第513話 スルメイカで塩辛を

 みんなお早うと、元気いっぱい調理場に入ったみやび。ダイニングルームへ朝食を提供する為、支度を始めていたメイドたちも笑顔でお早うございますと返す。

 おっつけ麻子と香澄も来るだろうと、みやびはメイドに任せている今週の献立表に目を通した。卒業せず料理道に邁進しているメイドもいるから、中々のラインナップである。


 古参の子はもう立派な料理人だねと目を細めていたら、通信用ダイヤモンドに着信が。見ればヤイズ港へ魚介類を競り落としに行った、エレオノーラとシモンヌからであった。


「はいはーい、何かあった? エレオエレオノーラ

『スルメイカが記録的な豊漁なんだそうです』

「ふむ」

『市場組合長が困り果てて、相談を受けまして』

「ふむふむ、いま競りはどうなっているの?」

『本来ならキロ大銅貨一枚が相場なんですけど、今は銅貨五枚にまで落ちて、しかも買い手が付かない状況でして』

「あちゃあ」


 地球の周期と言うか、海水温が長いスパンで変動するのは周知の事実。今まで捕れていた魚がいなくなり、違う魚が捕れるようになる。漁場で魚種の交代が起こり、それが数十年の周期で起こる。


 いま日本ではイワシが豊漁だが、三十年ほど前にも似たような状況があった。魚がいなくなった訳ではなく、水温の変化で生息域を変えたと考えるのが妥当だろう。

 そのイワシだけれど捕れすぎて、浜値でキロ五十円から五百円だと言う。これだと漁船の燃料代にもならず、漁師さんのモチベーションはきっとだだ下がり。逆にサバが捕れず、サバ缶が値上がりしそうな勢いだ。


 万年常春のロマニアでは滅多に起きないが、それでも特定の魚種が大量に水揚げされる事はよくあるとクーリエが言う。なんにしても競り落とされないと、漁師さんの収入にならないから可哀想だ。


「そのスルメイカ、いまの競り値で全部引き取っていいわよ」

『よろしいのですか? ラングリーフィン』

「漁師さんの生活に響いちゃうからね」

『分かりました、組合長も喜ぶでしょう』

「シモンヌと二人で運べそうかな」

『リンドがもう一人欲しいですね』

「オッケー、応援を出すわ」


 傍で話しを聞いていたクーリエが、私が行って来ますと中庭に向かった。そこへすれ違いで麻子組と香澄組がご到着。何かあったのかしらと、竜化するクーリエに首を傾げた。


「スルメイカかぁ、最近お高いのよね香澄」

「この前スーパーでさ、一杯六百円だったよ麻子。大きいやつは八百円。鮮度が落ちれば安くなるけど、やっぱ新鮮なのがいいよね」


 向こうでは高いのよねと、へにゃりと笑う麻子と香澄。ちなみに料理人はイカ・タコ・カニを、一杯二杯と数える。


「スルメイカそんなに仕入れて大丈夫なの? みや坊。鮮度落ちが気になるな」

「作れるだけイカの塩辛にしようと思って。残ったらお刺身と天ぷらかな、香澄」


 そっか保存食にするのねと、手を叩く麻子と香澄。そこへいっぱい作って良いのですねと、マシューが乗ってきた。こんな時は頼りになるてんこ盛り君である。


 てなわけでスルメイカがご到着。

 イカは水揚げされて空気に触れると、段階的に色が変化していく。生きている状態のイカは透明で、それが水揚げと共に段々赤く、そして茶色に変化してくる。そこから更に鮮度が落ちると足の先から白っぽく濁っていき、身の弾力が失われ目も窪んでしまう。


 もはや鮮度との勝負であり、朝食の提供を終えたメイドも動員し、どんどん捌いていく。調理場のどこもかしこもイカ、イカ、イカである。


「そう言えばイカやタコを捌く時って、魚みたいに赤い血が出ませんよね、ラングリーフィン」

「よく気付いたわね、マシュー」


 みやびがにっこりと微笑み、では教えて進ぜようと人差し指を立てた。手を動かしながらも、メイド達が興味深そうな顔で耳を傾けている。


「生き物の多くはさ、鉄で酸素を取り込んでるから血が赤いのよ、マシュー」

「それは初耳です、体の中には鉄があるのですね」

「でもイカとタコは鉄じゃなくて、銅を使っているの。普段は透明で、酸素と結びつくことで青くなるわけ」


 ほれほれここが酸素を取り入れた血管よと、みやびが包丁で指し示す。確かに色は青く、こりゃびっくりとマシューが目を丸くする。さすがに麻子と香澄も知らなかったらしく、出血はしてるけど透明だから気付かないんだと感心しきり。


「華板からの受け売りなんだけどね。エビやカニ、貝類もそうなんだって。赤貝は例外で、鉄を使ってるそうよ」


 それで赤貝を捌く時は赤い体液が出るんだと、麻子も香澄も納得したもよう。そこでマシューがもうひとつ聞いてもいいですかと、真顔でスルメイカを摘まみ上げた。


「イカはどうやって泳いでいるのでしょう? 魚を捕食するんだから同等の遊泳能力があるはずなのに、そんな風には見えませんラングリーフィン」


 そう言われてみれば確かにと、メイド達が包丁の手を止めイカをまじまじと眺めてみる。魚のようにヒレがあるわけでもなく、どうやって泳ぐのだろうかと。


「目の上両脇に隙間があるでしょ、マシュー。そして真ん中から管が突き出てる」

「はい、そうですね」

「管は漏斗ろうとって呼ばれてるのね。両脇から海水を吸い込んで、漏斗から吹き出すことで推進力を得ているわけ」


 イカはジェット水流で泳ぐんだと、麻子も香澄もびっくり仰天。そんな構造だから海中でホバリングも出来るのよと、みやびはウィンクしてみせた。こうしてみると、イカといえども中々に奥が深い。


 ――そして夜のみやび亭本店。


「本日のお勧めはイカとマグロのお刺身、イカの天ぷらにゲソ揚げ、イカのバター醤油焼き、イカ大根っと」


 立て看板にキュキュッと書いて、マグロが救いだわと笑っちゃう妙子さん。イカを捕食するために追いかけていた、マグロも一緒に捕れたのねとつぶやき暖簾を出す。


「イカの塩辛、楽しみじゃなラングリーフィン」

「出来上がったらまた、みんなにお配りするわよカルディナ陛下」


 肝を塩漬けにして一日、その肝を焼酎で洗い流してザルに置き、半日ほど乾燥。そこから肝の中身を絞り出してノシアでこし、イカの切り身を漬け込んで寝かせる工程となる。

 カルディナ陛下も作り方は知っているので、いつ食べられるかはおおよその見当がついているもよう。酒飲みが喜びそうじゃなと、アムリタ陛下とシェアするイカ刺しをぱくっと頬張り、むふんと目を細める。


「ところでマシューよ、何をやっておるのじゃ?」

「お勧めにはないけど、イカ入りの八宝菜ですカルディナ陛下。どんどん作れって指令が出たので」

「ほう……ご飯に乗っけたら美味そうじゃな」

「へへ、そう思うでしょ。これ丼にしたら絶品、イカの風味って特別なんですよね」


 カウンター席もテーブル席も、ちょいと雰囲気が変わった。そんな話しを聞いちゃったら、食べずにはいられないわけで。

 かかったわねと香澄が、指令を出した麻子にアイコンタクトを送る。今日もお持ち帰りが出るわねと、アルネもカエラも紙容器を準備し始めた。ご飯が足りなくなるかもと、サルサとアヌーンがお米を研ぎ始める。


 そんな中、五番テーブルでは面白いことが起きていた。瑞穂とエーデルワイスが珍しくテーブル席に座り、秀一と美櫻にラテーン語を教えているのだ。

 惑星イオナに興味を抱いた二人は、積極的にロマニアの文化を吸収しようとしていた。秀一と美櫻にとって瑞穂は、ちょうど良い先生だったのだろう。


「ラテーン語もカナン語も、文法は英語とほぼ一緒なの。単語さえ覚えれば日常会話はすぐ出来るようになるわよ」

「でもカルディナ陛下って、日本語が流暢だよな美櫻」

「アムリタ陛下もね、秀一」

「そりゃ一緒に日本旅行したから、必死に覚えたみたい。ねえエーデルワイス」

「そうね瑞穂。お二人とも、ポテトチップスやコーラを買うのにも苦労してましたから」


 いやいや日本語は難しいぞよと、箸を振るカルディナ陛下。アムリタ陛下もうんうんと頷き、ゲソ揚げを頬張る。ラフィアチームも同感らしく、難しいよと口を揃え八宝菜丼をかき込む。

 そこいくと菊池は日本語と文法が近いハイク語なので、ラテーン語やカナン語の方が難しいとこっちは正反対。


「はじめに言葉ありきだね、麻子」

「むむ、それはどこからの引用? 香澄」

「ヨハネ福音書の第一章」

「おおう、喩えがハイレベル」

「言葉は用いた人、時代や背景、概念や定義が変わると意味が違ってくるわ。その摺り合わせは相手の顔を見て、目を見て、真心で言葉を紡ぐことよ」


 その通りだわと、みやびは愛妻ファフニールにきんぴらごぼうを置いた。同じ言語で話しているにも関わらず、言葉が通じない人は多いからねと。

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