第10話 様子がおかしい
食堂でシャーロットとお茶をしていたら、外がにわかに騒がしくなる。
紳士淑女たることを旨とする、王立アカデミーには似つかわしくないほどの音量で、皆が騒いでいる。
「とは言っても、いつもひそひそ声のうわさ話も十分耳に入ってくるのだけど」
「誰かが来たようですわね。聞こえてくる声の中に、浮ついたものや喜び、興奮が混じっています。これは、噂の君が現れたということでしょうね」
「そんな事が分かるの?」
ざわめきを耳にしただけで、外で何が起こっているかを推測するシャーロット。
私は半信半疑だ。
確かめてみようと、紅茶の残りを飲んでから立ち上がった。
うん、やっぱりミルクとお砂糖は入っていた方が好きだ。
食堂のお茶は、シャーロットの家でいただいた紅茶よりも少し香りが弱かった気がする。
もしやシャーロット、こだわっていい茶葉を使っているのではないだろうか。
そんなことを考えつつ、食堂から出る。
すると、すぐに人だかりがあった。
アカデミーに通う者たちがみんな集まっているのではないか、と思えるほどの数。
そしてその中心に、すらりと背が高い男性がいた。
カラスの濡れ羽のような黒い髪に、やっぱり黒い瞳。
日に焼けた肌。
上等な衣装の上からも分かる、鍛えられた体。
ホーリエル公爵家が産んだ英雄、ドッペルゲンだ。
彼は微笑みながら、周囲の人々に当たり障りのない返事をしている。
なぜここにやって来たのだろう?
知らぬ仲ではないので、私も挨拶をしておくことにした。
「ドッペルゲン様、お久しぶりです。無事のご帰還をお慶び申し上げます」
「ああ。ありがとう」
私を見て、ドッペルゲンはそう返した。
他の人々に返答したものと同じである。
おや?
と、一瞬違和感を覚える。
立場として、公爵家の生まれであるドッペルゲンと、辺境伯家の娘である私は同じ地位にある。
それを当たり障りのない返事……というよりは、中身のない通り一辺倒の対応で済ませるなど……彼がやるだろうか?
いや、大きな仕事から帰ってきて、疲れているだけかも知れない。
私はそう思って自分を納得させることにした。
結局、ドッペルゲンとの会話はなく、彼はアカデミーの中を隅々まで見回ってから、帰っていった。
何をしに来たのだろう?
かつて通っていたアカデミーを、今更見回ったところで新しい発見はあるまい。
ここは時が止まったような場所。
百年も前から、アカデミーにあるものは変わっていない。
変化したのは通っている貴族の子女ばかり。
「浮かぬ顔をしておいでですわね」
出た、シャーロット。
私の顔をじーっと見て、ニヤリと笑った。
「ジャネット様の気になってらっしゃることを、当てて見せましょうか」
「どうぞ。当てられるものなら」
今度は何を言おうというのだ。
「ホーリエル公爵家のドッペルゲン様。彼の様子が知っているものとは明らかに違っていたのですわね? そして行動も不審に見える」
「ええっ!?」
思わず驚いて大きな声が出た。
「さっきあなた、あそこにいなかったでしょう!? どうして分かるの!?」
続けて問いかけるのも大きな声だったので、私のところに駆け寄ろうとしていたらしい、カゲリナとグチエルがギョッとして立ち止まった。
「あ、あのう……ジャネット様……?」
「ああ、ごめんなさい。思わず大きな声を。はしたない」
おほほほ、と笑ってごまかす。
二人は私に、ドッペルゲンがいかに素敵かという話をキャッキャと話し、満足した様子で去っていった。
「彼女たち、すっかりジャネット様の派閥の一員ですわね」
「私、派閥とかいやなんだけど……。ああ、そうそう! 話の途中だった。どうして分かったの、シャーロット」
シャーロットはニッコリ微笑んだ。
「簡単なことですわよ、ジャネット様。あなたとドッペルゲン様が無視し合うことは、対外的にはありえませんもの。そしてお二人が反目するほど、接触の機会は多くありませんでしょう? ジャネット様がこちらにいらっしゃったのは、ドッペルゲン様が旅立たれた後ですもの。それ以前に会っていたとしても、ジャネット様はほんの小さな頃でしょう?」
「確かにそう。その通り」
むむむ、と私は唸った。
「なのに、ドッペルゲン様はジャネット様に、対等の立場にある貴族に向けて、とるべき態度をとらなかった。異常と言ってもよろしいですわね。そしてアカデミーを見回っていたことを、ジャネット様は訝しがっておられる」
「そこまで分かるの?」
「ここはわたくしも、同じ気持ちだからですわ。ドッペルゲン様の様子は、まるで初めてアカデミーを訪れたもののようですもの」
シャーロットの話がきなくさくなってきた。
これは、立ち話でするものではない。
私は車止めのあるところで、待っていたナイツを呼んで馬車に乗り込んだ。
シャーロットと並んで、車に揺られながら話の続きをする。
「戦場で生死の境をさまようと、ああなってしまう兵士は多いわ。ドッペルゲンはよほど大変な目に遭ってきたのかも知れないって私は思っている」
私の推測を告げると、シャーロットは満足げに頷いた。
「百点満点の回答だと思いますわ。ごく自然で、誰も疑問には思いませんわね。いつかドッペルゲン様は、元の自分のようになって、自然とこの街に溶け込んでいくことでしょう」
なんだろう。
とっても引っかかる言い方だぞ。
「シャーロットは何を考えているの?」
「今、口にしては失礼になる言葉ですわ。少なくとも推測に過ぎない以上、これはわたくしの胸の中に留めておくべきでしょう。わたくしはただ、謎を調べたり解いたりすることが好きなだけで、預言者ではありませんの。ですから余計な事を告げて、ジャネット様の中に先入観を植え付ける気はない、ということで」
それっきり、彼女はドッペルゲンに関する話をしてくれなかった。
その後、会話はシャーロットの家の茶葉の話になり、彼女がいかに紅茶に情熱を燃やし、ブレンドして香りを追求しているかという事をひたすら聞かされることになった。
翌日。
ホーリエル家に仕える侍従の死体が見つかり、事件が始まる。
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