第30話 茉利の出張伝言
城崎を朝一番に出た茉利は、上京して二条駅で降りた。夏が過ぎようとする日差しの中で、女将さんに頼まれて社長の波多野さんに会った。改札を抜けると社長は待っていてくれた。半年間で何も音信はなかったが、何も訊くなと女将さんから言われていた。そう言われても顔には出てしまう。それを波多野が問うと、あっさりと口止めされていると告げた。
「そうかじゃあそこの喫茶店で家のやつから頼まれた伝言だけを聞こう」
「その前に社長はそんな冷たい人じゃあないと思ってたんですが」
なるほどそう来るか、と苦笑いして茉莉が好きそうな洋菓子がメインの、喫茶ルームがある店に誘った。テーブル席で一通り茉莉ちゃんの好きな物を注文し終えると、
「どうしてそう思う」
と茉利の食い気の前に早速切り出した。
「だって不仲でもないのに旅館を出て仕舞うなんてどうかしてる」
別れるのが約束って云うなら、どうして一緒になったのか、それが解らないらしい。
「じゃあそのまま守らなくて良いのか」
「内容によるけれどそもそもそんな前提で一緒になるのが
「だから添え遂げられない愛とは知らずに愛したんだ」
「そんなのずるいでしょう」
「そうだなあ今思えば、でも一緒になる前にそれ以上の人が見つかればどうする。ひとつの愛を捨てればそれで俺の愛の基準があやふやだと思われたくなかったからさ」
「それは相手にも依るんじゃないの」
「だから一波乱あっても最後にはそこへ落ち着ける理解ある人を求めるけれどね」
ハイ解りましたと云う処に真実は見えない。本当に愛していればとことん張り合って、双方の納得ゆく解決策を模索するのが真の愛の姿だろう。
「でも
「人を好きになろうとする気持ちは誰にも止められないそれを実行に移さなければいいと君は言うけれど……。そしてそれが道徳だと云うがそれが本当の恋だろうか?」
「本当の恋? ピュアな恋なんて何なの」
「この人と一緒に生きると決めたんだ五年前に、その前に褪せて仕舞った人と交わした約束も守りたい。亜紀とのピュアな恋を守るために」
「ますます複雑すぎて茉莉には理解できないよー」
「ウィスキーと一緒だピュアなウィスキーは熟成期間を経ると喉に心地良く心を酔わせるてくれる、ピュアな恋もほどよい信頼と言う熟成期間を経て達成される」
「でもピュアだと決める基準はどこにあるの」
茉莉はケーキを頬張りながらも難しい質問する。耳学のこの子の基準はどこにあるんだろう。
恋は哲学じゃない。理屈でなく感情の世界だ。相手の気持ちに寄り添えば軽い嘘も飛び出すだろう。でもそれも真実に近付ければ笑い話で済まされる。
「でもその基準はどこなんだろう。それは茉利ちゃんが今までに出会った様々な人から導き出されても世界はもっと広い、もっと色んな考えの人間が居るんだ。それに照らし合わせれば俺はとやかく言われない、いや遙かに人情味が有るとは思わないか」
恋は考えるもんじゃない、心が決めるものなのかと、茉莉の頭の中では堂々巡りしているようだ。
「それで家のやつはなんて言っていたんだ」
「相手が心変わりしていてもあなたの帰る家はありませんと言われた」
「あいつも俺のピュアな恋の信奉者か」
ウッっと茉莉は〝シビアな恋〟と声を詰まらせた。
その足で茉莉は澤木興信所一階の深雪加奈の店を訪ねた。
オー、久しぶりと言う加奈に、茉莉はこの前会ったじゃあないの、としらけ気味に返された。茉莉は女将さんから波多野と柳原亜紀に伝言を頼まれていた。波多野の次は柳原亜紀だがこっちは認識がなく加奈を頼って来た。
「加奈はこことこの二階と掛け持ちなの」
「ここは実家で二階がバイト」
で茉莉の用件を聞くと、
「あの人の居場所は手に取るように分かるから」
お安いご用だと言った。
その前にわざわざ城崎から出向いてきたのはそれだけではないでしょう。と加奈にしつこく突っ込まれて波多野に会ったと伝えた。そうかじゃああたしにも会わせて欲しいと加奈は更にしつこく頼み込んだ。これで早坂をすっぱ抜いて、澤木にも一目置かれると加奈はほくそ笑んだ。
加奈と茉莉は、大阪の御堂筋へ向かって、河原町から特急電車に乗った。始発駅で二人用の席に座った。
「そこに亜紀さんは居るんですか」
「うちのライバル会社で早坂探偵事務所って云うのがあるんだけど今は共同戦線を張って亜紀さんを追って、今は奈良の伯父さん所へ五歳ぐらいの女の子と一緒なの」
「まさかその子は柳原亜紀さんの子供じゃあないでしょうね」
「ほ~う、ピンポーンと云うか当たり」
「それって誰の子まさか」
「ピンポーンまたまた当たり」
「それがピュアの愛なの?」
「それってなんなの」
「それ社長、あ、波多野さんですが、なんか愛についてお説教されたけど子供が居るって、それずるくない?」
「波多野さんとどんな話をしたかうちは知らんけど別に愛の証しだからいいんじゃない」
「でも同時進行だよ」
言ってる意味が解らんと加奈が云うと、島崎旅館の跡取り息子と柳原亜紀さんの子供が同じ歳で、どうしてピュアな愛を語れるのかと云う事らしい。
「そこが微妙な処なの内の調査では同じ五歳でも半年違うの。多分旅館の跡取り息子はもうすぐ六歳になるんじゃないの、柳原亜紀さんの子供はこの春に五歳になったところなの」
「それがどうだって云うの」
「茉利の言葉を借りればよりピュウな愛を求めた結果だよ。だから五年待っててと云うことなんらしい」
波多野が柳原亜紀と恋に落ちたときには嶋崎は妊娠していた。これを波多野は愛の駆け引きをして、乗り切ろうとした。その成果が今結審しょうとしていた。そこで多くの人の思惑がここで交差していた。
「それに茉利ちゃんも巻き込まれているんだよ」
「加奈ちゃんもだよ」
「あたいは仕事だよでもこれはやり甲斐のある仕事だよ」
波多野の女性論が面白いと云うか、女性に対する細かい心遣いに興味を覚えた。そこが普通の男と違った。どっちも捨てずに双方が成り立つ処に救いがあった。
波多野が亜紀を取ったのは、永遠に愛せるのは亜紀であって、君じゃない。でも君の愛にも尽くしたいと、それを城崎で実行した。それは上杉鷹山と田沼意次の違いだろう。此の二人は見事に経済を立て直した。でも取り残された人々を救う手立てをした者としなかった者で、名君と悪徳業者に評価が大きく分かれた。真実の愛を求めれば求めるほど、その理想からはみ出る女性が出て来ても彼は見捨てなかった。そこに究極のピュアな愛があったのではないかと加奈は結論付けた。
「波多野さんにそう丸め込まれて茉利ちゃんは分からんなりにも頷いたんだ」
ホテルに着くと直ぐに早坂が待機していた。此の要領の良さに茉利は実に感心した。その生活環境のずれに「スムーズに事を運ばないと此の仕事は勤まらないよ」と加奈に言われた。
亜紀の所在を確認すると早坂は足早に去った。此処の職場で昔一緒だった人と話しているからと、茉利をロビーに置いて加奈は二階へ様子を見に行った。
茉利にすれば同じ宿泊施設でも城崎とは随分と違った。第一に人の流れが速かった。立ち止まる人は稀で、平日でも時間を惜しむように、忙しなく行き過ぎる人の流れに酔いそうなった。そこで加奈がやっと彼女を連れて来た。彼女が柳原亜紀さんなのかと思うまもなく加奈から紹介された。
波多野と一緒に仕事をしていた。と聞いて亜紀はあの人がやっと身近に感じられるようになったと安堵した。
三人はラウンジでパフェを注文した。
「茉利ちゃん今朝波多野さんに会って来たんだねぇ」
亜紀の驚きは尋常じゃあなかった。無理もない長すぎたんだ。
「それは確かなの、で、何処で会ったの?」
「二条駅だよ」
「元気そうだったって」
「茉利ちゃんそうなの」
「社長は元気です」
「社長?」
「波多野さんです旅館の社長ですから城崎ではみんなからそう呼ばれています」
「あの人は城崎に居た五年で地位と名誉を築いたのね、それをアッサリ捨てられるのかしら」
「それは大丈夫だよ何より茉利ちゃんは社長から亜紀さんへの伝言も託されているから」
それは明日、最初のデートの場所であの日と同じ時間で待っていると伝言された。ちなみに女将さんから亜紀への伝言は貴方次第だった。
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