第55話 小旅行(2)
スパッツを履いているし、ファフニールにも履かせた。スカートがひるがえるのを気にせず、スロットルを開けるみやび。
高層ビルに信号機、整備されたアスファルトの道路、めまぐるしく移り変わる風景にファフニールは目を見張っていた。
彼女にとってここは異世界であり、メイド時代に妙子からよく聞かされていた現代の日本なのだ。
割烹かわせみは大川通り商店街の中にある。時間帯によって車両通行止めとなるため、みやびはお店が契約している駐車場へフォルツァを滑り込ませた。
アーチ形をした大川通り商店街の看板を、二人は手を繋ぎくぐって行く。ちょうど夕飯のおかずを求めて集まった買い物客で、中がごったがえしていたからだ。
「みや坊、ここは市場なの?」
「市場と言えなくもないけど……売られているのは調理済みのものよ。煮物、焼き物、揚げ物、漬物、全部ひっくるめたお惣菜屋さんもあるわ」
いまどき髪を青く染めた欧米人がいても珍しくはないと、行き交う買い物客はファフニールに違和感を持たないようす。むしろ美人さんだと振り返る。
これ食べようと、みやびがファフニールの手を引っ張った。そこは串焼き屋さん。炭火で鶏皮を焼きながら、お店の人がおういらっしゃいと笑顔を見せた。どうやらみやび、常連らしい。
バイトの前にちょこっとエネルギー補給。この商店街で、気分に合わせてコロッケだったりタイ焼きだったり。タイ焼きはウグイス
「おじさん、ねぎまを塩で二本とつくね棒を二本ちょうだい」
「あいよ。ところで今日は曜日が違うんじゃないかい?」
紙袋に入れながら、おじさんが尋ねてきた。みやびのシフトは月水金土で、今日は木曜日。
入院している叔母の見舞いに行こうと部活を休んだみやびだが、それで麻子と香澄から追求されてしまった訳である。学園に戻ったのが運の尽き。
「ちょっとお店に顔出してくるだけ」
みやびがそう言ってお代を払うと、おじさんは今後ともご
「ここは、静かな場所ね」
「神社と言うの。こっちの世界では精霊を
人混みを避けて通りにある神社に入った二人。みやびはお賽銭を入れて二礼二拍手一礼、ファフニールは胸の前で手を組んだ。
お祈りを済ませ、ねぎま串とつくね棒を交互に頬張るファフニールの顔がにやけている。焼き鳥をいたく気に入ったようすで、立ち食い歩き食いという行為も新鮮らしい。
「鶏肉と野菜を交互に刺して焼くなんて、この発想はどうやったら生まれるのかしら。それにこの……つくね? あのハンバーグみたいに柔らかくて美味しい」
串に刺した料理かあと、みやびはファフニールの反応にクスリと笑う。今度お城の中庭で、バーベキューでもやろうかしらと。
「お疲れさまでーす」
「あの、何かあったの?」
「正浩が親戚の葬儀で郷里に帰っているの。そこへ五郎が盲腸で入院しちゃって」
女将さんがどうしましょうと、頬に手を当てた。修行歴八年になる熟練板前が二人もお休み。大丈夫なのだろうかと、みやびの眉が曇る。
「女将さん、お座敷の予約状況は……」
「全部埋まっているわ」
みやびがひえぇ! と両手を頬に当てた。そこへ華板の立花が脇目も振らず、包丁を振るいながら口を開いた。
「みやび、仕込みが間に合わねぇ。魚をサク取りするところまで、手伝ってくれねえか」
これは緊急事態とばかりに、従業員用ロッカーを開けて板前用の制服と前掛けを出すみやび。そんな彼女の肩をファフニールがポンポン叩いた。
「これがみや坊の戦場なのね、私も参戦していいかしら」
魚の下処理と三枚下ろしからサク取りまで、ファフニールは覚えた。一国の主に板場の仕事をさせるのはどうかと思ったが、戦力であることは間違いない。
みやびはファフニールの髪をお団子状にまとめ、板前帽子を被せた。板前用の制服を着せ、前掛けを結んであげる。
「みやびちゃん、その子は留学生?」
「えへへ、そんなもんかな。ファニーは私と一緒にお料理する仲間なの」
素人を板場に立たせるわけにはいかないが、調理科の生徒なら安心できると女将が勝手に思い込む。
さあやりますかと、みやびとファフニールは頷き合い魚と対峙した。
下処理を全くしていない魚を
流しで包丁とウロコ引きを駆使し、ウロコを落としていく二人。
そう言えばファフニールがいま取りかかっている魚はスズキ。自分と彼女を赤い糸で繋いでくれた縁結びの魚に、みやびの頬が緩んでいた。
「ふええ、間に合って良かった」
駐車場にあるベンチに座り、自販機のコーラを口にするみやび。
十八歳未満が働ける時間は労働基準法で二十二時までだが、高等部の校則で二十時までと規制されている。魚の仕込みがその時間にギリギリ間に合ったのだ。
では皆さんお達者で、骨は拾ってあげますと手を振るみやびに、華板の立花がうるせえと笑っていたが。
ファフニールはコーラを手にしながら、女将から渡された茶封筒を眺めていた。これは何かしらと。
彼女はコーラをベンチに置くと、封筒の中身を取り出した。出てきたのは五千円札。これは女将、色を付けてくれたようだ。
「労働の報酬よ、この国のお・か・ね」
「紙が通貨なの?」
信じられないと言った顔をするファフニール。そう言えば焼き鳥を購入する際も、みやびはおじさんに紙を渡し硬貨のお釣りを受け取っていたと思い出す。
「みや坊がビュカレストに来た時も、私と同じように戸惑ったのね」
「まあね、色々と驚いたわ」
頭に手をやるみやびに、ファフニールがちょうだいと言った。駐車場のベンチで、二人は少し長い血の交換をした。ちょっぴりコーラ味の。
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