カムトゥギャザー①

「——だからこいつも一緒に中央まで連れてくつもり」


「そりゃあ良い!」


 晩餐の席でマドーシさんはぼくを勇者ご一行の仲間入り計画を二人に説明した。『それなりに才能があるみたいだからユーシャと一緒に連れてく』とのことだ。恐らく、具体的なことはユーシャちゃんに配慮してぼかしてくれたんだろう。ぼくにとっては好都合だ。しかしそれは焼け石に水というものだろう。


「兄ちゃん、魔法士の才能があったんだな。それもマドーシが認めるってことは、かなりのもんだろう。なっちまえなっちまえ!」


「いやあ……マドーシさんのお世辞でしょう」


「この高慢ちきがお世辞? 聞いたことねえぜ」センシさんは頭を叩かれながら首を振る。


「何にせよ、魔法士なんてなろうと思ってなれるもんじゃねえ。才能があっても先生だってそう多くねえ。こんなチャンスそうはないぜ」


「わたしもそう言ってんだけど、どうもこいつの受けは悪いのよねえ。あんた、自分がどれくらい幸運かわかってる? 世界最高……人族最高の魔法士があんたに魔法魔術を教えてやるって言ってあげてるのに」


「あんまピンとこないっすよ」


 スープをよそいながら答える。ぼくにはありあまるほどのオドがあるらしいけど、それを利用して魔法魔術を行使することはもう二度とできない。アクマとの契約だ、ぼくはオドをアクマに明け渡している。

 それでなくても、ぼくは魔法士にはならなかっただろうけど。ぼくは二人を一瞥する。オドとか魔法士とかの話は苦手だ。


「ユーシャも、このお兄ちゃんが一緒にいてくれた方が嬉しいわよね?」


 判然としないぼくから目を切り、マドーシさんはぼくの横のユーシャちゃんに話しかけた。


「あなたがこれから受ける修行は過酷なものになるわ。でも、誰かと一緒なら少しは楽に感じられるもんよ」


「けっ。マドーシさんが誰かと切磋琢磨できるほど社交性があるとは思えないですけどね」


「うっさい。どう? ユーシャ」


 ユーシャちゃんはぼくとマドーシさんの顔を窺う。


「あの……お兄さんは、やっぱり旅をしていたいんですよね? だったら無理に一緒に行くのは良くないと思います」


「あらお利口。でも、こいつ鍛えれば結構モノになるはずよ。あなたの手助けができる優秀な存在になれるわ。一緒にいて欲しくない?」


 ユーシャちゃんは俯いてしまった。これはどっちなんだろう。健気にぼくの身を案じているのか、ぼくと一緒に居たくなくて二人のゴリ押しに困ってるのか。

 沈黙が流れる。手持ち無沙汰になって、もう空気を読まずに食事を再開しようかと思った時、服の裾にかすかな抵抗を感じた。ぼくの外套が、小さな手の確かな感覚で掴まれてた。この子は将来どんな女になっていくのだろう。ぼくはちょっとだけ戦慄した。


『ほう。初心なねんねのいじらしさにやられたか。旅立ちの日にライバル小僧に啖呵を切っておった奴と貴様はどうも別人らしい。はて、我輩はいつの間に契約者を変えてしまったのやら』


『……っせえ』


『くふふ』


 ぼくはユーシャちゃんを見ずに二人に向き合う。


「まあ、ちょっとの間なら……」


「決定。良かったわねユーシャ」


 用無しとばかりにぼくを気にすることなく食事に入るマドーシさん。こうなることはわかっていたらしい。センシさんも一つ頷いてナイフで肉を切る。ぼくは自らの性質が少し嫌になりそうだった。もしかしたらこの子に言われたら勇者再開するんじゃないのか、ぼく。


 裾のかかる抵抗が止んだ。ぼくは目端に映る小さな頬の緩みから目を逸らした。



***



 翌日、ぼくは勇者様ご一行の一員として村の人たちに見送られながら中央の街へと向かう馬車に乗り込んだ。


「南の街にいる魔族は大方片付けたけど、二人残ってる。あんたが見逃したツメエリと、わたしが会った腕利き」


 前と同じく三人だけの車内でぼくはマドーシさんから説明を受けていた。


「その報告と対腕利き用の増員の要請が目的よ。中央に着いたらあんたとユーシャはしばらくお留守番してなさい」


「やっぱ、その腕利きって結構強いんですか? 今ならセンシさんもいるのに」


「ユーシャを一緒には連れて行けないしね。二人ならいけるとは思うけど確実性には欠けると言うか、どうせなら最低限の被害で物事を終わらせたいのよ」


「そすか」


 二人でも簡単には対処できないぐらいの実力らしい。人族一位二位の二人をしてそうだと言うのなら、魔族というのはどれほど強力な存在なんだろう。


『戦士男と魔導師女で苦戦と言うのなら、我輩の見立てでは二人ぐらいに絞られるがな』


『お前、腕利きって奴がどんな奴か知ってんの? 教えてよ』


『確実なことは何も言えん。あくまでこの二人じゃないかと推論を立てているだけだ。まだ何も言える段階ではないな。くふふ』


 こいつ、またぼくに秘密にしている気だな……


「このことはユーシャには秘密よ。あんた口軽そうだから気をつけなさい」


「……ああ、そうだったんですか」


「なに?」


「や、別に。わかりました」


 側で目を閉じているユーシャちゃんの息遣いのリズムが乱れたことを感じつつ、ぼくは外に目を向けた。なんか、つくづく嫌な方へ事態が向かっているような。



 夕方になっても村や街にはたどり着かない。中央の街はここから結構遠いところにある、何日かは車中泊や野宿を強いられるだろう。

 センシさんと手分けして夕食を作る。まあ豪勢とは言えないけど、それなりに腹の満たされる量は食べることができた。しかし物足りなさは残る。旅を続けるつもりだし、どこかで料理を覚えようかな。そんなことを考えながら余韻に浸っていると、


「センシさん、お願いがあります」


 焚き火の向こうで沈痛な面持ちのユーシャちゃんが口を開いた。


「この旅の間にでも、戦いのことを指導してくれませんか?」


「ん? いいですけど……」


「マドーシさんもお願いです。わたしに魔法を教えてください」


「……小さい頃からそれなりに教わってるんでしょ? 短時間で大きく成長なんてできないわ。中央に着いてからでもいいんじゃない?」


「できるだけ早く強くなりたいんです。強い勇者になりたいんです。そっちの方がみんなにとっても良いでしょう?」


 その訊き方は二人には効くだろうと思った。勇者が強くなるのは早ければ早いほど良い。いつ魔王が人族の領土を侵略するかわからない、なんなら今現在南の街から侵略は始まっているのかもしれない。そんな状況だってことは二人の方がよくわかってるだろう。

 案の定二人はお互いの目を見合わせてアイコンタクトを交わし合う。白旗を上げることはすぐに決まったらしい。


「そういうなら教えてあげてもいいけど。ちゃんとした準備ができないからって、簡単にしてあげる訳じゃあないわよ」


「わかってます」


「俺の方はどこから教えてやれるかな……まずは剣の握り方からかな」


 二人が立ち上がって教練の準備を始める。置いてけぼりのぼくにマドーシさんが目をつけた。


「あんたはどう? 一緒に習う?」


「や、ぼくはいいです。こんな野原で準備も無しにぼくまで教えるのは大変でしょ」


「そんなことないと思うけど……ま、いっか」


 マドーシさんが洗った食器を片してさっさと馬車に戻る。ここから先はぼくみたいな怠け者には辛い光景が繰り広げられそうだ。


『なんだ。後輩の頑張る姿を見ていかないのか。アドバイスでもしてやればいいのに』


「ぼくから言うことは何もないね……」


 アクマの軽口に上手い返しができないくて舌打ちした。なんだか余裕がない人みたいだ。いついかなる時でも余裕ある態度を取ることがぼくの特徴だったはずなのに。

 膝を折って体を横たえる。目をつぶって意識が遠のくのを待ってみるも、森の音だけだったこの場所に混じる人間の声に邪魔されてその時はなかなかこない。耳を澄ますとその声の真剣味が伝わってくるようで余計に心がざわざわさせられた。


『意外と感じやすい性格をしているのだな。可哀想だからこれからは嫌味を控えてあげようか?』


「お前はぼくと同じくらい人の嫌がることをするのが好きな性格をしてるんだな……マジで親近感が湧くよ」


 体を起こす。被虐趣味の時間だ。ぼくは馬車から出て教練の様子を眺めて眠気を貯めることにした。


 焚き火の周りで三人がきらきらしていた。マドーシさんの薫陶を行儀よく聞きながら何やら腕を動かしているユーシャちゃん。センシさんは愛用している片手半剣とは別の剣を布で拭いている。清浄な真剣が集まる場所だった。


 何よりぼくの目を引いたのはやっぱりユーシャちゃんだった。手の平に浮かぶ水の玉を険しい目で見つめながらマドーシさんの指示通りに形を変えている。昔、ぼくも似たようなことをした記憶がある。魔法とは想像を創造する技法、とかなんとか……


 額に汗を滲ませるユーシャちゃんの姿はどこまでも素敵だった。若さには億万の富以上の価値があると、億万長者が言ってるのを聞いたことがある。若いころには正しく理解できなかったしこれからもできないだろうけど、多分あんな輝きを放つことができるからなんだろうなあ……と知ったかぶってみる。


 でもユーシャちゃんを輝かせているのは人殺しの技法の教練だ。戦い、と大まかな言葉で表現しているけど突き詰めると人をどう殺すかを教わっているに過ぎない。だけど見た目だけだと努力する若者とそれを正しく教えようとする大人にしか見えない。なんて悪意に満ちた正しさなんだろう。


『貴様の殺人に対する忌避感情は筋金入りだな。勇者をやめるのも納得だ』


「それが当たり前なんだよ、ぼくにとっては」


『ほう。なら貴様の代わりにあの小娘が勇者になるのは適材適所と言えるな。やわな貴様の代わりに勇者娘が手を汚す。貴様は旅をしながらお料理の腕でも磨くと良い。お似合いだ』


「お前は本当に喋る時はとことん喋るな……」


 別に忘れてなんかないよ。いちいち言わなくても良いくらい、ずっと噛み締めてるから。ユーシャちゃんの側にいる限りずっと。もしかしたら、離れても少し続くかもしれない。

 もう一度焚き火の向こうに意識を向ける。少女が戦争の道具になるための教育がこんなにもさり気なく行われる普通を、ぼくは受け入れられない。この感覚は前にも感じたことがある。ぼくが考える普通と、現在行われてる普通の違いに戸惑うあの感じ。熱狂とかカリスマに普通が塗りつぶされるこの感じが、ぼくは苦手だった。


『なるほど。そういうことか』


 アクマが訳知り声で話しかけてきた。


『貴様が戦士男にいまいち心を開かない理由がわかった。貴様は、いわゆる正道を生きてきた人物を見るのが嫌で仕方ないのだろう。真っ当な理由、真っ当な心、真っ当な行い。誰からも認められるそんな人気者を見ると自分の醜さ情けなさを見せつけられるようで距離を置かざるを得ない訳だ。正道を歩む人気者を白々しく感じてしまう惨めで情けない自分の心を見たくないから』


「……そうかもな」


『なんて醜い。自分自身は何一つ人に誇ることなどない人物なのに難癖だけはつけるなんてな。本当、貴様の心の中をあの小娘に見せてやりたいわ』


 センシさんのことは嫌いじゃない。でも間違いなく好きにはなれない。あんな正しい人の側にずっといるとぼくみたいなひねくれ者は首を吊りかねない。清流では生きられない魚なんだろう、ぼくは。


『だから性格的に少々難がある魔導師女の側の方がまだ自分を出していられる訳だ。だがわかっておろうが貴様とあの女は全く同族じゃあない。奴は偏屈だが、間違いなく努力して人族最高の魔法士になった。その過程にあるのは戦士男と同じ、正道だ。貴様のような怠惰ではない』


「ぼくがわかってるってわかってるなら言わなくてもよくない?」


『貴様をいじめるのは我輩の数少ないフェイバリットシングスだ』


 いつもの含み笑いをするアクマ。こいつの言う通りだ。マドーシさんは努力して今の位置にいる。普段偉そうなのも、自分のしてきたことに対する確固たる自信があるからだろう。ぼくの持っている下地のない過剰な自意識とは違う。

 どこかで、ぼくとマドーシさんは似ていると思っていたかも。似ているとは言わなくても、ちょっとだけ仲良くなれたりするかもとか。だけどぼくとあの人は違う。明かりの向こうに見えるきらきらを見て再確認する。


 怠け者の生意気小僧はぼくだけか。そりゃそうか。


『そう悲観することもあるまい。貴様は今の自分に満足しているのだろう?』


「そうだけどさ……明日明後日には忘れる感傷でも、今はちょっとだけ痛いんだ」


『その感傷は近日中に終わるかもしれないが、人生はまだ終わらないぞ。その感じやすい性格でこれからもやっていけるのか、貴様は』


「大丈夫っしょ……」


 そうは言うけど、ぼくの心の中には少しだけ引っかかることがあった。ぼくの前世の終わり。その最後の記憶がぼくには無い。平和な場所で健康に過ごしていたから、終わり方の種類はそう多くないだろう。単なる事故とか事件とか……もしかしたら。根暗なぼくのことだ。もう一つ、思い当たる終わり方があった。


『……別に意固地になることもないだろう』


「なに?」


 少しだけ穏やかな声音でアクマが語りかけてくる。


『意固地になってここに座ってないで、あっちに行ってくれば良い。奴らなら貴様を拒むこともそうないだろう』


「はあ? ぼくは魔法が使えないんだぞ? お前と契約したからこうなってるんだろ?」


『別に人の価値とはオドだけで決まる訳じゃあない。勿論、現状貴様の価値など有り余るオドだけだが未来までそうと決まってる訳じゃない。あの小娘など、お前に全く別の価値を既に見出しているだろうしな』


「……ぼくに真っ当な生き方をしろと? 悪魔のお前がそう言うのか」


『貴様ら人間の善悪勘定など我輩には興味が無いし、悪魔という我輩の呼称は元々他称であって自称じゃあない。固定観念を押し付けてくるな』


 アクマは淡々と言い連ねる。


『決めるのは貴様だ。我輩はそれを眺めるのみ。だが、貴様はやりたいように生きるのだろう? なら自分の心が今何を思っているかよくよく思い直してみるべきだな』


 そう言って黙ってしまった。今度こそぼく一人。

 意外だった。なんとなく悪魔は勇者のことを高みから嘲笑っているものだと思っていた。いや、実際そうなんだろうけどぼくがそれにまた近づくことに別に文句も何も無いらしい。


 勇者の側にいる。正道に入る。確かに、ぼくにそれを拒否する理由はない。魔法は使えないけど、やくざな旅を続けるより中央の街でマドーシさんやセンシさんの側で何かする方がよっぽど明るい未来が待っているだろう。


 けどなあ……なんとなく忌避してるぼくがいる。


『ほう。これはまたどうして……貴様の新しい弱さを見つけたぞ。人の膿の見本市だな貴様は』


「言わなくて良いぞ、それ以上……」


 アクマが言いたいことはなんとなくわかっている。これ以上いじめられたくなかったからぼくは馬車に逃げた。こいつといるとぼくがさり気なく追求することから逃げていた自分の弱点をどこまでも突き詰められる。それがそこまで嫌じゃないんだからぼくも大概だけど。


 ただ、ゆらゆらと込み入っていて固定することを諦めていたぼく自身のキャラクタリスティックをどんどん暴かれるような感覚に心がざわざわとする。ぼくは正しく自分を見つめ直しているのか、狂わされているのか、わからなくなるような気もするのだ。








 




 



 




 

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