第13話 先輩との日々③
少しだけ僕の母さん、
母さんは絵本作家だった。その前はとある漫画家のアシスタントをしていたらしい。
とある編集者だった父と出会い、惹かれあい、結ばれ、そして僕が生まれた。
『和季、おいで…。』
『うん!』
母さんは僕の唯一の理解者だった。幼いころから友達ができず、集団行動が苦手だった僕に無償の愛をくれた。
だから僕は母さんが大好きだった。
『お母さん!またテストで百点とったよ!』
『和季はとっても偉い子ね、将来が楽しみだわ。』
大好きな母さんに褒められたくて、たくさん勉強をした。幼いころは体が弱かったせいで運動はできなかったが、その分勉学に努めた。
僕は神童とか天才とかそんなガラじゃなかったし、母さんは僕がどんな点をとっても笑ってくれたと思う。それでも僕はお母さんに満点が見せてあげたくて我武者羅に勉強した。
母さんが病に倒れ、入院したときもきっと良くなると信じて僕は勉学に励んだ。
病棟の隅、春風が吹く病室のなかで僕は母さんが眠るベッドを見ていた。丸椅子を寄せて座る。
『母さん…体調はどう?』
『………』
『母さん?』
『!…あら、和季来たなら声をかけてくれれば良かったのに。』
『うん…ごめん。』
母さんは耳が遠くなった。最初の頃はなかなか慣れず、何度も彼女のことを呼びかけた。その度に母の変化に僕は戸惑った。
『…それより体調はどう?』
『元気いっぱいよ、ありがとうね。』
『そっか…あぁっと………』
『学校は楽しい?』
『え…』
実を言うと、僕はこのときいじめられていた。いや、多分いじめられていたのだろう。靴を隠されたり、机に落書きされることをいじめだと知ったのは最近になってからだ。
あの時の僕は何が何だかわからないまま、クラスメイトたちのことを不思議に思っていたのだ。
それでもまあ、楽しくはなかったわけで…。
『あ…ううん、あんまり。』
『あら、そっかそっか。』
『………』
友達ができないことも、いじめられていることもきっと母さんは勘づいているのだろう。それでも何も言わないのは、僕自身が話したくないと思っていることに気づいているからだろう。
全部知って、全部知らないふりをしてくれているのだ。
『勉強…ちゃんとしてる。だから何も心配いらないよ。』
『そう…和季はとっても偉い子、こっちにおいで。』
『うん。』
いつからか、母さんは将来の話をしなくなった。
きっと、僕に期待することをやめたのだろう。そう口に出すことは決してなかったけど時折見せる悲しい瞳は僕にそう思わせるのに十分だった。
だけど…そんなことはどうでもよかったのだ。
『和季、笑顔よ。どんなときにも笑顔、ね。』
そう言いながら母が僕の頭を撫でた。"笑顔"が彼女の口癖だった。言葉通り、どんなときでも彼女は笑顔だった。
死ぬ直前まで彼女は笑顔だった。
『和季、父さん行くから。』
『ああ。』
『その髪……いや、風邪引くなよ。』
『…ああ。』
母さんの葬式が終わり、高校進学直前に僕は髪を緑色に染め、母のピアスをつけるために穴を開けた。どうやら僕は父親似らしくピアスは似合っていなかった。
そして、僕は勉強をやめたのだ。
☆
「思っていたよりも、頭の出来がいいのね。」
「…たまたまっすよ。」
潮の匂いがする小屋のなか、僕と先輩は向かい合っていた。期末テストの結果が返された日の放課後なので二人とも制服を着ている。
「学年で17位、頑張ったわね。とっても偉いわ。」
僕たちの通う高校は進学校であり、17位は十分にすごいと言えるだろう。僕自身今回の結果には驚いていた。
僕の頭の良さではなく、先輩のスペックの高さにだ。
というのも、今回の試験で出た問題のほとんどが春澤先輩の予測した通りだったからだ。僕だけでは30位に入れるかどうかすらわからなかった。
(本当に末恐ろしい人だな。)
苦笑しながら先ほど買った缶ジュースを飲んでいると、先輩が成績表を机の上に乗せた。
表情は変わらないが、なぜだか悔しそうに見えた。
「どうしたんすか?」
「少しだけ残念なの、あなたの秘密が聞けると思ってたから。前に言ってたじゃない、昔は勉強してたって。なんで今はやめちゃったのかしらと不思議に思ってたの。」
「別にそんな面白い話でもないけど。」
「それでも知っておきたかったのよ。まあ、あなたが話してくれるまで待つわ。」
「今なら聞かれたら答えますよ?勉強教えてくれたお礼も兼ねて。」
「嫌よ、野暮じゃないそんなの。」
「…わかりましたよ。」
どうやら僕と彼女は思考が似ているようだった。まあ、言いたくなったら言えということだろう。言いたくなる日が来るかどうかわからないが…。
「さて、約束は守らなきゃだものね。」
「!」
約束。彼女の噂の真相を教えてくれると言うものだ。
『いきなり教室で暴れ出すなんてな。』
クラスメイトの会話から知った、春澤澄歌が教室で暴れたという事件。
「…そうね。和季が聞いている噂はきっと、私が教室で暴れたというものでしょう?」
「ああ、そうだな。」
「それは正しいわ、噂じゃなくて真実。」
「!…なんでそんなこと。」
「あら、なんでそんな顔をしているの?まるで苦虫を噛み潰したかのような顔をして。」
「え?」
彼女に言われて、僕は自分の顔をペタペタと触った。僕そんな顔していたか?自分ではよくわからなかった。
「あなた何か勘違いしていない?あれは私にとって黒歴史ではなくむしろ自慢話よ。」
「………」
僕が何も言えず彼女を見ていると、何を思ったのか突然立ち上がり、小屋の中に置いてあったシーグラスを僕に投げつけた。僕は慌ててそれを受け止める。
「なっ!?」
「…綺麗でしょ?それ。」
「いや、綺麗だけど…」
「そう、綺麗なの。私は綺麗なものが好きよ。この小屋に飾ってあるもの全て私が拾った綺麗なものよ。」
ストンと彼女が腰を下ろした。なんだかつまらなそうな態度で頬杖をついていた。
彼女の表情は能面のようにほとんど変わらない。
それでもなんとなく考えていることがわかるのは彼女の身振り手振りが大きいことに起因しているだろう。
彼女は話を続けた。
「2年の初夏に、当時クラスメイトだった男の子に性的嫌がらせを受けたの。私はクラスでも大人しいタイプだったから押しに弱いと思われたのでしょうね。」
「は?」
「突然抱きかかえてきたその男の手に私は激しい嫌悪感を抱いたわ、綺麗じゃないのだもの。私はポッケに常備していたカッターナイフを男の目の前に突きつけたわ。」
「………」
「あとはまあ想像できるでしょ?カッターナイフを振り回すところを通りすがりの生徒に見られてしまってね。今まで上手く隠れていたのに腫れ物扱いされるようになってしまったわ。それが噂の真相よ。」
「そう……すか。」
いざ聞いてみれば、すんなりと頭に入ってきた。彼女が教室で暴れた理由としてはこれしかないというほどにピッタリな理由だ。
春澤澄歌は薔薇のような人である。美しく凛としているが、好まないものには棘を向ける。
「……そのカッターナイフ今も持ってるんすか?」
「え、えぇ…持っているわよ。」
そう言って彼女は胸ポケットからカッターナイフを取り出した。そこに入れているんだなと僕は彼女の胸部を凝視してしまう。
「…和季、どこを見ているの?」
「え、あ、いや!違くて…違うんすって!」
「まあいいわ、これよ。」
彼女が差し出したものは確かにカッターナイフだった。何の変哲もないカッターナイフ。
「カッターナイフを持ち歩くだなんて、イタイ女だと軽蔑するかしら?私は…」
「いや、あんたらしくていいと思うよ。」
「え?」
春澤澄歌だけじゃない。人間は誰しも美学を持つ。彼女は人一倍自分の美学を大切にしているだけなのだ。
だからこそ彼女は美しいのだろう。
「あんたが言ったんだろ?自慢話だって。そのカッターナイフはあんたがあんたらしくいることができた証拠だ。軽蔑なんてしない。」
「……そう、嬉しいわ。」
彼女が目に見えて安心したように思えた。
彼女は自慢話だと言ったものの、それは人には理解されないものだと考えていたのだろう。
僕に軽蔑されるかと不安になってくれたのだろうか?
そうだとしたら僕は嬉しい。彼女の心のなかで僕の存在が大きくなっているのなら僕は幸せなのだ。
「和季。」
「え?」
「夏休み、暇かしら。」
「ああ、まあそうだな。」
僕には友達なんていないし、バイトもしていない。これといった用事は思いつかなかった。
「そう…じゃあ毎日会えるのね。」
「え?」
「え?」
どうやら、僕が思ってるよりも僕は彼女に気に入られているらしい。
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