第3話 Kスポーツジム その3
奈穂は仕切り屋タイプの冷静で頭の良い女だった。一方、裕子は口数の少ない他人の言いなりになるタイプの女だった。
奈穂は以前から、自分の復讐のために裕子を利用することを考えていた。
今そのチャンスがやってきたのである。
受付の後ろにある事務室に裕子を連れて行ったあと、奈穂は切り出した。
「内線は嘘。ねえ、大友さん。貴女さっき、神野さんにお尻触られていたでしょう」
「………」
「あの人、痴漢よ。受付でも、よく私や他の若い娘がキーを渡すとき手を触られているのよ。一度、本店長に相談しようと思ってたの。いい機会だわ。その前に貴女にも確認しておきたい。初め、腹筋台に行ったでしょう?」
奈穂は一気にまくし立てた。
「ええ」
「そのとき、触られなかった?」
「背中を少し触られたけど………」
「腹筋台には神野さんから誘ってきたん?」
「腹筋ができないって言うから、私から………」
「さっき前屈してた時は?」
「あれは神野さんから……。ランナーのストレッチングだけど、自分は腰が固くてできないからやってみてくれって言うから」
「通路から見てたけど、お尻思いっきり触られていたじゃない」
奈穂にとって、裕子を手玉に取るのは朝飯前だ。
「あの人、女の人に触る癖があるのよ。スタジオでもよく触っているし、受付でも私たちよく手を握られたりするのよ」
奈穂は更に続けた。
「私が証言するから本店長にはっきり言ったらいいわ。みんなが迷惑してるんで退会させてもらわないと。いいわ、私が本店長に電話してあげる」
(ついに、復讐の時がやってきた)
神野が会費の値上げやKスポーツジムへの不満に切れて退会する意向であることを奈穂は知っていた。
(自分の意志通りの退会になどさせるものか。お前は痴漢としてKスポーツジムを追われ、犯罪人として警察に思いっきりしぼられるのだ)
神野の退会の意向を知って殆ど諦めかかっていた復讐のチャンスの到来に、奈穂は色めき立っていた。
(千載一隅のチャンス! 逃してなるものか!)
奈穂は勢い込んで電話器を取った。その後、裕子を連れて本店に向かった。
2日後、ストレッチング中に神野は本店長に呼びかけられた。
「プライベートな話があるので会議室まで来て欲しい」
(日頃の自分のクレームに対するクレームか? それとも、経営のずさんさやサービスの低下の大っぴらな指摘に対するクレームか?)
本店長の話は、奈穂の復讐心など全く気付かぬ神野にはただただ驚きであった。
自分がかって他のランナーから教えられた有効なストレッチングを、同じように他のアスリート仲間に教えて喜ばれていたのに、同じことをしてセクハラ扱いされるとは!
神野は本店長との激しいやり取りの中で、3つの可能性が頭をよぎった。
⑴ 大友裕子が極度な性的過敏症
⑵ 内線の連絡をしてきた受付の中年婦人の日頃からの嫉妬
⑶ 自分のKスポーツジムに対するクレームに対する逆恨み
神野はこの時はまだ、この復讐劇が野々宮奈穂によるものだとは全く気付いてはいなかった。
この日は、大友裕子本人にもう一度確認してから警察に被害届けを出すかどうか決めるということで終わった。
数日後何の予告もなく、いきなり古いタイプのマシンが無くなっていた。とりわけステアマスターというクライミングマシンが無くなったのは神野には痛手だった。トレイルランナーである彼にはバーティカルレース(登山レース)のトレーニングに欠かせない存在だったのである。
もはやKスポーツジムには何の魅力も未練もない。
彼は躊躇なく10月限りでの退会を決めた。
その後、Kスポーツジムからは何の連絡もなかった。
平穏に10月は過ぎていった。
神野はKスポーツジムを退会した。
気持ちはGスポーツジムに完全に切り替わった。
この時はまだ、野々宮奈穂の復讐劇が着々と進行していることを神野は知る由もなかった。
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