第120話 てっさの菊盛
「それは
「気のせいじゃなくて
みやびが手を動かしながら、あっさりと言ってのけた。一般人は口にしないので、こちらの魚市場に並ぶことはないらしい。そりゃそうだ。
そこで漁師さんにお願いし、他の魚に混じって捕れたら生かしておいてとお願いしていたもの。フグを食うのかと漁師さんは驚いていたが、代価は払うよと聞いて二度びっくり。
「ラングリーフィン、大丈夫なのですか?」
「今日のおすすめに
ミスチアとエミリーの顔色がよろしくない。もとよりこちらの世界では、フグを食べる習慣なんぞありはしないのだ。
「食べられる部位と食べられない部位があるのよ、心配しないで」
ふぐ調理師免許の取得に向けて、先輩板前さんから指導を受けているみやび。免許の取得方法は都道府県によって異なり、みやびは東京都で取得する事になる。
東京都の場合は受験資格が、調理師免許を取得していること、二年以上の実務経験があること。
学園を卒業して調理師免許を取得したら、ふぐ調理師免許も取得する。それが卒業後に掲げているみやびの目標だった。
「一応は毒味しときますか」
みやびが一切れ口に頬張る。かつてレベッカ達が井戸水の毒を見抜いたように、調理科三人組も毒を味覚で識別できるようになっていた。
まあ飲み込んだところで、リンド族もリッタースオンも毒無効だからへっちゃらなのだが。
「はい、てっさでーす」
置かれた皿に、カウンターの女子三人が目を丸くする。今まで教わったお刺身の盛り付けとは、まるで違うからだ。
「皿の模様が透けて見えるほど薄切りなのじゃな。しかも盛り付けが美しい」
「
みやびが大丈夫と言うならそうなんじゃろうと、カルディナ姫がさっそく箸を伸ばした。ミスチアとエミリーは恐る恐るといった感じで頬張る。
「ほう、これは驚きじゃ。こんな薄いのに弾力があって身に旨みがある」
ミスチアもエミリーも、え? という顔をしている。今度はネギを刺身で巻いてポン酢にちょんちょん、頬張った目が細められていく。
「兄上、僕らも食べてみましょうか」
「そ、そうだなシリウス。ラングリーフィン、僕らにもてっさを」
「はーいお待ち下さいね」
ブラドとパラッツォは毒など気にしないから、真っ先に注文し食べ始めていた。それでも初めて口にした味わいに、こんな魚がいたのかと唸っている。
そこへてっさを注文したカウンターの常連達に、アルネがヒレ酒を置いていった。数が少ないのでお静かにと唇に人差し指を当てながら。
「こいつはまた……」
「ブラドよ、ここは沈黙を守るのじゃ」
「ほう、こんな使い方があるとは意外じゃのう」
「姫君、しー!」
唇に人差し指を当てるミスチアと、隣で首をブンブン縦に振るエミリー。湯飲みで提供されているから、周囲はお茶にしか見えていないとひそひそ話す。
そしてこちらは法王さまとアーネスト枢機卿。
「ラングリーフィンは、また食べられないものを食べ物にしてしまったのう」
「その影響で、市場の品揃えもだいぶ増えましたわ」
「はい、精進セットお待たせでーす」
みやびが置いた重箱に、二人の顔色が変わった。どう見ても炒り卵と魚の切り身が入っていたからだ。
「ラ、ラングリーフィンよ、これはいったい……」
「わざとではありませんよね?」
責める眼差しを向ける二人に、みやびがムッフッフと笑った。中身と仕掛けを知る麻子組と香澄組、お付き四人とアルネがクスリと笑う。
一緒に試作を試みたファフニールがカウンターから、種明かしして差し上げてとみやびに笑みを向ける。
「お豆腐を砕いて炒りながら、クチナシの花で色を付けるの。炒り卵そっくりでしょう。お魚の切り身もね、湯葉でそっくりに作ったものよ」
「なんじゃと!」
「なんですって!」
お料理にはこんな技法も含まれるのかと、二人は顔を見合わせ箸を伸ばす。魚や卵はこんな食感なのかと頬張り、新鮮な気持ちになったようだ。
「その気になれば大豆でお肉も再現できるわよ、近いうちに出すから期待しててね」
自信満々で人差し指を立てるみやびに、正に錬金術師と二人は呆れた顔をする。だがこの技術を教会の子供達が継承すれば、修道女や市民に広げたらと思い至る。
「この料理、子供達はマスターしているの?」
「アルネはマスターしたわ、順次教えて行くつもりよ。ね、アルネ」
みやびの目配せにアルネがはいと頷き、法王とアーネストにお任せ下さいと微笑む。二人がカウンターの下で拳を握り、ガッツポーズしたのに気付いた者はいなかった。
そしてテーブル席では修道女が二人向かい合っていた。一人はアルネにマスターキーを渡したオリヴィア。もう一人は子供達の引率をしていたペトラ。
オリヴィアは還俗して西シルバニアの知事に、司祭となったペトラも向こうの正教会へ派遣される。
就任祝いでアーネストが連れて来たのだが、法王の側では緊張するだろうとテーブル席を勧められたのだ。
聖職者向けのお通しである百合根の梅肉和えを肴に、升酒をちびちび。そんな二人にアルネが精進セットの重箱を置く。
お世話になった人が遠くへ行くのは寂しいが、二人の門出を祝おうとアルネは気持ちを切り替えていた。
「お二人とも、おめでとうございます」
「ありがとうフライフラウ。聞けばワイバーン使いになったとか、時間が取れたら遊びに来て頂戴」
「もちろんです、オリヴィアさま」
「若草色のマントはシルバニア領に属する貴族の証、気兼ねする心配はありませんからね」
「はい、ペトラさま」
八年前はあんな小さかった女の子がこんなに立派になってと、オリヴィアとペトラは目を細めた。
「ところでこれは、本当に植物性なのですよね?」
「はいペトラさま。正真正銘、植物性です」
何かありましたらお呼び下さいと、アルネはお盆を胸にカウンターの中へ戻って行った。
「ねえオリヴィア、あなたは還俗したら動物性のものを口にするのかしら」
「ふふ、私もキリアと同じ。菜食主義を貫くわ」
だってこんなお料理が存在するのだからと、オリヴィアは重箱を人差し指でトントン突く。なら向こうへ行っても同じ物が食べられるわねとペトラが言い、二人は微笑み合った。西シルバニアへも、小さい板前さんの派遣が決まっていたのである。
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