が苦手だった。


海を越えた留学の時も初めに話が出たのは兄だった。


「俺は危ない外国になんかいきたくない」


彼ははっきり拒絶した。

それでも竜大国と皇族が繋がりがないのはまずい。

次に白羽の矢が立ったのは紬だった。


「お父様が言うのであれば喜んで」


紬は実際にグレイト=ブリテンへ行ってみたかった。

彼女は学ぶことが好きだった。勉学、魔法、馬術、弓道、日本舞踊ーーー教えられたことはなんでもやった。嫌いなことは一切やらない兄とは対照的に。


「お前よく行くよなあ。なんかごめんな、俺の代わりに行くことになって…」


「お前の代わりではなく私は留学へ行きたいのだ」ーーーと言い返せないのが紬だった。

兄の決めつけに対し、紬は耐え忍んでしまう。だって兄にはなんの悪気もないのだ。紬は慈悲深い兄に向かって微笑みを返す。


これが紬の日常だった。


二枚目と関わり合いたくない紬の願いとは裏腹に。

紬の海外生活で付けられた世話人は大層な美形だった。

デニス=ブライヤーズと名乗った彼だが、初対面の印象は折目正しい好青年。

最年少で騎士団長まで上り詰めた逸材らしい。


ーーー自分とは違う光の人だ。


真っ赤な髪と瞳も合わさりーーーいつもゆったりと笑っている彼がおひさまみたいだと紬は思った。日陰者が触るとやけどするぜ的な意味で。

彼女の乳母は何やら勘違いしていたようだがーーー紬はデニスのことが苦手だった。


デニスは気立ての優しい人だった。だから紬も彼の人柄に応えようと頑張っていた。

平日は学園へ通い、休日はデニスに連れられて王宮の様々な施設を見て回った。

皇族らしくお淑やかに、なぜか言い寄ってくる学生や王宮の人にも笑みを絶やさずーーー萎える気持ちに喝を入れ、異国の地で懸命に努力していた。

デニスが苦手だという後ろめたさを必死に隠して。


ーーーどこかやましい気持ちを抱えた日々が一ヶ月ほど続き…学園のない休日に、紬は心底ベットから出たくないと思った。

しかし…そこで頑張ってしまうのが紬だ。

気が滅入りながらもいつも通りに身支度を整えてデニスを待った。


九時ぴったりにデニスは現れーーー紬を見て笑みを消した。

そして当たり前のように額と首元に触れてきた。


突然のデニスの暴挙に紬は固まった。

護衛が慌てて駆け寄ってくる。

青ざめて震える紬を見て…デニスはハッとしたように手を離す。

決まりが悪そうに謝罪の言葉を述べる。


「具合悪いくせにすぐ隠すやつの世話をずっとしてきたものでつい…高貴な方にすることじゃないですね」


デニスは首を垂れて紬と護衛たちに謝った。

そして…心底、紬の身を案じるように提案してきた。


「顔色が悪いですし脈も早いーーー今日はお休みにしましょう」


紬が思い煩っている間にデニスは帰ってしまった。

後から離宮には見舞いの品と疲労によく効く魔法薬が届けられた。


デニスの濃やかな対応には側近長である乳母も感心していたほどだ。


「紬様は顔色を隠すのが上手いのによく気づかれましたね…食べ物も食の細い紬様によく配慮されているし、本当に気の利く方だこと」


デニスは実は「あの方」の学生時代のせいで看病慣れしすぎているだけなのだが…そんなことを知らない東の国の面々は彼の親切を喜んでいた。


しかし紬はと言えば、側近たちの態度とは真逆…デニスができた人間であればあるほどに自分の醜さが浮き彫りになるように感じていた。


ーーーデニス様、本当に太陽みたい…焼かれる、勘弁して。


紬がデニスへの劣等感を加速させる中で。

とある休日、ついに耐えきれなくなった紬はデニスに別行動をお願いした。

デニスからはあっさり了承の返事。


「離宮区域からは出ないでくださいね…そこから出たら俺がついて行っちゃいますよ」


おどけたように言った後、デニスはあっという間にいなくなった。

むしろ喜んでなかったか…?


そこでようやく紬は気がついた。デニスが騎士団員としての休みを紬に合わせていたのではないかという事実にだ。


ーーー裏で愚痴とか言われてたりして…いや、私じゃ無いんだからそんなわけないか。


紬はネガティブな想像を振り払おうと散歩でもすることにした。


側近を引き連れ、人目を避けて歩くうちにたどりついた見事な薔薇園。

黒薔薇のアーチをくぐり抜け、迷路のような庭園を散策していた時だった。


遠くから、若いフィメルの「なんで私じゃダメなんですか」となじる声が聞こえてきた。


「ーーー遊びでもいいの、相手にしてくれるなら」


縋るような声。紬だったらきっと頷いてしまう。

しかし、


「いや、俺がそういうの嫌いなの知ってるでしょ」


聞き覚えのある声に紬は固まった。

いや、お前かいと内心突っ込む。

大混乱の紬は側近たちが引き止めるのにも気づかずに歩を進めてしまう。

狼狽えながら角を曲がった紬は、急に踵を返し、脱兎の如く駆け出した。


「紬様!?」


紬の目に飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。

薔薇に囲まれた庭園で外からは見えないちょっとした隠れ家のような場所で。


壁に両手を縫いとめられ、強引に口づけを受ける小柄な女性。

覆い被さった方の男性は背を向けていた。

顔は見えなかった。それでもあれほど綺麗な赤い髪をした男性を紬は一人しか見たことがなかった。


紬は心臓が壊れるかと思った。

胸に手を当て必死に呼吸を整える。


自分の知る普段の彼と…先ほど目にした光景が結びつかない。


ーーー口づけしてたわ。…それに背を向けた瞬間に聞こえた、ひどく馬鹿にしたような声。


「これで懲りた?ーーーお前婚約者いるだろ。俺の後ろ追いかけて…そんな顔してるってどういう神経?」


ーーー普通にないわ。


そう吐き捨てた声があまりに冷たくてーーー自分に向けられたわけでもないのに、紬の脳裏にこびりついて離れない。


「忌々しいほどにいい声だったわ…」



翌日。

学園がなかった紬はーーー仁王立ちでデニスを出迎えた。

「人目も憚らずにああいうことをするな」と物申してやらなければ気が済まなかった。


リンリロランラン♪


玄関の魔法陣が鳴り、扉を開ければいつも通りの美貌の騎士が立っていた。

紬の様子がおかしいことに気がついているだろうに…デニスはいけしゃあしゃあと笑いかけてくる。


「おはようございます、熱烈歓迎…ですか?」


紬は猛烈に腹が立った。

自分はあれほど動揺したのにこの男は…!


思わず言ってしまった。脈略もなく。


「ーーーこの最低男!」


言ってから紬はハッとした。

みるみる青ざめる彼女。

対するデニスはおっとりと首など傾げてみせる。


「姫様ーーー覗き見はよく無いですよ?」


何を言われたのか分からなくて、紬はぽかんと口を開けてしまった。


そんな彼女を見てーーーデニスはやや呆れ顔。


「姫様、何を想像しているのか知りませんがーーー」


不躾に顔を寄せてくるデニス。ほんのりと香るのはどこの香水だろう。


「ヘンタイですね、姫様」


ふらりとかしいだ紬を支えてーーーデニスがふてぶてしく笑った。


ーーーこの男!!ほんとに!!


昨日も紬がいるとわかって続けていたのだ。

予想以上に性格が悪そうである。


真っ赤になって震える紬をせせら笑うデニス。

そんな二人の距離感にーーー護衛長が怒ったように近寄ってきた。

足音荒く近寄ってきた彼を見たデニスはーーー体を起こしてスッと表情を消した。


護衛長がデニスをそしろうと口を開く前にーーー切長の瞳を細め、冷たく言い放つ。


「あなたたちがきちんと刺客に対応してくれていれば俺が昨日、姫がくれた休日にわざわざあのあたりをうろうろする必要はなかった」


デニスの言葉にーーー護衛長は怒りから一転。さっと顔色を無くした。


「刺客…?」


呆然と呟く彼に向かってデニスがわざとらしく肩をすくめる。


「やっぱ気付いてなかったか…まあプロイセンの手練れだったしな」


若干の嘲りを含んだデニスの言葉に護衛長が赤くなった。

他の護衛たちは顔を見合わせ口々に言い合っている。デニスを疑う声も聞こえたがーーー護衛長は知っていた。昨日王宮の牢に入れられた者がいたことを。まさか刺客だとは思わなかったが。


「あの薔薇の庭園に入ってくるなんて最悪だよ。三つ曲がり角を間違えてたら鉢合わせてた。まあそうしたら俺が出張るけどさ、陛下が泳がせてたんだから余計なことさせないでよ」


容赦なく護衛の未熟さを述べ立てるデニス。

「そもそも、怒るんなら近寄ってこなければいいでしょう?」と最後に正論を投げつけられ…姫の護衛長はすごすごと退散していった。


静まり返った東の国の人々を見てーーーデニスは急に居た堪れなくなったらしい。

決まり悪そうに剣に触れた。


「今日は帰っていいっすか?」


返事を待たずに背を向けた大きな背中が若干丸まっているのを見て、紬たちは思わず顔を見合わせた。

玄関の魔法陣が唸りを上げて黒のマントが見えなくなる。


「なんか、意外な一面でしたね?」


護衛長がその場をまとめた。紬たちは大人しく離宮の中で過ごした。


デニスが完璧でもなんでもないとわかった後で。(完璧どころか最低の部類だった)

紬は学園の友人にデニスのことを聞いてみた。

主に女性関係について。騎士としての実力は騎士団に顔を出している護衛たちから嫌というほど聞かされていたので。


友人たちの反応は二つに分かれた。

熱狂的なファンか…わかりやすいアンチ。


紬の一番の友人は熱狂的なファンの方だった。

紬の休日の護衛がデニスだと知って「今度遊びに行くわ」と血走った目で詰め寄られた。


「恋人でもないフィメルに、昼間から薔薇園で口づけしてたけど、軽薄男のどこがいいの?」


心底不思議そうな顔をした紬に対し、友人は芝居がかった仕草でチッチッと指を振ってきた。


「紬はお子ちゃまなんだから。あの色気大サービスなところがいいんじゃないの。ああ…お金払ってでも遊ばれたいわ」


「なんで私って未成年なのかしら」と頭を抱える友人。

成人したら何をするつもりなのか、いや、聞きたくはないが。


紬の胡乱げな瞳に全く臆することなく、友人の独白は続く。


「大体ね、デニス様に近づくフィメルはみんな本命になれないってわかってんだから同罪なのよ」


うっとりとデニスの容姿を称賛する友人に紬は待ったをかける。


「待って、デニス様って心に決めた方がいるの?それなのにあんなことをしてるの?」


信じられない…と軽蔑したように紬が吐き捨てる。

しかし、紬の言葉を聞いた友人は自分が失恋したかのように哀しい顔になった。


「紬…軽率な言葉は人を傷つけるのよ。ーーー本当は他国の人間に話さないのが暗黙のルールなんだけど、紬はデニス様と関わり合いそうだから教えておくわ」


「あの方を傷つけたら友人やめるわ」ーーー真顔で言い切った彼女の剣幕に紬は納得いかなかったが、なんとか口をつぐむ。


話を聞くうちに。

紬は自分が一体何をみていたんだろうと衝撃を受けた。


何が太陽だ。

何が完璧で苦労していなさそうだ。


紬は文句を言いたかった。

だってわかるわけないじゃないか。


友人が話し終えた時、紬の瞳からは涙が溢れていた。


「デニス様の初恋の人は五年前に黒竜様の加護と引き換えに命を落としたーーー?」


今は消えてしまった彼女とデニスの物語。

二人を知る学生たちはこぞって後輩に伝えたのだそうだ。黒竜復活の栄光の影に隠された二人の学生の悲しい恋のお話を。


紬が今いるアメリアイアハート魔法学園には数々の伝説が残されている。

「色なし」を理由にいじめられていた初恋の人を守るためにデニスが上級生を次々とのして行った話とか。

一緒に飛び級するために優秀な成績を収め続けた話とか。

余命いくばくもないと知らされていた彼女への愛を示すために、パーシヴァルと戦った話とか。


「紬も今度貸すから観たほうがいいわよ。六年前の最強位決定戦は、まじで感動するから」


「伝説の最強位戦」が六年経った今でも裏で販売されていると知った時、紬は女正直呆れたのだがーーー実際に映像を見て、震えてしまった。


デニスがかっこいいのは友人の話からも想像できていたがーーー紬が食い入るように見てしまったのは相手の初恋の学生。


正直びっくりした。

あのデニスの初恋だというから絶対美少女だと思ったのに、「色なし」であること以外は、驚くほど平凡な生徒だった。

銀色の髪に金色の瞳。折れそうな手足に青白い肌、なるほど病弱そうだ。


でも、試合を見てその印象が変わった。

とんでもない手練れだった。正確には彼女の使役する魔獣が強いのだがーーーこの魔獣を使役できること自体が非凡だった。


「色なし」というハンデを全く感じさせず、魔法陣を駆使して対戦相手と互角に戦うその生徒は眩しかった。

この生徒を見て平凡だと思ったなんて、本当に自分はデニスと違って見る目がない。


この映像の時点ですでに余命残りわずかだったらしい「色なし」の学生は、めちゃくちゃ弱そうだったのに、あの最強位戦で入賞していたのだ。


魔法使いは才能が全て、「頑張れば報われる」なんて夢物語だと思ってた。

この銀髪の学生はどうしてここまで頑張れたのか?

親密そうに笑い合う二人の姿を見るに…デニスの献身的な支えがあったのは間違いない。


「さすがはあのデニス様が惚れた方よね〜」


紬が何度縋っても学生の名前は教えてもらえなかった。

その人の名を口にすることはブリテン魔法使いにとっての禁忌らしい。「黒竜様を裏切れない」と言われてしまえば紬になす術はない。



「これはずるいよ〜、最低男でも許したくなっちゃうじゃんか」


紬が不貞腐れる横で、最古参の使用人であるばあやが号泣している。

紬は結局例のブツを購入した。持ち帰ったDVDをめざとく見つけた使用人に問い詰められ、怪しいものではないと証明するために全員で鑑賞する流れになったのだ。


ちなみに紬は止めた。だってこれを見たらデニスの好感度が爆上がりしてしまう。


友人の談ではデニスのアンチはフィメルに多く、大半はデニスに振られた関係者らしい。ーーー最低男だというのを忘れかけていた紬は頭を抱えた。何人に手を出しているのか。


紬の洗脳に無事成功した友人は最後にこんな意味深なことを教えてくれた。

人目をはばかるように告げられた内容に紬は眉を顰める。


「デニス様が高貴な方の『愛人』だって噂が流れてるみたいなの。ーーー誰の愛人か分かったら教えて」




「護衛対象の側近の態度が急変したから焦ったわ。でも、例のDVDのこと聞かされて、ついでに騎士団の若手に俺の言う事聞く奴多いのも納得できた」


騎士団長として世間に顔が知られるようになってからよく利用している居酒屋の個室でちびちびと酒を飲みながらーーーデニスは隣の同僚に嫌味を言われていた。


「東の姫様の護衛とかいいなあ。俺も可愛い子の護衛がしたいなあ。ーーー具体的にはミシェーラちゃんとか」


「ミシェーラちゃんかあ。隊長クラスになればいけるんじゃね?あ、でもーーー」


「お前見た目微妙だから王族の護衛は無理かも」と言い放ったデニスを友人が殴りつける。デニスはカラカラと笑って拳を受け止めていた。


「ていうか、皇族の子にDVD見せたのやばくないか?惚れられたりしたら引き抜きかけられるぞ」


皇族の誘いって断れるのか?と心配する友人に、デニスは「大丈夫だよ」と目を細める。


「真面目な子だし、俺のクズっぷりも知ってるし、あの子に限ってないよ」


ーーーこの発言、デニスは100%本気で言っている。しかし、付き合いの長い友人はデニス以上に彼の魅力をよく理解していた。


「お前よくそんなことが言えんな?今までの自分の行動を省みてみろよ?」


ジトリとした視線を受けーーーデニスは何もしてないと首を振る。コップの氷をカラカラと鳴らして、


「あの子は平気だって。うそだったら一番高い酒奢ってやんよ」


「ドンペリ確保!」と友人がガッツポーズしている。デニスの話など聞いちゃいない。


ーーーまあ、確かに最近随分態度が軟化はしてきたな。


デニスは自分がモテる自覚があった。だから独身には自分から近寄らないようにしている。

騎士団長という立場上、仕事で関わるフィメルも多いのが悩みの種だ。

今回はシャロンが余計なことをパーシヴァルに進言し、なぜか全面採用されてしまったのだ。予定では、紬の護衛は別の騎士だったのに。


「惚れる惚れないは置いておいて…今回の任務は俺も予想外だわ。パーシヴァル様に『お前明日から姫の護衛な!』って急に言われてーーー断ったらジョシュア様がすげえ睨んでくるの。あの人パーシヴァル様のこと好きすぎだろ!拒否権くらい持たせて!」


デニスが言うパーシヴァル様とは王弟殿下。ジョシュア様とは国王本人のことだ。

同僚がキョトンとした顔になる。


「お前あんな可憐な姫の護衛嫌々やってんの?」


デニスは口をへの字に曲げた。

友人はやれやれと首を振る。

そうだった、この哀れなマスキラの好みは「銀髪に金色の瞳」なのだ。姫はどちらでもない。


「護衛の時間中、気になってしょうがねえよ」


デニスの同僚は黙って酒を差し出した。

水ではない、酒だ。

彼は知っていたのだ、デニスには酒が入らないと吐き出せない本音があることを。


「陛下は最強だし、そばにいんなら平気だろ」


同僚の呟きにデニスが大きくうなずく。


「でも陛下だって休まなきゃ。あの人に潰れられたらこの国は終わるよ」


デニスの長身が振り子のように揺れ始めた。

溢れかけたグラスを同僚はそっと避ける。

そろそろか…?と内心思いながら。


デニスは空のコップを掴んで飲み干す動作をした。

飲めていない。しかし、ぷはあなどと言う。相当酔っている様子だ。


デニスは赤くなっている顔でーーーパタリと机に突っ伏した。

そして、切なさを含んだ声で漏らす。最近考えちゃうんだ、と。


「汚れた俺がどっか行ったほうが、ライラは幸せなのかなあ」


寂しげな呟き。

普段のデニスからは考えられないほどに弱り切った姿。

「汚れた」などと自分を卑下するのは珍しい。ずいぶん追い詰められていたようだと遅ればせながら気づく。


それを吐き出せる場がーーーデニスは偉くなりすぎたために、あまりにも少ない。

わかっているからこそ、同僚はデニスの誘いを絶対に断ることはしないのだ。


ただし、優しい言葉はかけないが。


「ーーー離れた方がお互いのためかもな。陛下との仲は順調そうだし」


同僚がわざと意地悪に言って見せるとーーーデニスは突如、魔力を解き放った。

視界が赤の魔力で埋め尽くされる。赤の暴力に晒された可哀想な同僚は一瞬で紙より白くなった。

グエッという呻き声をあげた同僚の手から落ちたグラスをデニスが素早くキャッチした。

中身を一滴もこぼすことなく机に戻す。

そしてーーーパッと魔力を霧散させた。

同僚がむせるのにも構わず、再び項垂れる。

涙目で胸のあたりを擦りながら再び酒の入ったグラスを持った同僚は呆れたようにデニスを見る。最後まで聞けよと。


「ただ、お前がいなくなると…早死にするかもとは思う。話聞いてる限り、あの方もお前に依存しきってるし」


同僚の言葉にデニスの耳が赤くなった。

ーーー喜んでいるようだ。擦れているんだかピュアなんだかわからない男である。


突っ伏したままーーーデニスは呻く。


「あいつなんて大嫌いだ」


デニスの言葉を聞いて同僚が吹き出す。

始まった、と思う。


「朝おはようって起きた時に髪がぴょこんって跳ねてるとこも嫌いだし」


デニスの同僚は強い酒とつまみを頼んだ。ここからは自分も酔ってないとやってられないのだ。


「ジョシュア様に怒られるほど飛ぶ練習して、俺に秘密にしてって頼み込んでくるのも嫌いだし」


「ーーーおいおい、やめてくれよ。あぶねえことはマジで止めろよ?」


同僚が思わず突っ込む。

デニスも不満気に「全員がそう言ってるのに…隠れて練習しやがる」と呟いた。本気で怒っている様子だ。ーーー瞳は甘いが。


「人一番責任感が強い奴だからーーーできることを一つでも増やそうって必死なの。ほんとばか」


こっちの気も知らないで。そう言ってデニスはーーー同僚のつまみに横から手を出し、鷲掴みにして口に放り込んだ。

一瞬で無くなったた貝ひもに同僚が悲鳴をあげる。


「お前、自分で頼めよ!」


「えー、俺が頼んだよ?」


「ふざけんなこの酔っ払いが…って、ここでは明るくしなくていいから。空気抜いとけ、お前こそ頑張りすぎ。爆発すんぞ」


口では文句を言いつつも黙って追加のつまみをーーーデニスの分まで頼んでくれる同僚に向けてデニスがへにゃりと笑う。


「…もっと嫌いなとこ言っていいの?」


同僚は渋い顔をしながらも頷いた。


「俺らの騎士団長が潰れたら困るからなーーー心配すんな、俺もミシェーラちゃんの話をする」


「人妻大好き同盟だな!」とデニスがふざけて抱きつこうとすると、同僚は真顔で「一秒50ポンな」と言った。


デニスがむくれる。


「あいつはお金取らない!むしろ向こうから抱きついてくるし…あの悪魔め!嫌いだ!」


恨めし気に貝ひもを食いちぎるデニスを見て同僚が半目になる。


「なんかお前も可哀想な奴だよな。ーーーしかもあの方、そこまで鈍くねえだろ。確信犯」


同僚の言葉にデニスが悔し気に呟く。


「俺が他に行かないように誘惑してるらしい…ふざけんな人妻だろ!旦那も公認するな!横で頷くんじゃねえ!」


デニスの嫌いだ!という叫びは夜明けまで続いた。

寝落ちしてしまったデニス。

同僚は彼の尻ポケットからお金を抜いて全額払っていた。

その時チラリと見えてしまった写真にーーークシャリと顔を歪ませる。



「あの頃が一番楽しかったかもな」















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