第11話 リンドの食事
「ずいぶん遅かったじゃないか。何かあったのか? レアムール」
「も、申し訳ございません」
貴賓室に入るなり、ブラドがレアムールに厳しい視線を向けた。これはしまった、長いことみんなを待たせていたようだ。
「ごめんなさい。私が引き止めて、話し込んでしまったの」
自分のせいでレアムールが責められるのは不本意なみやび。引き止めて話し込んだのは事実なのだから、責められるべきは自分だと主張する。
「みやび、今日は身内だけだからいいが、諸外国からの客人と同席する場合もあるんだ。待たせるのは失礼に当たる、気をつけてくれ」
「は、はい」
ブラドを怒らせてしまっただろうか。恐る恐る見上げると、彼は怒っていると言うよりも珍しいものでも見ているような顔でみやびを見下ろしていた。
彼の両手がゆっくりと動き、みやびの頬を包む。
「二人とも目が充血しているぞ。全く、何を話し込んでいたのやら」
あちゃー途中で鏡を覗いて来るんだったと、みやびの顔が引きつる。自分が今どんな顔をしているのか、冷や汗をかく思いなのだ。
「時間が押している時は、首に縄を付けてでも引っ張って来るのがメイドの務めなんだが。君は変わってるな、客人なのになぜレアムールの不手際を庇う」
ブラドの言う通り、それがメイドの役目なのだろう。だが職務を忘れさせてしまうほど辛く悲しいことを聞いてしまったのだ。それなのに、客人だからという理由で彼女だけが責められるのはみやびの性分が許さない。
「別に庇ってるわけじゃないわ。私は、私の筋を通したいだけなの」
「筋? それは客人としての、君の要望なのか?」
「そう受け取ってもらって、構わないわ」
吐息と共に、ブラドの手が離れていった。
「まあいいだろう。レアムール、今後は引きずってでも間に合わせるんだぞ。次は責任を問うからな」
「はい。以後、注意いたします」
自分にも学習能力というものはある。引きずられなくても自分の足でちゃんと来ますよと、心の中で唇を尖らせるみやび。だが今回は不問に付すとのこと、レアムールにお咎めがなくてホッと一息だ。
「パラッツォ」
ブラドが、それまで妙子と談笑していた大男を呼んだ。キトンの上に深紅のマントを纏った彼が、おうと答える。
赤いもじゃもじゃ。それがみやびの抱いた第一印象だった。
背中まで伸びた、ボサボサで白髪交じりの赤い髪。胸まで伸びた、こちらも白髪交じりの赤い髭。そしてルビーのように赤い瞳。
しかし開かれているのは右目だけ。左目は黒い眼帯に覆われ、眼帯からはみ出すように額から頬にかけて傷跡が走っている。
「紹介しよう。さっき話した客人、蓮沼みやび嬢だ」
ブラドの紹介に、赤いもじゃもじゃが右の掌を胸に当て、みやびに会釈をした。
「竜騎士団を任されておる、パラッツォ・マルクグラーフ・フォン・リンドと申す」
「みやびです、よろしく。お待たせしてごめんなさいね、あの……怒ってる?」
赤い独眼にじろりと睨まれ、みやびは全身に鳥肌が立つのを覚えた。
「怒ってなどおらん。腹が空いているだけじゃ」
「それって、怒ってるのと同じなんじゃ」
びびるみやびを見かねたのか、ブラドが助け舟を出す。
「パラッツォ、みやびと政治交渉をするわけじゃないんだ。その辺で勘弁してやれよ」
髭もじゃと眼帯で、いまひとつ顔の表情がつかめない。だが、みやびを捕らえていた単眼がすぅっと細くなった。
「ふぉっふぉ」
ふぉっふぉ? もしかして笑ったのだろうか。
「案ずるな、貴殿よりも遅刻しているたわけがおるからの。ロマニアへようこそ、可愛いらしいお客人」
相変わらず表情は読めないが、なんだか人懐こそうな目をしている。もしかしたら、見た目ほど怖い人ではないのかもしれない。
それにしても、同席するのは妙子とパラッツォだとレアムールは言っていた。ブラドもいるし、壁際に並んで待機しているメイド達の列にはチェシャもいる。
はて、該当者が思いつかない。みやびよりも遅刻しているたわけとは、誰のことだろうか。
「ほら来おった」
赤いもじゃもじゃが、みやびの背後を顎でしゃくる。振り向けば、なんとそれはファフニールだった。しかし今まで見たファフニールとは、まるで違う。
金糸で縁取りされた純白のキトン。水色の生地に紋章が刺繍された幅広の帯を、タスキのように左肩からかけている。そして頭には、イチゴの葉のような飾りに真珠を
「待たせて焦らすのは諸外国の要人相手にしてもらいたいものだな、フュルスティン・ファフニール」
ブラドの苦言に、彼女は悪びれた素振りも見せずに答えた。
「久しぶりの正装で、支度に時間がかかったのです」
なるほど、これが侯国の君主であるファフニールの正装ということか。その彼女がキトンのひだをつまんで横に広げ、みやびに会釈をした。何とも優雅な所作である。
「改めてご挨拶を。ファフニール・フュルスティン・フォン・リンドです。蓮沼みやびさま、今宵はエビデンス城の晩餐にようこそおいで下さいました」
「ステキ!」
「えっ?」
「ステキステキ。このキトンは?」
「リ、リンド族の正装用で」
「この帯は?」
「リンド族の、族長を示すもので」
「この冠は?」
「皇帝から賜った侯爵冠、です」
「ステキ! とっても綺麗よファフニール」
「綺麗? 私が? 持ち上げたって、何も出ませんよ」
「やだ、鏡を見てないの? お世辞じゃないのよ。もっと自分の姿を誇りなさいよ」
もちろんこれはみやびの本心。メイド姿も華があって可愛らしかったが、今のファフニールは本当に綺麗だと思ったのだ。
するとファフニールの顔が、斜め四十五度、下を向いた。
「ありが……とう」
その様子に、「へえ」「ほう」という声が上がる。へえはブラドで、ほうは赤いもじゃもじゃが発したもの。
途端にファフニールの眉がつり上がった。
「ビュカレスト卿、モルドバ卿、そのへえとかほうとかは何なんですの?」
拳を口に当てて必死に何かをこらえるブラド。表情は変わっていないが、口元あたりの髭がピクピク震えている赤いもじゃもじゃ。この二人の態度に、彼女は業を煮やしたようだ。
「時間が押しています。みなさん、席につきましょう」
唇をへの字に曲げ、つかつかとテーブルに向かうファフニール。
おいおい時間が押してる要因を作ったあなたがそれを言いますかと、心の中で突っ込みを入れるみやび。もっともそれを言ったら、自分も同罪ではあるが。
メイドたちが一斉に動き出し、みやびはレアムールにこちらへと導かれた。彼女が椅子を引き、座るように促す。言われるままに腰を下ろすと、みやびさまと耳もとでささやかれた。
「なあに?」
「私も公の場所以外では、みやびさんとお呼びしてよろしいのでしょうか」
おや水臭い、一緒に泣いた仲ではないか。
「大歓迎」
グーの親指を立てながらウィンクすると、彼女の顔に一瞬花が咲いたように見えた。レアムールは一礼すると、立ち働くメイド達の輪に入って行った。
二十人くらいが座れる長方形のテーブル、その片端にみやび。反対側にファフニール、つまり自分の向こう正面。そして彼女の左側にブラド、赤いもじゃもじゃの順に並び、自分の左隣に妙子が座った。
ワゴンを押してきたメイドたちがテーブルに食器を並べていく中、妙子が小声で話しかけてきた。
「それで、レアムールとどんな話をしたの?」
妙子は赤いもじゃもじゃと談笑しながらも、みやびとブラドのやり取りをしっかり聞いていたらしい。この人物、侮れない。
「八年前の、戦争について」
「そう、リンドの悲しい歴史を聞いたのね」
一瞬、妙子がどこか遠くを見つめた。
「さっきビュカレスト卿とモルドバ卿が……あ、モルドバ卿ってパラッツォさまのことね。お二人がどうしてあんな態度をとったか、分かる?」
それはみやびも気になっていたところだ。首を横に振ると、妙子はにっこりと微笑む。その瞳は、みやびに何かを期待しているようにも取れる眼差しだった。
「滅多に感情を表に出さないファフニールが、あなたが相手だと素が出るみたいね。あんな表情、初めて見たわ。お二人ともそれで驚いたのよ」
そう言えば、先ほどレアムールも似たような事を言っていたと思い出す。
「あの子は九歳で両親を失い、同時にこの国の全てを背負わされたの。頑固で融通が利かない所もあるけど、分かってあげて」
妙子の言葉に改めて正面を見ると、そこには
この世界に住まう、全ての精霊に。
我らに糧を与えたもう、全ての精霊に心からの感謝を。
糧を得る為に命を奪う罪深き我らに、全ての精霊よ慈悲の手を。
妙子によると、食事の前に必ず行うお祈りなのだそうだ。みやびもみなに合わせて両手を組み、目を閉じてお祈りを聞いていた。
当たり前な話だが、生きるために糧を得るという事は他の命を奪う行為である。日常の生活で見過ごされている、とても大事なこと。このお祈り、みやびは好きになれそうだった。
「精霊って?」
「私たちの世界の、神に置き換えていいと思うわ」
銀製の杯を手に、エアリスのデキャンタから赤い液体を受けながら妙子が答えてくれた。そのエアリスが、みやびに杯を持つよう促す。
「これってぶどう酒でしょ。私、未成年なんだけど」
「未成年?」
エアリスは微笑みながら首を傾げた。
「それはみやびさまのお国のしきたりでしょう。ここはロマニア候国、郷に入っては郷に従えですよ」
エアリスの言葉に、その通りと赤いもじゃもじゃが声を上げた。ロマニアの民は十二歳から酒を嗜むらしく、遠慮なくどんどんやってくれ、だそうだ。
どんどんと言われても、みやびのアルコール歴は風邪をひいたときの卵酒くらい。しぶしぶ杯を手に取ると、エアリスめ溢れんばかりになみなみと注いでいった。
「今日は無礼講でかまわんのじゃろ? フュルスティン・ファフニール」
「程々に願います、モルドバ卿。では、ロマニアの未来に。そして蓮沼みやびさまの歓迎を込めて」
「乾杯!」
ぶどう酒はロマニアに於ける主要産業のひとつらしい。いつの間にか妙子を中心に、テーブルはぶどう酒談義で盛り上がっていた。話しを聞いていると、妙子がぶどう酒生産に深く関わっていることが分かる。
そんな会話をよそに、みやびの中でひとつの疑念が生じていた。
テーブル中央にはフルーツが盛られた籠が置かれ、各人の前には銀製の杯と皿が二つ。杯はすでにぶどう酒で満たされている。二つの皿には、これから運ばれてくる料理が載せられるのだろう。けれども。
お箸は無いだろうと思っていたし、はなから期待はしていない。だがフォークやナイフといったカトラリーが一切ないなら、どうやって食事をするのだろうか。
もしかしたら、この国独特の作法があるのかも知れない。インド人も右手だけで、素手で食事をするから不思議なことでもない。
思考を巡らせながらぶどう酒をちびちびなめていると、新たなワゴンが貴賓室に運び込まれた。ワゴンに載っているのは山盛りの肉と魚。うん、どこからどう見ても肉と魚。
メイドが片方の皿に肉を、もう片方の皿に魚を置いて行く。みやびの中で、ある種の不安が広がる。そしてその不安に、赤いもじゃもじゃが決定打を放った。
「では、頂くとするか」
むんずと魚をつかみ、口に運ぶ赤いもじゃもじゃ。
「ちょっ、ちょっと待って」
みやびは思わず声を上げていた。何事かと、そこにいる全員の視線が集まる。
「これは、何?」
しんと静まり返った貴賓室。赤いもじゃもじゃの口からはみ出た魚の尻尾と各自の皿にある魚だけが、静寂の中でぴちぴちと音を立てていた。
「どうしたんだみやび。肉も魚も、今日手に入った新鮮なものだ」
ブラドが怪訝そうな顔で尋ねるが、みやびとて新鮮なのは分かっている。いま解体しましたと言わんばかりの、色鮮やかな肉。水揚げして直送しましたばりの、まだ跳ねている魚。だが問題はそこではない。
「どうして生肉なの? どうして魚のウロコを取らないの? 焼くとか煮るとか、お刺身にするとか、出しようがあるでしょう」
そんなみやびの訴えに、ファフニールもブラドも、赤いもじゃもじゃもメイド達も、唖然としている。
みやびは変なことは言っていないはず。なのに、みなは顔を見合わせ首を捻るだけ。おかしい、話が通じていない。なぜだ。
その時みやびさんと声がして、袖をついついと引っ張られた。それは妙子で、彼女は驚かないでねと前置きしてからこう告げたのだ。
「この世界にはね、お料理の文化が無いの」
「△●□※∞?」
料理の文化が無い。この一文が頭の中をぐるぐる回り、みやびはその意味を理解するのにしばらく時間を要した。
あり得ない! ぶどう酒を造る醸造技術があるのに料理の文化が無いなどと、悪い冗談である。そうだ、冗談であって欲しい。
そんな思いを込めて妙子を見つめるが、みやびの淡い期待は彼女が首を横に振ることで見事に打ち砕かれた。
「それじゃ、調理場は……」
「このお城に、そういう場所は無いわ」
「そんな」
みやびはテーブルに両手を乗せ、目の前に置かれた生肉と生魚を凝視した。焼く、煮る、炒める、揚げる、刺身、洗い、たたき。ぱっと見ただけでも、五十以上のレシピが思い浮かぶというのに。
「みやびさん、もしかして料理がお出来になるの?」
「こう見えても板前です。まだ、半人前だけど」
みやびの返事にブラドが息を呑み、妙子の目の色が変わった。そしてどういうわけか、ブラドとチェシャと妙子がそれぞれ視線を交わし、頷き合っている。
「ねえ、みやびさん。調理場とは呼べないけれど、私の部屋に道具が揃っているの。お料理、してみる?」
「えっ、あるの? だったらやらせて」
なんだあるではないか。妙子の提案に、みやびは即答していた。みやびにとって生肉と生魚で二週間も過ごすなど、冗談を通り越して苦行なのだ。
「フュルスティン・ファフニール、モルドバ卿、みやびさんが向こうの世界の料理を見せてくださるそうよ。時間は……」
妙子が、そこまで言って振り向いた。どのくらい時間がかかるのか、それを聞いているのだということはすぐに理解できた。
「道具を見てみないと正確には言えないけど、一時間もあれば」
「だそうよ、どうかしら」
赤いもじゃもじゃが、半分口に納まっていた魚を引っ張り出して皿に戻した。
「みやび殿が我らをもてなしてくれるとな? 面白そうじゃないか。腹は空いとるがわしは構わんよ、フュルスティンのご意見を伺おう」
「私は」
ファフニールはそこでいったん言葉を区切り、両手で包むように持っていた杯をテーブルに戻した。
「その料理とやらがどのようなものか存じませんが、客人が晩餐の時間を勝手に変えるなんて前代未聞。そんなこと、許していいのでしょうか」
「ファフニール、提案をしているのは私よ」
「妙子さまも客人ではありませんか。この席の主人は私、勝手な事をされては困ります」
険を含んだファフニールの言葉に、赤いもじゃもじゃが目を剥いた。
「それはあまりにも失礼ではないのか? 妙子殿がどれだけロマニアに貢献して来たか、知らぬわけではあるまい」
「それはよく存じております。しかし、客人がリンドの作法を変えることは認められません」
「僕の頼みでも、だめか?」
「兄上まで……」
「過去、光属性のリンド達が向こうの世界で垣間見た料理の記録、これは非常に興味深いものだ。またとない機会だと思わないか? 僕は料理というものを、この目で確かめてみたい」
「そうお思いでしたら、後でみやびさまに直接お願いすればよろしいでしょう。ここでの主人は、あくまでも私です」
みやびの耳に、ブラドと妙子のため息が聞こえてきた。
頑固で融通が利かないと妙子は言ったが、本当にそうなのだろうか。みやびには頑固というよりも、彼女が作法や礼儀に固執しているように見えたのだ。いったい、何が彼女をそこまで
そんな思いと同時に、みやびはここにいてはいけないと悟る。
人が集まって行う食事は、和やかな雰囲気と楽しい語らいの中でするもの。それ自体が調味料なのだと、女将さんから教わった。けれどこんな雰囲気では、何を食べても美味しいとは感じないだろう。
それに生肉とウロコ付きの魚を口にするのは、みやびの中にある料理人魂が許さない。みなと同じものが食べられないならば、自分はここに居てはいけないのだ。
みやびは席を立ち、ファフニールに深く頭を垂れる。
「みやび、どうしたんだ」「みやび殿?」「みやびさん?」
「せっかくお招きいただいたのに、ごめんなさい。私には生肉とウロコ付きの魚を食べる習慣がありません。この晩餐、ご辞退させていただきます」
「なんですって?」
突然の辞退に、ファフニールの肩がわなわなと震えた。
「国賓待遇の客人といえど、そのような勝手は許しませんよ!」
牙を剥き、テーブルをダンと叩いたファフニールが席を立つ。それと同時に、貴賓室の温度が一気に下がる。そんなファフニールに対し、みやびの心も冷えていった。
「またあの冷気を使うの? その力で相手を脅すのも貴方の作法と言うなら、好きにすればいいわ」
みやびはファフニールに背を向けると、振り返ることなく貴賓室を出て行った。
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