第421話 夏桃の節句(2)

「折角お集まりなので、帝と参議の皆様に申し上げたき義がございます。宴の後にお時間をいただけませぬか」

「ほう、分かり申した。帝にお伝えしましょうぞ」


 酌に来た藤堂に、左大弁の藤倉が突然そんな事を申し出た。こちらは藤倉一党を引き止めるつもりでいたのだが、向こうから残ると言い出したのだ。

 怪しい匂いがプンプンするわけで、これは何かあると断じざるを得ない。しかしやると決めた以上は作戦続行あるのみ、参議たちは心配顔の奥方と子供らを帰路につかせ始めた。


「家族や配下が正しい祈りを捧げたならば、今日は確認だけに留めるつもりだったのですね? みやび殿」

「そうよ桔梗さま。当主以外がまともなら、お家お取り潰しにする必要はないもの」


 運動会テントでお土産に持たせる手提げ袋を広げながら、そんな会話を交わすみやびと桔梗。近衛隊が手分けして、缶詰セットと蓋の開け方が記載された小冊子を袋に詰めていた。参議の奥方たちがつい口を滑らせてしまい、ぜひ私どもにもと、公家衆からリクエストが来ちゃった次第。


「なぜ帝の治世が気に入らないのか、私にはまるで理解できません」


 缶詰を袋詰めしながら、桔梗は憂い顔でほうとため息をつく。

 左大弁だけが異教の徒であれば、一族を救う道はあった。家族と臣下の説得を、任侠聖女さまは視野に入れていたのだから。

 かつて旧ボルド国やパルマ国の聖職者が蜂起したように、自浄作用が働くのであれば陽美湖も悪いようにはしなかっただろう。

 だが一族郎党全てとなると、残念ながら情けをかける余地はない。今ここで潰しておかなければ、京の都が危ういのだ。


「陽美湖さま、もうその辺にして下され。お体にさわります」

「止めてくれるな玄奘! 腹が立って腹が立って、何かを口にしておらねば収まらんのじゃ」


 缶詰を次から次へと開封し、ヤケ食い状態の帝さま。彼女は信じていた、いや信じたかったのだ、太政官の中に反逆者はいないと。

 その気持ちが痛いほどよく分かる玄奘だけれど、彼の手は陽美湖が次に掴もうとしたサバ缶を上から押さえ付けていた。


 お互いに半眼を向け合う、帝さまと八咫烏の頭目。

 勾玉まがたまが幼き陽美湖を選んだ時から、陰日向となり彼女に仕えてきたのだ。放っておけば腹痛を起こすまで食べ続けると、玄奘はお見通しなのである。


「ええいその手を離せ、離すのじゃ玄奘!」

「な・り・ま・せ・ぬ」


 サバ缶の取り合いとなった主従の攻防。

 いさめてくれる家臣がいるのは幸せなこと。みやび達は口を挟むことなく、二人を生温かい目で見守っていた。


「みやび殿、うかつだった」

「どうかしたの? レベッカ」


 お帰りになる公家衆にお土産を持たせ、見送りに出ていたレベッカの表情が曇っている。これは不測の事態が起きたなと、調理科三人組も近衛隊も作業の手を止めた。


 大名行列とまでは言わないけれど、宮廷の高官である以上は相応の護衛を引き連れ桃源郷に来ている。レベッカによると藤倉は、戦でも起こすのかと言わんばかりの兵を、桃林の外に待機させているらしい。

 人数が多ければそれだけ経費がかかるわけで、藤倉殿は見栄をはったなと、公家衆はその程度にしか思わなかったようだ。

 参議たちは家族を先に帰すため、そちらに護衛を割いている状況。兵力差はいかんともし難く、みやびはダイヤモンド通信の回線を開いた。


「ヨハン君、カイル君、ラフィア、聞こえる?」

『よく聞こえます、ラングリーフィン。カイル君も隣にいますよ』

『何かあったのかい? みやび殿』

「守備隊のリンドを大至急二チームに分けて」


 状況を掻い摘まんで説明するみやび。ノアル軍とモスマン軍、そして守備隊男性リンドの半分を藤倉の兵に充てると指示を飛ばす。


 土偶ちゃんを空へ放つみやび達。

 近衛隊が状況を伝えるため、お輿の方へ伝令に向かう。

 サバ缶の取り合いに勝った玄奘が、配下の忍びに招集をかけた。

 

「桔梗よ、狼狽うろたえるでない」

「しかし陽美湖さま」


 桔梗はもちろん、その配下も宮廷のお食事係で非戦闘員。護身用に懐刀は持っているけれど、まともに扱える女官などいない。


「みやび殿、最悪はこの者達を亜空間倉庫へ」

「もちろんよ陽美湖さま、そしてあなたも」

「いや、気持ちは嬉しいがそれは断る」

「……はい?」

「帝として、事の顛末を見届けねばならぬからの」


 サバ缶を取り上げられ、代わりに緑茶をすすって泰然と構える陽美湖。やはりこの人は本物だと、みやびの口角が上がる。

 ならば私も残りますと、桔梗が一歩前に出た。体が小刻みに震えているのは、見なかった事にしてあげる帝さまと玄奘であった。


 一陣の風が桃林をごうと吹き抜けて行く。

 宴をしている間は穏やかな天候だったが、これから荒れそうな空模様だ。千切れた雲が、まるで駆け足のように流れていく。


 貴賓席にいたファフニール達も運動会テントに集まり、棚に隠していた剣をいつでも抜ける状態で成り行きを見守っていた。リンドとリッタースオンはお輿の前でどんな会話が交わされるのか、意識を耳に集中させる。


「それで、我々に話したい事とは何だね藤倉殿」


 尋ねる武者小路だが、藤倉はフンと鼻を鳴らし徳利の酒をそのまま口に運ぶ。後ろに控える家族と家臣もニヤニヤしており不敬の極み、参議たちも千家も眉間に皺を寄せる。


「影武者に用はない、本物の帝を出してもらおうか」


 徳利を飲み干し腕で口を拭った藤倉の目が怪しく光る。それはもはや人間の目ではなく、獣のそれであった。参議たちが一斉に太刀の柄へ手を掛けるが、藤倉一党はゆらりと立ち上がりその姿を変えていく。着衣が破れ肌は色を変え、頭に角を生やし体がどんどん膨らんで行く。


「な……鬼だと!?」


 驚きのあまり硬直してしまう参議たちと、迷うことなく太刀を抜く藤堂に菊池。そこは武家の端くれ、異形の怪物に臆したりはしない。左和女も忍刀を抜いて構え、お館さまを守ろうと前に出る。

 カラドボルグを手に、亜空間倉庫の軍団を即座に展開したみやび。ダイヤモンド通信で実況していたから、桃林の外も、宴会場も、直ぐさま剣を打ち合う音と怒声に包み込まれた。


「帝はどこだぁ!」


 ひときわ大きな鬼と化した藤倉が、刀を横へ真一文字に一振り。その風圧や藤堂と参議たちが、更に月夜見までお興ごと吹き飛ばされていた。


臨兵闘者りんぴょうとうしゃ 皆陣列在前かいじんれつざいぜん!」


 臨める兵、闘う者、皆陣をはり列を作りて我が前に在り。

 吹き飛ばされながらも、千家信基が九字を切り結界を発動させた。聖なる御霊みたまの兵士が列をなし、藤倉の前に立ちはだかる。


神祇伯じんぎはくめこしゃくな。まあよい、その魔力がいつまで続くか、せいぜい楽しませてもらうぞ」


 結界に触れる事ができないのか、代わりに鬼どもは口を開けて雄叫びをあげた。そのおぞましき咆哮は精神に侵食し、自我を失わせる音波攻撃だった。


 聴覚が鋭いリッタースオンとリンド族ほどその影響は大きく、みやび達は地面に膝を突いてしまう。物理でも魔力でもない攻撃ゆえに、みやびの虹色魔法盾では防げなかったのだ。空から加勢に来たリンドの竜が、鬼どもに足を掴まれ地面に叩き付けられる始末。


「わはは、お前達も中臣の家臣がごとく、我のしもべにしてやろう」


 市場に現われたウコバクは、中臣に仕える譜代の家臣だった。藤倉はその精神を乗っ取り、操っていたことになる。

 おのれ貴様と、立ち上がろうとする中臣。だが鬼どもの咆哮に抗えず、手にした太刀を落としその場にうずくまってしまう。


 戦闘開始と同時にかけた物理無効が切れそうになり、意識が朦朧もうろうとするもみやびが祝福のかけ直しを行なう。だがこのままではジリ貧、皆が敵の術中に落ちてしまいそうだ。


「アリス……、お願いあれやっちゃって」

「よろしいのですね、お姉ちゃん」

「捨て身って、こういうこと言うのよねきっと」


 ダメージは受けているものの、音波攻撃の耐性が高く一番まともなアリス。彼女はみやびの求めに応じ、その可愛らしい口を大きく開く。それは以前パラッツォとブラドを散々悩ませた、フェンリルちゃんの得意技だった。

 ハウリング不協和音が鬼どもの音波攻撃を打ち消し、仲間たちを正気へと導くことに成功。黒板を爪で引っ掻くような、嫌な音ではあるが。

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