第503話 番外編 雅会(1)

 災害時に備えて、市区町村は非常食を備蓄する義務を負う。

 だが中には食物アレルギーを抱える住民もいるわけで、備蓄を担当する職員にとっては頭の痛い問題と言えるだろう。

 小麦を使わないご飯入りレトルトカレーといった、アレルギー対策が施された非常食。香澄はそんな備蓄食料の考案も、熱心に行っていた。


 お料理を極めつつ、そのお料理で社会貢献もしたい。それが板額香澄はんがくかすみの性質というか、人間性と言える。親友のみやびと麻子は、そんな彼女を応援しているし協力を惜しまなかった。


 家庭の事情で満足に食事が与えられていない、子供たちの支援を。そんな話しが持ち上がった時、香澄の口からは『ご飯食べにおいでよ』が出ていた。もう彼女の中では立ち上げるNPO法人の法人名が、以前から出来上がっていたのだろう。


 ――ここは港区にオープンした、NPO法人『ご飯食べにおいでよ』の一号店。


「兄貴、ひとつ聞いてもいいですか」

「何だよ和也かずや、妙に改まって。つうか店では村上さんか店長って呼べよ」

「うわすんません、中々慣れなくて」


 タマネギを切る村上は旧清和会から、お米を研ぐ和也は旧関東連合から、一号店を任されたメンバーだ。

 他に味噌汁を用意している者も、お新香や副菜を用意している者たちも、まあヤ○ザである。何の話しを始めたのだろうと、手は止めずに聞き耳を立てていた。


「それで、話しって?」

「食品衛生管理者に名乗り出た動機っていうか、講習会に行った理由って言うか」


 なんだそんな事かと、村上は切ったタマネギをタッパに移し、次のタマネギをまな板に乗せる。タマネギを同じ櫛切りにすると言っても用途により、繊維に沿って切る場合と、繊維を断つ切り方がある。この辺はちゃんと、調理科三人組から仕込まれたようだ。


「もう墓ん中だが、お袋が田舎で大衆食堂をやってたんだ。総長から野菜の切り方を教わった時、思い出しちまってな。店のメニューにあったかつ丼とか親子丼とか、豚の生姜焼き定食とかよ」


 成る程それでと頷く、一号店キッチンチームのヤ○ザ達。

 一階は普通に定食屋さんで、二階が子供達に食事を提供するキッズルームとなっていた。営業は早朝から深夜にまで及ぶため、ヤ○ザにも三交代制を適用し、ブラックにはしない調理科三人組である。


「俺ね、店長。特殊詐欺の元締めだったんすよ」


 ぼそっとつぶやくように話す和也だが、そうかとだけ言ってタマネギに集中する村上店長。他のスタッフも覚えがあるのか、何も言わず手を動かし続ける。


 警視庁の統計によるとオレオレ詐欺を筆頭に、特殊詐欺の元締めは四割近くが暴力団と言われている。高齢者からお金を騙し取るなど外道の所業。総長であるみやびのお達しにより、麻薬や違法ドラッグと合わせ全面禁止となっていた。


 もちろん総長の意向に従わなければ、破門という処罰を受ける事になる。社会から外れてしまったからこそ、ヤ○ザになったのだ。その世界からも破門となれば、半端者が生きていくのは難しい。


 組があるからこそ守られる。

 破門となればかつての敵対勢力から、どんな扱いを受けるかは想像に難くない。東京湾に浮かぶか沈められるか、命があれば御の字ってところだろう。


「あん時は感覚が麻痺してて、老人を騙して金をむしり取ることに、罪悪感なんて無かったんすよね。この店に来て初めて、働いて金を稼ぐってのが分かったような気がします」

「総長が俺らの親だ、親だから生活の面倒を見てくれる。俺たちは最高の親に巡り会ったんだよ。時間だ和也、暖簾を出してこい」


 研いだお米をガス炊飯器にセットした和也が、はいと頷きキッチンを出て行く。手にした暖簾に染め上げられたのは『ご飯食べにおいでよ』、もちろんチェシャの肉球マーク入り。


 これから仕事に向かうのであろう、企業戦士がもう行列を作っていた。朝の目玉はかけそばといなり寿司二個の、三百八十円セットである。

 そのいなり寿司が拳大のサイズだから大人気で、更に五十円プラスでソバに温玉や野菜天ぷらといった、トッピングが選べる仕組み。


 ロマニア食品のお弁当お惣菜生産基地から日に三回、仕込み済みの食材が配送されて来る。例えばトンカツも唐揚げも、もう揚げるだけで出来上がる状態となって届くのだ。もちろん配達要員もヤ○ザ。

 いま店長が櫛形に刻んでいるタマネギは、かつ丼に使うトンカツと一緒に煮込むもの。キャベツの千切りやネギの輪切りも、スタッフが行う一日のルーチンワーク。


「私も一緒に食べてよいのでしょうか」

「隣で娘が食べてたら辛いだろ? 気にしなくていいから一緒に食べな」


 二階のキッズルームはお座敷となっている。具材ごろごろカレーを前に、新顔の母子家庭がちょっと固くなっていた。店長の村上が、ほれどうぞと味噌汁にサラダも並べていく。


 “未就学児から中学生までのお子さんがいる生活困窮者の方へ”


 自宅にポスティングされたチラシには、東京都と港区の推薦が入っている。社会福祉事業として補助金も認められた、ちゃんとしたNPO法人なのだ。中のスタッフはアレな人達だけど、味と栄養価は折り紙付き。


「高所作業から落っこちて、足を痛めたって聞いたが」

「はい、それで働けなくなってしまいまして」

「労災は? 正規だろうと非正規だろうと、仕事中の怪我なら下りるだろう」


 それがと口籠もった母親は、カレーをわしわし頬張る小学三年生の娘に視線を落とした。壁に立て掛けられた、松葉杖が何とも痛々しい。


 仕事中の怪我であれば、企業は現場監督の責任を問われ、労働基準監督署からペナルティを受ける。中でも厳しい罰則は雇用保険料の引き上げで、悪質な企業であれば最大四割増しの適用を受ける。

 それを嫌い労災を申請せず治療費だけを渡して、従業員に口止めする外道な企業が後を絶たない。労災隠しは犯罪という認識が欠如した、ダメな経営者は多いのだ。


「非正規でしたし働けないので、退職扱いとなりまして」

「その件、ちょっと俺に預けてくれないか。なぁに、悪いようにはしないさ」


 きょとんとする母親。

 だが村上はお代りしていいぜと、具材ごろごろカレーを頬張る小三女子に目を細めていた。今は疎遠となってしまった、郷里の妹を思い出したのだろう。


「兄貴、ちょっといいっすか」

「だから店長と呼べと……なんかあったのか? 和也」


 えらい勢いで階段を上がってきた和也が、村上に耳打ちをする。この母子に会わせろと、店に乗り込んで来た男がいるらしい。その襟には関西なにわ会のバッジがあるとも。


「他に女を作って私たちを見捨てたくせに、もう付きまとわないでください!」

「そんなおっかない顔すんなよ、昔のよしみじゃねえか。ちょいと金を融通してくんねえかな」

「パパなんて嫌い! 帰って!!」


 叫ぶ我が娘を見る男の目は、父親のそれではなかった。デリヘルにしたら稼ぎそうだなという鬼畜の目で、親としての温かみがまるで感じられない。


 どんな悪人でも妻子を慈愛するは善性の表われ。どうやらこの男、善性の欠片もないらしい。思わず店長村上が、男と母子の間に割って入った。生活困窮に陥っている根本原因は、こいつなんだなと。


「揉め事は困ります、お帰りください」

「ああん? このバッジが見えねえのか、なにわ会を敵に回すとどうなるか」

「はいはいお帰りください。和也、玄関にお清めの塩まいてくれ」


 まったく動じない村上に、男の眉が吊り上がった。左手にはめていた高級腕時計を外し、右の手のひらに巻く。時計をナックル代わりにして、殴り合い上等と鼻息を荒くする。


「何の騒ぎだ、村上」


 事務所と書かれた扉から、スーツ姿の男が出て来た。その襟には『雅』と象られた金バッジ、いわゆる代紋が光る。

 彼は桐島組長の長男で若頭。みやびに拳銃をぶっぱなし、物理反射をもらった御仁である。本来なら失血死していたところを、念入りシリアルバーで一命を取り留めたラッキーボーイとも言う。


「これはこれは、関西なにわ会の三下が何の用だ」


 ここで言う三下とは、ヤ○ザの世界に於いて下っ端ということ。金バッジはみやびの直参幹部を意味し、底辺組員が付ける張金バッジとは格が違う。


「か、かかか、関係ねえだろ。用があんのはこの女だ」

「ここは雅会のシマ、そして蓮沼の息がかかった店。面倒ごとを起こすなら戦争だ、下っ端チンピラが息巻いてんじゃねえ」


 みやびという漢字は、洗練されていて優美といった意味を持つ。だがその語源を紐解けば、正しいという意味合いも含まれている。

 つまりこの雅会が掲げる代紋は、正しい任侠というスローガンとも言えるだろう。自ら捨てた女の所へ金を無心に来るような、ゴミクズ風情を若頭と村上は半眼で見据える。


 関西なにわ会、早苗公認の出入りで潰されるのは時間の問題かもしれない。逃げて行くチンピラに、おととい来やがれと塩を撒く和也であった。

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