第401話 虚仮狭間の戦い

 玄奘によるとこの一帯は、虚仮狭間こけはざまと呼ばれているらしい。虚仮には嘘や偽りに愚かという意味があり、皮肉にも睨み合っている両軍に相応しい地名と言えるだろう。加えて虚仮には相手を馬鹿にする含みもあって、『人をコケにする』なんて言葉もここから来ている。 


「黄牙忍者、朝まで来ませんでしたねお姉ちゃん」

「てっきり夜襲を仕掛けて来ると思ったのにね、アリス」


 足場のてっぺんからみんなで両軍を観察しているが、共にまだ動きは見られない。そこへ瑞穂がちょっといいかしらと、自信なさげに手を挙げた。


「みんなが言う黄牙忍者ってのが、私にはよく分からないのね。ただ後ろにある山の上から様子を伺ってる集団はいたわよ。みんなに伝えようとした矢先、山の向こう側へ消えちゃったけれど」


 さすがは特殊な公安職員さん。キャンプ場で見せた透視能力は、こちらの世界でも発揮されるっぽい。ただ距離があるとぼやけてしまい、何者かは分からなかったと彼女は話す。


 山の上からねと足場を渡り、後ろ側に回った麻子と香澄があ! と声を上げた。外壁の手が届く範囲に矢が刺さっていたからで、しかも紙を結んである矢文であった。

 魔力探知を行ない矢を抜いた香澄が、山を見上げて厳しい表情となる。いくら一夜城が的として大きいと言えど、矢文をこの距離で当ててくるのは相当な腕前だわと。


「藤堂さま、文には何と?」

「黄牙忍軍の頭領、佐助からだ菊池。仲間を帰してくれた礼と、この戦で切り結ぶつもりは無いとしたためてある」

「それは言い換えると、黄牙忍軍は佐久間を見限った事になりませぬか?」


 その通りだなと藤堂が頷き、陽美湖と玄奘が顔を見合わせる。主人をコロコロ変えるのは相変わらずですねと、左和女が呆れかえっていた。

 ただしここで藤堂と手を組まないならば、今後敵となる可能性は充分にある。要注意な勢力であることは、間違いないだろうと皆が頷き合った。


「このまま睨み合っててもしょうがないわ。向こうが合戦開始の法螺貝ほらがいを吹かないなら、こちらから仕掛けましょうか藤堂さま」

「そうですなラングリーフィン、皆さまもよろしいか?」


 なら手筈通りにとパラッツォが胸を叩き、シルビア姫とカリーナも頷く。

 藤堂の手勢である旗本たちは一夜城に控え、ノアル軍は佐久間勢へ、モスマン軍は松永勢へ。そして今回リンドの守備隊はグリフォン隊と共に、空からの支援に回る。


 支援とは言っても混戦状態で魔力弾はおいそれと撃てないから、敵兵を掴み上げ放り投げるという作戦。こう言うと牧歌的に聞こえるかも知れないが、鎧兜フル装備で空中に投げられ地面に落ちたらタダでは済まない。


「敵陣を竜化したリンドで木っ端みじんにするという手もあるが、今日はノアル軍とモスマン軍に花を持たせんとな」


 そう言って笑うパラッツォが足場の上から、合図となる上げた手を振り下ろした。シーパング流の法螺貝を吹く音が進軍を知らせ、東西大陸流の銅鑼どらも打ち鳴らされる。守備隊のリンドが一斉に竜化し、空へ舞い上がりグリフォン隊も続く。


 佐久間にも松永にも使者を送った藤堂だが、両軍とも色よい返事はよこさなかった。官軍なのでこちらから敵に甘い顔も譲歩もする必要はなく、ならば戦場で決着を付けるべしとなった次第。


「こうなる前に和睦を申し出ておれば、いたずらに軍勢を失う事も無かったろうに」


 陽美湖は額に手をかざし、空を舞うリンドの竜とグリフォンを見上げた。

 制空権を奪われることがいかに致命的か、これまでの城郭破壊でまざまざと見せ付けられたのだ。彼女が発した言葉には両軍に対する哀れみも含まれている、みやびはそんな風に感じ取っていた。


 “井の中のかわず大海を知らず”


 リンドを含め東西大陸の軍勢がどんな戦い方をするか未経験、それが相手を侮ってしまった佐久間と松永の失態と言えよう。彼らはこれから、嫌と言うほど痛い目を見ることになる。


 まずノアル軍とモスマン軍はグループごとに分かれ、先頭に立つのはラージシールドとフルアーマーの重装兵だ。矢が降り注げば盾を掲げグループの仲間を守り、動きが鈍い重装兵を後ろの身軽な軽装兵がカバーし、更に後ろに控える弓兵が反撃の矢を放つ。その弓兵も肉弾戦となれば剣を抜く。


 対して佐久間と松永の軍勢は、そもそも盾という装備を持たない。雑兵の刀や槍が重装兵の盾やプレートアーマーに通じる筈もなく、刀だけでなく戦意もポッキリ折ってしまうのだ。

 しかも油断していると空からリンドやグリフォンに摘ままれ、命綱の無い空中遊泳を無料で体験できるオマケ付き。地面に落ちた衝撃に耐え運良く五体満足で、意識を保っていられたならば褒めてつかわそう的な地獄を味わう。


 制空権を奪われ圧倒的な装備の差と、培われてきた東西大陸の陸戦に於ける戦術。その前に佐久間勢と松永勢は、為す術もなく累々たる死傷者を生み出していった。


「総崩れという言葉がピッタリ当てはまるわね、香澄」

「白旗を揚げるなら早い方がいいのにね、麻子」

「武将としてのつまらん意地が邪魔しておるのじゃろうな、藤堂殿」

「さようでございますな、モルドバ卿。武士もののふとしての矜持きょうじは分からんでもないが、もはや死に体。潔く降伏すればよいものを」


 その佐久間と松永だが、実は藤堂が言う所の武士もののふではなかった。陣を捨て兵を見捨て、逃げ出そうとしていたのだから。格好は悪いが再起を図り、必ずや見返してやろうってな感じで。

 けれどそうはイカのポッポ焼き。近衛隊選抜のミスチア班が佐久間を、エミリー班が松永を、陣の後方で待ち構え退路を塞いでいるのだから。


「佐久間殿とお見受けしました。戦の幕引きをしないまま、どこへ行かれるつもりですか?」


 仮とは言ってもリンドの血を受け入れると、語学の習得は早くなる。ミスチアが口にしたのはシーパングの公用語であるハイク語だった。

 竜化したイレーネの手のひらに立つミスチアに問われ、憤怒の形相となる佐久間。彼は黄牙忍軍よ何をしていると叫んだが、その声は木々に空しく木霊するだけ。

 地属性のリンドが蔦を伸ばし、佐久間とその旗本たちを次々とふん縛っていく。それは松永を担当したエミリー班も同様であった。


「そなたらに問う、帝はお嫌いか?」


 藤堂の前に引っ立てられ、地面にひざまずかされた佐久間と松永。

 一夜城は仕事が早い守備隊リンドによって既に解体され、陣幕の中には菊のご紋が付いた御輿みこしが鎮座していた。すだれが下りてお顔は分からないが、胸のあたりに色を変えながら光り輝くものが見える。

 つまり帝ご本人で間違いなく、藤堂に嫌いかと問われ返事に窮する佐久間と松永。事ここに至るまで、二人は帝と将軍どちらに付くか未だ表明していないのだ。


「なら質問を変えよう、将軍の家成いえなり公は好きか?」


 どちらもおバカと分かっているから、藤堂は幼子と接するように噛み砕いて質問している。先代は名君とうたわれた両藩の藩主だが、代替わりするとこうも落ちぶれるものかと心中では思っている。いっそこの場でそっ首切り落としてやりたいのを、ぐっと我慢する藤堂。


「ほ、本物の官軍とは思いもよらず……なあ松永殿」

「いかにも、佐久間殿の言う通りにございます」


 答えになっておらんと声を荒げ刀の柄に手をかける藤堂、いい加減おバカ相手の問答に疲れちゃったのだ。どのみち帝にお味方すると答えたところで、信用できないのは火を見るよりも明らか。

 虚仮こけには内心と外面が違うという意味もある。ここで帝に付くと言わせたところで、裏では将軍にすり寄るダブルスタンダードは充分にあり得るのだ。

 藤堂は武士もののふとして、そんな風見鶏を殊更に嫌う性分。やはりこの場でと、刀を鞘から抜きかけたその時。


「藤堂さま、帝がお呼びです」


 ふわふわ浮いてきたアリスにささやかれ、藤堂は刀の柄から手を離した。御輿に歩み寄り跪いて、陽美湖の指示を受ける。その傍らではいつでも虹色魔法盾を発動できるよう、みやびが女官たちと共に待機していた。


「それで、よろしいのですか?」

「不満であろうが、この場は私が預かる。負傷者の治療と死者の埋葬を優先いたせ」


 御心のままにと頭を垂れ、藤堂は立ち上がりおバカ二人の所へ戻って来た。命拾いしたなとつぶやきながら。

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