第28話◇明暗
その日、ディルは珍しく職員室で悩んでいた。
大抵は寝ているので、他の教官たちから物珍しそうな目で見られている。
「ディル先輩! 何かお悩みで!?」
向かいに座るオーガの教官が、元気よく立ち上がって尋ねてくる。
アレテーたちのクラスが初めて
「……あぁ、悩んでるよ。いつの間にか熱血くんが俺のことを先輩と呼んでいるのはなんでなんだろうってな」
「あれ? ダメでした? モネ教官もそう呼んでいるので、つい!」
「ダメとか以前に不気味なんだよ」
「オレ、ディル先輩のこと誤解してしました! アレテーさんでしたか、失敗したあの子のことも見捨てず、彼女の能力と心に合った方法を教授し、ダンジョンでの生き方を指導する! まさに教官の鑑です!」
「まずお前ね、声が大きいんだよ。正面にいる相手に叫ぶ必要あるか?」
「はっ、すみません! 気をつけます!」
「直ってねぇし」
「オレ、先輩には感謝してるんです! アレテーさんがモンスターを撃退した時、本当ならオレがすぐに反応して氷結で捕まえるべきだったんです! でも予想外の出来事に一瞬固まってしまい……!」
「モネのおかげで、なんともなかっただろ」
「そうなんですが、そこではなく! 先輩、オレを庇ってくれたじゃないですか!」
「あ?」
そういえば、と思い出す。
モンスターが逃げ出すことを予期しながら、生徒たちの反応を試したくて見逃したことを。
そして、そのことをさり気なく隠すべく、オーガの教官の責任ではなく教官全員のミスだと発言し、そう印象づけたことを。
それを、彼はディルが自分を庇ったと思っているようだ。
「……まぁ、気にするな。あれはお前の所為じゃない」
「いえ、モンスターを捕らえておくのはオレの役目だったので、一旦解いたにしても逃げたならオレの責任です! でも、ありがとうございます!」
ディルは途中から耳を塞いでいたが、それでも彼の声は鼓膜を揺らした。
「分かったから、静かにしてくれ」
熱血オーガが二、三言発言したのちに着席したのを見て、ディルは耳から手を離す。
「オウガくんは今日も元気がいいわね」
ディルの右隣の席には、人妻アルラウネが座っている。
この女性も、引率の一人だった。
――熱血くん、オウガって名前なのか。オーガのオウガ……。
「うるさくて敵わん」
「いつもはそれでも熟睡しているでしょう? 今日はどんな悩み事?」
すすす、と彼女が身を寄せてくる。
甘い蜜の匂いが香り、彼女の体温が身近に感じられた。
「あんたもか……なんだって急に俺に構うんだ」
正直、放っておいてほしい。
ディルは人付き合いが苦手なのだ。
「最近のディルくん、良い感じだもの。みんな気になってるのよ」
彼女の緑の長髪がうねり、ディルの胸もとをつつつとなぞる。
「……友好種の捕食は法律で禁じられてるぞ」
「もうっ、意地悪ね。食欲とは別の興味よ」
かつて、アルラウネはその色香で人間の男を惑わし、捕食すると言われていた。
現代では、友好を結んだ種族を傷つける行為は、人が人に対するものと同じように裁かれる。
「ディルセンパイは、実技試験のことで悩んでいるんですよ」
いつの間にか、背後にモネが立っていた。
ディルの胸をくすぐるように撫でていたアルラウネの髪を、モネがわしづかみにする。
「痛っ」
「お戯れもほどほどに。旦那様が悲しみますよ?」
スラム街の荒くれ者たちも縮み上がる『聖女』の眼光に、アルラウネは冷や汗をかく。
「そ、そうね。じょ、冗談はここまでにしようかしら」
髪を解放されると同時に、アルラウネがディルから距離をとった。
「邪魔者を追い払ってくれたことを感謝すべきか、腕に当たっていた胸の感触が遠のいたことを嘆くべきか……」
「おバカなことを言わないの」
ディルの左隣がモネの席だ。
元々は別の教官のものだったのが、どういうわけかいつの間にかモネの席になっていた。
「それで? 今回は何人落とすつもりなの?」
ディルが悩んでいたのは、そこだ。
あと数回の授業を終えれば、生徒たちは筆記と実技の試験を受けることになる。
それ以前の問題として、試験に進む資格があるかどうかを判断する必要がある。
筆記は知識を詰め込めばなんとかなるが、実技はそうはいかない。
これまでの授業を通して、ディルには生徒たちの適性が大方見えていた。
ダンジョンでやっていける者と、そうでない者だ。
そうでない者に免許を与えるわけにはいかない。
ラインギリギリの者をどうするかというのもあるが――。
「それとも、レティのこと?」
「……あの子うさぎがどうした?」
「あたしとは逆よね。能力は当たりなのに、本人の心の問題で使い方が制限される」
モネは能力こそ外れだったが、本人の意思と努力で活路を見出した。
「それでもやっていけるなら、問題はない」
少なくとも、第一階層探索免許に関しては基準を満たしていると言えた。
「そうね。あの子、純粋であなたの嘘によく騙されるのが心配だけど、呑み込みも早くて優秀だわ」
「俺は、自ら悪者となることであいつに世間の厳しさを――」
「あたしは騙されないから」
「……正直、早々に諦めるもんだと思ってたんだがな」
深淵を目指す。一度行ったことがあるディルに師事すればその近道。
そんな考えで周囲をうろちょろされるのは不快だった。
向こうから諦めれば、リギルとてしつこくは言わないだろう。
だがアレテーは、ディルの時に理不尽な指示にも、文句一つ言わず取り組んだ。
常に全力で、一生懸命。
少なくとも、誰かの死から目をそらすために深淵を目指す者とは違う。
確固たる意思を持って、死者の蘇生を目指しているのだ。
もしかすると、ディルが悩んでいるのは。
彼女に免許を与えることで、叶わぬ道へと歩み出すことを、後押ししてしまうことになるのではないかと危惧してのことか。
あるいは――。
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