第32話 拝啓、"春"へ③
〈序〉
手紙というのは初めて書きます。
謝罪とか、色々とあなたにどうしても伝えたいことがあるけれど、口では言いにくいから手紙にします。
『口に出して言いにくいことは手紙にしてみましょう』なんて言葉をどこか馬鹿にして聞いていましたが、まさか自分がそんな馬鹿馬鹿しい手段を取る日が来ようとは思ってもいませんでした。
ずるいと思われるかもしれないけれど、生娘にキスをした和季が悪いのです。勘違いしないでください。
あと、さっき山頂で浮ついたことを言ってしまったけれどあれは気にしないでください。どんな顔をしていればいいのか分からなくなってしまいます。
あしからず。
〈1〉
私はもうすぐ死にます。
どう伝えればいいか悩みましたが、簡潔にいうことにしました。
生まれながらの病気で、いつ死ぬのか大体だけれどもうわかっています。余命宣告というやつです。
明日から病院で過ごさなければいけません。学校も夏休みを入る前に辞めています。
何で何も教えてくれなかったのだとあなたは怒るでしょうか?怒るでしょうね、私なら怒ります。
和季に病気のことを言えなかったのは怖かったからです。
『そばにいてあげる』と言いながら、あなたの側にはいられない私が情けなくて、あなたに嫌われるかもしれないと想うと、怖くて言えませんでした。
本当にごめんなさい。
それでもいつかは言わなければいけないと、決心を固めたのが今日の小旅行です。
覚悟を決めて臨んだはずなのに、あなたにキスをされてしまったものだから、私は言えなくなってしまいました。
なんとなく、恥ずかしいような照れくさいような、離れ難いような気がして私はそっぽを向いてしまったのです。
あなたとこんな関係になるなんて初めて会ったときの私は想像すらしていませんでした。
和季は、私と初めて会ったときのことを覚えていますか?あなたは多分覚えていないでしょうね。
私たちが初めて会ったのはあなたが中学一年生で、私が中学二年生のときです。会ったといっても私が一方的に見ていただけなので、あなたが覚えていないのも当然です。
和季のことを知ったのは、あなたが優季さんのお見舞いに来たときのことです。男の人が苦手な私はいつも慌ててカーテンを引いていました。
私と優季さんは、歳の離れた友達でした。
何度目かもわからない入院のとき、隣のベッドで寝ていたのが羽賀優季さん、あなたのお母さん。
とても思慮深くて、優しい人。私は優季さんにとてもお世話になりました。あの人は私に色々なことを教えてくれました。私が勉強をし始めたのも優季さんの影響です。
あなたが名残惜しそうに病室を出るたびに、優季さんは笑いながら自慢の息子なのだと私に言っていたのをよく覚えています。
子供の頃の写真だってたくさん見せてもらいました。
だから去年、あなたと海で会ったとき私はすぐにあなたが羽賀和季だとわかりました。
友達の息子が私と同じく学校をサボっている。
それも私の特等席で海を見ながら。
私はあなたに興味を持ちました。私が他人に興味を持つのはとても珍しいことです。男の人は苦手だけど相手は後輩だということもあり、頑張って話しかけました。
つれない態度のあなたに少しだけハラハラしたけれど、私が転んだら助けてくれて、本当は優しい人なんだと安心しました。
あなたから貰ったシーグラスは今でも大切に小屋に飾っていること、あなたは気づいていましたか?
和季が言っていたように、アレは形が歪だから見つけやすくて私は気に入っています。
小屋にはたくさん私のコレクションがありますが、あなたからもらったシーグラスが私は一番好きです。
〈2〉
書きたいことが多いので、いっぱい書きます。いっぱい読んでください。
実を言うと、和季に勉強を教えてあげようと思った理由は優季さんへの恩返しのつもりでした。
色々なことを教えてくれた彼女の代わりにあなたに色々なことを教えてあげようと思ったのです。
昔お世話になった人への恩を返したいというただの自己満足に過ぎなかった。そして、その自己満足のためにあなたを利用していた。
少しだけ、後ろめたい気持ちがありました。
それでも次第に、そんな気持ちを薄れていきました。
あなたに教えることが楽しくなっていったからです。一つのことを教えてあげると真剣にこなし、できたら喜んでくれるあなたといる時間は楽しかったです。
あなたに教えたくて色々な雑学を調べたりしました。花とか星とか、真剣に聞いてくれるあなたにもっと教えたくなって時間があれば沢山本を読んでいました。
あなたは私のことを博識だと思っていたみたいですが、本当はそんなことはないんですよ?私もあなたと同じです。
それから私は教えるだけじゃなく、たくさんのことをあなたにしてあげたいと思うようになりました。
傷ついたときには支えてあげたいし、笑いたいときには一緒に笑っていたかった。
なんて、手紙に書くのも少しだけ恥ずかしいです。
それから、たくさんのところに二人で行きましたね。クリスマスとか、花見とか。全部私が誘って。
あなたから誘っても良かったのに、なんて少しだけ思ったりもしてます。
写真もいっぱい撮りましたね。青写真です。珍しくあなたが綺麗だと言ったものです。
本当は、あなたが私の言う"綺麗"をよく理解できていなかったことに私は気づいていました。気づいていてわざと意地悪していました。
必死に私の感性に合わせようとしてくれるあなたは少しだけかわいかったです。
最初は風景ばかりだった写真も、最近は二人で撮った写真が多くなっていたことを覚えています。もっと早く二人で撮ろうと誘えばよかったと思っています。
今度は病室で撮りましょう。二人仲良く、楽しそうに撮りましょう。
これは単なる私の我儘になりますが、もし良かったらたまにで良いのでお見舞いに来てください。
父と母にはあなたのことを伝えています。名乗れば私の部屋まで通してくれるでしょう。
そしてまた話をしましょう、他愛ないことでいいから。なんでもいいんです。つまらない話でもいいから、私に会いに来てくださいね。
ジメジメした病室にあなたが来てくれるだけで、ちょっとだけ頑張ろうと思える気がします。
〈3〉
少しだけのつもりでしたが、気づけばもう3枚目です。私は存外筆が乗りやすい性格なのかもしれません。
なぜでしょうね。言いたいなら直接書けばいいのになと思っているのに、言いたいことは全部今のうちに書き記すべきだと思っている私もいます。
不思議です。
死ぬのは少しだけ怖いです。
幼い頃からずっと覚悟はしていたのに、今更怖くなってしまうのは明確な余命が決まってしまったからでしょうか?
それとも、和季に会ってしまったからかな?
和季、あなたは私の太陽でした。
死期を悟り、人と関わることに意味を見出せず、他人に無関心になり、何にも興味が持てず、何事にも心を動かされることがなかった私の心に入り込んできた光です。
あなたと出会って、私は人に興味を示し、色々なことに心を乱されるようになりました。心なしか表情が豊かになったと思います。少し前の私なら考えられない変化です。
それでも、この世界に興味を持つことは"生への執着"という名前の鎖になりました。
その鎖は、私に死への恐怖を感じさせるには十分なものでした。いえ、違いますね。これではあなたを責めているみたいです。和季には感謝しています。
あなたのおかげで私は死への恐怖以上に、生の喜びを知ることができました。綺麗なものをたくさん見ることができました。最後の最後に、なんという幸運でしょう。あなたに出会えて私は幸せ者です。
あなたに出会えて本当によかったと心から言えます。
でも、だから、やっぱり辛いです。
死ぬことは少しだけ怖い。でもあなたと離れてしまうことが、あなたを置いていってしまうことはもっと怖い。
今なら、優季さんの気持ちがわかります。自分が和季の未来にはいないことを悟り、あなたの将来の話をしなくなった彼女の気持ちが痛いほどにわかります。
私も、あなたの未来にはいません。
叶うなら、ずっと、永遠にあなたと共に歩きたい。変わりゆくあなたを、大人になるあなたを隣で見ていたい。
それでも、私は死んでしまいます。あなたの前から消えてしまいます。
だから私はつい意地悪を言ってしまいました。
"変わらないで"なんて、まるで呪いのようです。
私は悔しかっただけなんです、怖かっただけなんです。あなたの隣にはいられないことが、大人になっていくあなたの思い出になってしまう永遠に変わらない私が。
時は流れ、季節は変わる。
そのなかで、私だけが変わらない。私はもうこれ以上大人になれない。あなたと共に変わっていけないのです。
そのことがとても悔しい。死にたくない。
私にはやりたいことがまだたくさんある。
あなたが好きです、和季。
こんな伝え方間違っていると思っているのに文字を綴る手が止まってくれないのはきっと、あなたのことが好きだからです。
緑色の髪の毛も、生き辛そうな性格も、全てが愛おしい。
あなたと隣り合い、大人になりたい。
ずっと手を握っていたい。
抱きついてみたい。
見つめ合っていたい。
キスだって、本当はもっとしたい。
その先だってしてみたい。
もうすぐ死ぬことを理由に色々なことを諦めたくない。
あなたと歩む人生を諦めたくない。
私は和季が好きです。
〈終〉
書き殴るように書いてしまいました。
恥ずかしいけど消す気にもなりません。全部読んだあと何事もなかった演技をしてください。
もうすぐ散ってしまう私のかわいい願いです。自慢の後輩であるあなたなら無事引き受けてくれるでしょう。
この手紙はあなた宛に郵送することにします。私の部屋の病室の番号を書いておきます。
受け取ったら必ず見舞いに来てください。
私は、秋の病室で待っています。
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